天知る、地知る、子知る、我知る天知る、地知る、子知る、我知る。後漢の時代、「楊震」という人の話。 楊震は、地方長官から閣僚級にまでなった人物である。 名門でありながらそれを鼻にかけることなく、一門には贅沢を禁じ清廉潔白な生き方を通した。 楊震が東莱郡(遼東半島の北半部)の太守(郡の長官)をしていたときのこと。 ある晩、管下の県令(郡の下に県が置かれていた)となった王密がお金を持って訪ねてきた。この金には、以前、官吏に登用したことへのお礼の意味が込められていた。 楊震は「私は君の人柄を知っているからこそ推薦したのだ。君が私の人柄を知らないとはどういうことだ」といって受け取らなかった。 王密は「夜分のことです。これについては、だれ知るものもありません。どうぞ、私の気持ちをお収めください」と答えた。 すると、楊震がいったのが次の言葉である。 『天知る、地知る、子知る、我知る。なんぞ知るものなしと謂うや』 「君は、誰も知らないというが。 天が知っている。地が知っている。君が知っている。そして、わたし自身がしっている。どうして、誰も知らないなどというのか」 県令の王密はこれを聞いて、深く恥じいり引き下がったという。 自分のような煩悩の多い人間では、なかなか、この楊震のようにはなれないですね。(笑) でも、少しでも近づきたいですね。(^_^)/♪ ジャンル別一覧
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