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プラス君の日記

プラス君の日記

【訃報-娘が亡くなりました。(3)】

【訃報-娘が亡くなりました。(3)】

この日記を書いているのは、5月14日です。  《【訃報-娘が亡くなりました】【訃報-娘が亡くなりました。(2)】


 
少しずつ、書くことができるようになってきました。


このプラス君の日記に、娘のことを書いてもいいものかどうか色々と考えました。

あまり書かない方がいいのかも知れない。

とも思いましたが、自分自身の気持ちを整理する意味でも、その時に思ったことや考えたことを記憶に留めておくためにも、書いた方がいいと判断し、考えたこと・思ったことを書いていきます。


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亡くなったのは、5月9日(火)午後8時40分頃と思われます。
その時のことは書いておきたい気持ちがありますが、まだ、書けません。書ける気持ちになったら書きます。


妻から、娘がマンションのベランダから落ちたと自分の携帯電話に連絡が入り、急いで電車に飛び乗りました。

今自分は千葉県の方の支社で、平日だけのプチ単身赴任生活をしているため、当然、娘と話しをしたのは5月7日(日)の夜が最後です。土日以外は娘と話しができない状態でした。

娘は救急車で自宅から車で20分程度の救急病院に運ばれました。

私が乗り換え駅のホームで乗り換えの電車を待っている時、今救急病院に向かっていると救急車の中の妻から私の携帯へ電話がありました。
同時に私は、もう一人の娘(亡くなった娘の姉)の携帯へ電話をし、直ぐに救急病院へ行くように話しをしました。
お姉ちゃんの方は今年から大学生となり、新入生歓迎コンパの最中だったようで、地下のお店にいたらしく携帯電話が通じ難かったので、「急いで伝えたいことがあるから、携帯が使えるところに直ぐにでてきなさい。」と言い、「妹が10階から落ちて、今、救急車で運ばれているから、そちらに直ぐに向かうように、タクシーを拾って直ぐに行ってくれ」と。

私は、姉の方は新入生歓迎コンパをしているとは知らず、アルバイトをしていると思っていたので、バイト先ならばその救急病院の近くだと思っていました。

支店のある千葉のF駅から、救急病院がある埼玉O駅までは、電車で約1時間半。

とても生きた心地がしなかった。

10階から落ちたらまずは助からない。という気持ちと、救急車で運ばれたのならまだ息はあるのだから、絶対に助かって欲しい。という気持ちが交錯していました。

それにしても、電車で1時半は遠い。時間が掛かり過ぎる。

でも、電車の中を走る訳にもいかず、次の乗り換え駅まで約45分間、電車の中で助かることを祈っていました。

後30分で着くというとき、また携帯電話がなりました。

ご近所の知り合いの女性からでした。
「まだ着かないの? 奥さんも待っているのよ」

妻が救急車に乗ったところを見ていて、自分も車で救急車の後を追いかけてきてくれたのです。

気持ちは焦りますが、電車は先に進みません。

また、M駅で別の電車に乗り換えて0駅へ向かいました。そこからは十数分で着きます。

各駅停車の電車を恨みながら、やっとの思いで0駅に着き、電車を降りて走り出し、階段を駆け上がり、改札をすり抜け、大きな駅の構内を全速で駆け抜けタクシー乗り場まで行き、タクシーに飛び乗りました。
「急いでS病院の救急センターへ行ってください」タクシーの運転手さんに行き先を告げ、ただただ無事を祈っていました。

病院につき、救急センターの方へ小走りでいくと、ご近所の方がいらして、あの部屋と娘がいる部屋を指さしました。

ドアに「処置室」のプレートが掲げてあるその部屋に入ると、カーテンの仕切がしてあり、右手にスチールの机があり、その上に上の娘の鞄が置いてありました。

先に進むと、妻と上の娘がベッドの脇に泣きながら立っていました。娘はそのベッドの上で白い布を顔に掛けられ横たわっていました。

私が着いた時には、既に娘は息を引き取っていたのです。

妻と上の娘の顔を見たとたん、涙がとめどもなくでてきて・・・・・。


どうしてなんだ?
なぜなんだ?
なんでなんだ?

