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プラス君の日記

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【訃報-娘が亡くなりました。(5)】

【訃報-娘が亡くなりました。(5)】

5月8日に高校2年生の娘が亡くなりました。
娘のことを忘れないようにとの思いから、その時に感じたこと、思ったことを書いています。《【訃報-娘が亡くなりました】 【訃報-娘が亡くなりました。(2)】 【訃報-娘が亡くなりました。(3)】 【訃報-娘が亡くなりました。(4)】


5月10日(水)の朝になりました。

病院で埋葬許可を取らなければならないと説明を受けていたので、前夜、書いてもらった死亡診断書(死体検案書)をもって自宅近くの区役所にいきました。

役所の戸籍係に聞いてみると、葬祭場の予約を取ってからでないと、書類が受理できないということでした。
役所に来る前に、葬儀屋さんとお通夜や告別式の日程を決めないといけないとのことだったのです。

やむなく自宅に戻り、どこの葬儀屋さんのお願いするか妻を話し合いました。

やはり、亡くなった娘本人も友達に来て欲しいだろうから、自宅の近くの葬儀会場でやるのが一番いいのではないかという結論となり、そこに頼みました。

お昼に連絡してみると、1時過ぎには担当者が来てくれるということになりました。


その前に、妻の従兄弟と少し話しをしていた際、以前妻の父親の葬儀の時に色々とアドバイスをしてくれたとても親切な葬儀屋さんに話しを聞いておいた方がいいのではないかということになり、その方に連絡を取ってもらい少しアドバイスを頂きました。

葬儀の場合、葬儀屋さんのいいなりになると必要以上の出費となる場合があるので、内容を良く確認して不要なものは断った方がいいということでした。
(打ち合わせの段階で相当不要なものを削ってもらいましたが、結局、お通夜と告別式が終わってみれば、相当な費用が掛かりました。)


昼過ぎに、葬儀屋さんが自宅に来てくれて、打ち合わせをしました。

自宅近くの葬儀屋さんは会場が大中小と3つあり、最初は中の大きさの会場で見積もりをしてもらいましたが、自分が考えていたものより、相当な金額だったので、不要なものを削り再度小の会場で見積もりをしてもらいました。

葬儀屋さんによると、最近うちと同じように高校生の男の子の葬儀をしたときに、子供さんの中学校時代の同級生がたくさん集まり、300人以上になったということで、相当な人数が集まる鴨知れないと言う話しでした。
あまり人数が多いと小さい会場では難しいということでしたが、どう考えても何人来てくれるかは見当もつかない。結局、中会場に他の方の葬儀が入ったため、小会場でやることになりました。


お通夜と告別式の日程が決まったので、自分の会社関係や親戚、妻の方も子供の友達や学校関係や友人知人に連絡しました。

私の会社の方でも、受付等のお手伝いの人を出してくれるということになり、当初ご近所の妻の知人にお願いしようとしていましたが、とても助かりました。

夕方からにかけて、娘の友だちが母親と一緒にお悔やみに来てくださったり、ご近所の妻の友だちが来てくださったりと、本当にありがたいことでした。






娘は、少し被害妄想的なところがあって「友だちがいない。自分だけひとりぼっち」というようなことを言っていました。
いつも私たちは「そんなことないよ。お友だちいるじゃない。」と言って励ましていたのです。
本人はなかなかそうは思っていなかったようですが、お悔やみに来て、娘の枕元で泣いてくれたお友だちはみんなとてもいい子ばかりです。
やっぱりたくさんお友だちがいたのです。





ここまで、詳しくは書いていませんでしたが、娘は小学校高学年の頃から精神的に不安定になってしまい、「強迫性障害」と診断され、精神科に通院していました。

中学生の頃は、摂食障害(うちの場合は拒食症)になってしまい、一時は体重が減りすぎて、まさに骨と皮状態になり、徐脈にまでなってしまい、本当に心配しました。

それだけでなく、中学校の2年生の2学期から教室に入れなくなってしまい、いわゆる相談室登校(昔でいう保健室登校)が、卒業まで続いきました。
高校は中学校時代に不登校(相談室登校なども含む)の生徒が8割いる、私立の高校に入学し、なんとか登校していました。




