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カテゴリ:読書
先日も書いたが、陰暦11月19日は俳人小林一茶の命日「一茶忌」だった(宝暦13年5月5日―文政10年11月19日:1763.6.15ー−1828.1.5)。陰暦を陽暦に直して2021年は、12月22日にあたった。 この日を前にして、私は、末弟が数年前にプレゼントしてくれた『一茶全集』に目を通していた。この『一茶全集』全8巻は信濃毎日新聞社刊行、信濃市教育会(長野市旭町)編集、尾沢善雄監修のじつに見事な全集である。信濃毎日新聞社の一大事業であっただろうことは容易に推測できる。 一巻の総ページ数がA5判平均600ページ。すべて一茶直筆の句帳を底本としており、その編集方針はあらゆる労を厭わない厳密な校訂・校注ならびに索引を付すというもの。一例が、巻頭に書影が掲載されている一茶直筆の句帳は、半紙を和綴じにし墨書しているが、全集ではどの句で丁が変わっているかを示している。凡例記号によって、34丁の表、あるいは裏、というぐあいにわかるようにしてある。これはなかなかの事。この全集は、巻頭の解説と索引以外は、一茶の俳句がほぼ500ページずらりと並列しているだけで、途中に余計な現代文は一切はいっていない。つまり一茶の句帳を時系列に活字本にしていると言って良い。 ・・・全集編集のお手本のような本だと、私は感じ入る。というのも、私自身が、『湯浅泰雄全集』を300篇におよぶ全論文読破と雑文収集にはじまり、企画および全巻目次構成(これによって私は湯浅博士から全幅の信頼を得た)・各社からの出版権譲渡交渉・監修・編集・版組・校正・校訂・索引・造本・装丁デザイン・帯コピー執筆・各大学図書館をめぐっての受注、都内の大書店を巡っての受注等々を、コンピューター・オペレーター1人を傍らに置いて、たったひとりでやった経験があるからだ。他の誰の手助けも入っていない。この全集での私の編集方針は、私の自負するところだ。将来の湯浅泰雄学研究の底本にしなければならないと考えていたのだ。私が企画したこの『湯浅泰雄全集』は湯浅泰雄博士ご存命中の初めての全集であるが、この後新たな湯浅泰雄全集が企画されるとしても、少なくとも論文の校訂に関するかぎり、私の編集方針を超えるものはないだろう。 ・・・しかし、私は慚愧に堪えない。私はついに身体を壊し、私が企画した巻数までいかずに退いたからだ。数年後に、桜美林大学の倉澤幸久教授や、私以外の全員が大学教授だった監修者が指揮をとって、出版社を変えて一巻を刊行された。 『一茶全集』は、ことほど左様に見事であり、各巻毎に数人からなる校注者の苦労も察してあまりある。 と、ここで筆を止めても良いのだが・・・ じつは私がこの記事を書き出したのは、その校注に首をかしげることが散見したからである。 一茶の原句に誤字が在る場合、その語の右傍らに( )で正語を示している。ほとんどの場合、校注者の読解どおりだと私も思う。しかし、私はたまに、そこは一茶が書いたままで良いのじゃないか、と思うことがある。校注者の読み違いというより、言葉の解釈の違い。しかも一茶が書いたその言葉が一茶の表現をじつは「深く」しているのだとする,私の解釈である。いくつか例示してみよう。校注者が改めた語は元の語の後に( )で示す 山寺や炭つく臼も(と)かんこ鳥 校注者は、「炭つく臼」「かんこ鳥」を「と」によって並列して解釈した。そのためこの句は、山寺に在る「炭つく臼」と「かんこ鳥」という、単なる情景になってしまった。 ところが、一茶の書いた「も」は、誤字ではないとしてみよう。すると「炭つく」は「住みつく」の掛詞。「かんこ鳥」が炭のようにしだいに暮れなずむ臼に住みついているのだ。それはまた、山寺が暗く暮れて行く中で、まるで閑古鳥が鳴いているよう、つまり閑寂だという意味となろう。