娘の名前を何度呼んでも返事は返ってきません。

妻と上の娘を抱きしめながら、3人で泣きました。

顔を見ても、ただ眠っているようで。
手で触っても顔や体はまだ暖かく、本当に眠っているとしか思えない。

いくら名前を呼んでも返事をしてくれない。 

・・・・・・。






妻の話しによると、
自分がお風呂に入っている間の事だったのこと。

色々と事情があるため、いつも一緒にお風呂に入っていて、この日も妻が先に入り、後から娘が入って来ることになっていました。
いつもなら、5分~10分したら入ってくるのに、この日はなかなか入ってこなかったので、妻も風呂場から「はやく入ってきなね」と声を掛けたのですが、返事がなく暫くして入って来るだろうと思っていました。

妻は、のぼせてしまうといけないので、適当なところで風呂を出て、リビングに戻ってきたところ、娘がいないことに気づき、周りを見回しても娘の気配がない。

外に出ていってしまったのかと玄関を見たら娘の靴は置いてある。

との時、ベランダの外がざわざわして、マンションの下に救急車が来ているのがわかりました。

・・・・・・・・・

(このあたりは辛くて書けません。)


・・・・・・・・・


病院の処置室で、家族3人でしばらく泣いていました。

看護婦さんが娘の体をきれいにして、服を着替えさせてくれるということで、ロビーに出ました。


娘が通っている高校の先生が早速駆けつけてくれていました。

先生方も言葉もなく、私たちも言葉もなく、亡くなったことと亡くなる当日の様子を妻が話しました。

しばらく先生方と話しをして帰られました。(ご近所の奥さんが先生方を送ってくれました。)



マンション10階のベランダから落ちたということで、警察の方が来ていて出て話しを聞かせて欲しいということになりました。

最終的にお医者さんに死亡診断書を書いて頂くにしても、死亡時の状況を確認するためです。


警察の方は年輩のとても優しそうな方で、私たちの気持ちを慮って、話し難いことで申し訳ないけど、どのような様子だったか教えて欲しいと、とても丁重に訊ねられました。

その時は、妻しかその場にはいませんでしたから、妻が話しをしました。

とても自分から自殺するような子供ではないです。

何かの間違いで手すりから手を滑らせて落ちてしまった。少し雨も降っていて手すりが濡れていたために滑ってしまって落ちたと。

ベランダの位置は、確かにそのままでは娘が落ちてしまうような低い高さではないです。
私達が想像するに、娘は「強迫行動」を取ってしまい、ベランダの手すりに体を預けてなければならないと思い込み、理屈ではわかっていたものの、体をそう動かさなくてはならないと、行動をしてしまったのだと思います。
そして、手を滑らせて落ちたと。

警察の方は私たちの話し聞いてくれました。



病院の救急でのお医者さんが、検死をして死亡診断書(死体検案書)を作成してくれることになります。
お医者さんと警察との話しで、死因は自殺となりました。

警察の方に、先生(検死をしてくれた医師)から説明がありますと言われ、娘が眠っている隣の部屋に妻と上の娘と3人で入りました。

先生の話しによると、外傷はほとんどないものの、大動脈破裂が直接の原因で、大腿骨の骨折があったということでした。レントゲン写真を見せてもらいましたが、レントゲン写真で説明されても現実感が沸かなかった。

死因については、病死でもない、他殺でもない、原因不明でのない、そして事故死でもない。分類としは自殺しかない。

警察の方も同席していました。
警察の方は、先生と警察と一緒に総合的な判断で、死因はそのように(自殺)なったと言われました。

私も妻も自殺と聞いて納得ができず、本人は自殺するつもりはなく「強迫行動」からベランダを少し乗り越えないといけないと思いこみ、手を滑らせて落ちたと言ったのです。

でも先生は、例えば、統合失調症で幻聴が聞こえたりや幻覚が見えたりして、それによってベランダから落ちたとしても、それは自殺と診断するしかない、と言われました。

こちらが、そう言われても納得できないという態度をとっていたら、先生は強引に話しをうち切ろうととにかくこの診断です。

医者と我々家族との間に気まずい沈黙の時間が流れました。

やさしい警察の方は、このような状況は私もいままで経験したことがないので、本署に確認してみますと言ってくれて、その場はその部屋から出ました。


私たちも死因が自殺と診断されたとしても、それはそれで仕方ないと思いましたが、診断をしてくれて医者の態度が気に入らなかった。とにかく、この場をはやく納めようとする態度が見え見えで・・・。
確かに、次から次へと急患の患者が運び込まれている状況で、既に死んでしまった子供の死因で遺族に色々言われてもという感じなのであろうが、それにしてもである。

やさしい警察の方は、その点私たちの気持ちを理解してくれて、本署に確認してくれると言ってくれました。(結局は、確認してくれたのですが、事故ということになるとそれを立証する客観的な証拠が必要になるようです。)


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少し長くなったので、次に書きます。


《次へ》【訃報-娘が亡くなりました。(4)】



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