午後2時前から制作にとりかかった。きょうから主部の描写。おおまかな塗りで陰影をほどこしたところで早々と終了。一晩置いて指触乾燥を待つことに。
話を変える。
きのうシェイクスピアの「ファースト・フォリオ」について書いた。全3巻の戯曲全集初版である。この出版によって、シェイクスピアの34篇の戯曲が、後世に残ることになった。シェイクスピア没後7年経って、もしこの全集出版がなければ、その戯曲は後世に伝わらずに散逸し、忘れ去られてしまったにちがいないと言われている。
ところで、明星大学が「ファースト・フォリオ」を10冊も所蔵していることを、「無駄」ではないかと不思議に思われる人がいるかもしれない。1冊1億円以上はする高価な同じ本をなぜ10冊も収集する必要があるのか、と。
装丁に関して言えば、1623年に出版されたときに購入した最初の人物が所蔵していた全3巻一組の装丁は同じなのだが、所蔵家がちがうとどれひとつとして同じ装丁ではないのだ。
これはどういうことかと言えば、当時の本は印刷したシートをページ順になるように折り畳んだ状態で売られていた。購入者は各人が装丁職人に依頼して好みの装丁をしてもらっていたのである。本は高価なもので、一般庶民が気軽に買えるものではなかった。中世時代には、王族は城中に装丁職人や写本家や装飾家など製本に関わる職人を抱えていることが多く、貴族もまたお気に入りの装丁職人を雇ってい、家紋を金箔押しなどした凝った装丁本を所蔵していた。
シェイクスピアの時代にもまだこのような製本システムだった。したがって、装丁職人によってバインディング(ページを結束すること)されて、紙が化粧裁断されるとき、職人によって裁断の寸法がまちまちなのだ。紙の余白をマージンと言うが、古書蒐集家にとってはこのマージンが元の紙幅に近ければ近いほど価値があり、もちろん古書価格をも左右する。笑うに笑えない「事件」も起るのである。
というわけで、シェイクスピア「ファースト・フォリオ」と言っても、様々な装丁本があり、また本のサイズ(寸法)も異なるのである。
とはいえ、明星大学が装丁の違いに目の色変えて10冊も収集したわけではない。
じつはこれらの本にはシェイクスピア研究にとって興味深い・重要な手がかりが「記されて」いるのである。ページのところどころに所蔵家の書き込みがあるのだ。書き込みと言っても、たんなる走り書きではない。イギリス本国だけでも膨大なシェイクスピア研究が存在するが、それらに見合う見識をもってさまざまな書き込みが、まるで定規をあてて書いたのではないかと思うような几帳面さで小さな文字で丁寧に記されているのである。その本を如何に大切にしたかを窺わせる。字句の解釈であったり、登場人物についての分析であったり、またシェイクスピアの書いたフレーズから人生訓を得たり、あるいは購入した価格がメモされている。------シェイクスピアがイギリス社会に浸透してゆく様が、それらの書き込みから読み取れるのである。
明星大学所蔵本の書き込みについては、山田昭廣元明星大学教授(元明星大学図書館長、現信州大学名誉教授) の研究があることを申し添えておこう。