話しが少し逸れたので元に戻します。

本人が精神的に色々と抱えていたことと関係があるのかも知れませんが、小学校、中学校時代の友だちには、障害を持った子供や、やはり精神的に少し不安定な子どもがいました。また、最近一番仲の良かった高校の友だちは少し学習障害のあるお子さんでした。
そういった子ども達は、みんな本当に心のやさしい子たちで、そのような友だちが多かったようです。

自宅にお悔やみに来てくれた友達とそのお母さんも、「Iちゃん(娘の名)と友だちになったもらったお陰で、うちの娘も元気に学校へ行かれた。」と言ってくださいました。

そんな言葉を聞くと、親として本当に嬉しかったと当時に娘のことを誇りに思えました。

本当に仲の良かった友だちとそのお母さんが来てくれて、娘の顔を見て悲しんでくれて、本人は強迫性障害のために大変な思いをしていたが、みんなに愛されていたんだなぁと、つくづく思いました。



お通夜は12日(金)午後6時、告別式は13日(土)午前10時となりました。

娘は、12日(金)のお昼前に葬儀屋さんが引き取りに来て、お通夜の2時間前の午後4時からが「納棺式」となりました。

納棺式そのものを知りませんでしたが、身内で納棺するに際し故人に冥土への旅支度をするものです。

まず、身内で娘の体をガーゼを使い清めの水で軽く拭き清めました。
小さなガーゼを濡らして、顔や腕、その他は白い着物の上から軽くたたくように、拭き清めました。
次に化粧をしました。
上の娘と母親が、娘のためにきれいになるようにと薄化粧をしてあげました。
16歳という若さのためもあるのですが、娘の肌はものすごくきめ細かくてきれいです。
落ちたときも外傷がまったくなかったので、当然顔などに傷はなく、本当に眠っているような死に顔でした。

そして、お水を飲ませてあげました。
棒の先に丸めてガーゼに水を含ませ、娘の口元にそっと置いて飲ませるのです。

その後は、冥土への旅支度です。
白装束の上に白いさらしの経帷子(きょうかたびら)を着せます。
経帷子は左前に合わせ、手足には手甲や脚絆を付けます。足袋も履かせます。
旅で転ばぬように杖を持たせ、頭からは白の頭陀袋をかぶせます。頭陀袋には六文銭をいれおきます。頭には白い三角巾を付けますが、いまはそのまま付けるのではなく、笠に三角巾を付けてその笠を頭の下に敷きました。
手甲や脚絆、足袋を付けてときは、身内の全員がそれぞれ紐を固く縛ってとれないようにしてあげました。

支度ができたら、身内全員で棺桶に運び、棺桶の中をお花や本人が好きだったもの(ぬいぐるみや犬の本、友だちからの手紙やお気に入りの服などなど)を入れました。

この納棺式で、旅支度を一つ一つ行い、お別れをしたことは、自分にとってはとても良かったです。
「こうやって、冥土への旅の支度がしっかりできたのだから、あとは迷わないようにしっかり天国へ行きなさいね。」という気持ちで送りだすことができるからです。

自分自身の気持ちに、ほんの少しですが整理がつきました。(というより、これで間違いなく天国へ行って貰えるのではないかという安心感ができました。)


納棺式が終わり、お通夜の準備になりました。


お通夜では喪主である私と妻、上の娘の3人が正面右側の席に座り、右側に親族、左側に一般参列者が座ることになっています。

私たちが座り、親族や一般参列者が座り、お通夜の開始時刻が来て、葬儀屋さんの担当者が司会進行をして、お通夜が始まりました。

お坊さんが入場して、お経を読み始め、まずは喪主のお焼香、次に妻、上の娘がお焼香をして、親族一般参列者のお焼香と続きました。

お通夜にどのくらいの方々に来て頂けるか、まったく見当がつかなかったのですが、中学校時代の同級生や高校の同級生、また、小学校の時の友だちなど、百数十人以上の子ども達が来てくれたようです。
3列にならんでお焼香をしてもらいましたが、次から次へと人の列が途切れることなく続きました。

「たくさんのお友だちが来てくれて、本当に良かったね。」
棺に向かって私は心の中で娘に話しました。


子どもの友だちだけでなく、妻の近所の友人・知人も多くお悔やみに来てくださいました。
また、私の会社関係の方々もたくさん来てくださいました。

本当にありがたいことでした。




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