暢閑な山寺の様子が浮かんでくる。それだから「山寺や」と詠嘆したのである。 校注者は、何の注釈もしていないが、「炭つく臼」という言葉の意味について私の解釈を述べなければならない。炭を砕く臼とのみ解釈できなくもないが、私は、倒叙法による合成語であると思う。すなわち「臼づく」という古典的な言葉があり、日が落ちて夕暮れになることを言うのだが、一茶は臼に閑古鳥が「住みつく」ことを言わんがために、暗く暮れなずむ表現として「炭つく」とした。この倒叙合成造語によってわずか7字で、暮れなずむ小さな山寺の庫裡の外に置かれた臼の中に閑古鳥が住みついている、閑寂暢閑な一夕の光景を表現した。これが私の読解である。 ねんね(ぶ)こ(つ)を申しながらにきぬた哉 女が砧を打っている。校注者は、一茶が「ねんねこ」と書いたのを「ねんぶつ(念仏)」の誤りと解釈した。すなわち、女は念仏を唱えながら砧打ちをしている、と。 私は、一茶の書いたままに読解してみよう。女は赤ん坊を背負って、「ねんねこ、ねんねこ」と、あやしながら砧打ちしているのだ。「砧打ち」という言葉には、秋の物淋しさと共に能『砧』に謡われているように、帰らぬ夫を待つ女の内に秘めた情念をあらわす。砧は布をやわらかくするために杵で叩くこと。その女の務めを、女の隠忍や恋情や嫉妬や憎悪など、すなわち女の情念の表現とする日本の伝統的文化意識があることは充分考慮しなければならないだろう。 校注者が「ねんぶつ」と解釈したのは、たぶん「申しながら」にという献上語に依拠しただろう。しかし、念仏を唱えながら砧を打つ女ではイメージがぼやける。ここは一茶の生まれ育った境遇を勘案しつつ、私は、赤ん坊を背負って「ねんねこ、ねんねこ」と言いながら、砧を打つ女をイメージする。 草となる小草も露の御世に(話)哉 校注者は、「に」を誤字とし「話」と改めた。すなわち、「御世話」と解した。いまは小さな草も大きな草となって露を置き,露の御世話をするのだろうよ、と。あるいは、露の御世話になって小草は大きな草となるのだろうよ。そのいずれかに読解したのであろう。 しかし、私は一茶の書いたままに、素直に読んでみる。「御世(みよ)に」と。するとこの句は次のように読解できる。すなわち、小さな草も儚い露のような此の世の草となるのだなぁ、と。 校注者と私との読解の違いは、一茶という俳人が如何なる感性を持ち、如何なる視点に立って自然を含めた世の中を見ていたかという、一茶の人間像にかかわってきそうである。1字の正誤で片付けられない問題も含んでいる可能性は、決して少なくはない。文学をするとは、そういうことではあるまいか。 と、例示は三つだけにしておくが、古典文学の読解には、ややもすると私たちの現代感覚がまぎれこむおそれがある。特に俳句は、とかく情景の花鳥風月描写のみを「日本風」などと賞賛する向きが現代においてないわけでもない。かつて第二芸術と揶揄された由縁でもあろう。私は現代俳句をほとんど鑑賞しないので知らないが、しかし、古典俳句はその17字に鋭利な批評性を詩に昇華したものが少なくない。そしてまた、その句がいわゆる呻吟しての句作、ひねりだし、作り込んだ俳句ではなく(和漢古典籍・謡曲・説話・俚諺についての教養の深さにはおどろくが)、いうならば現代のツゥイッター(さえずり)に近かったかもしれない。尤もツゥイッターは、軽薄な誹謗中傷者にとっては格好な発信媒体かもしれないが・・・。それはともかく、一茶の膨大な数の句に圧倒されながらの私の思いである。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Sep 9, 2022 07:48:10 AM
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