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地獄のナルシサス

地獄のナルシサス

2024年02月14日
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​​この日記は2001年3月、ライコス掲示板に発表したものです。

去る2000年三月十日夜十時三十分
私の甥がビルの9階から飛び降り自殺しました。27歳でした。

私にたった一人の姉がいて、その姉の次男だったのです。
子供の頃から天使みたいにかわいい声の敏捷な子でした。
オリンピック選手は無理としても、それなりに夢を持って大学の体育学部に入学したのです。
大学に入って二ヶ月たったある日、家に逃げ帰ったままついに復学しませんでした。

大学で耐え難い事が起こったらしいけれど、口を閉じたまま語りません。

心がそれ以来、破壊され始めたが、親は医学を否定して、心理療法で治そうとしました。
新幹線に乗って大津の先生のとこまで毎週通いました。京都の私の家に宿泊しながら。
極端に人におびえるようになり、彼がおびえない人は母親と教会の牧師さんと私の3人だけでした。
そのうち新幹線に乗るのも恐怖になり私のとこにも来れなくなりました。

私のところに来なくなってから五年が経ちました。医者嫌いの親のお蔭で病名が長くわからなかったけれど、
実は深刻な病気が進行していたのです。
苦しみが耐え難くなり、甥自身が病院に行ったのです。薬をのめば心の苦しみは少しは和らぎます
少しは病気がおちついたかに見えました。
再び私のとこにくるようになりました。

私のとこに来ると「おば様、松の木はありますか?」
と尋ねます。二人で松の木を捜しました。甥は松葉を食べれば松のエキスで元の自分に戻れると信じていたのです。
甥にとって一番悲しかったのは病気になって以来誰からも相手にされなくなったことです。
私は甥の病名を知っていました。

また、私は占いをするものですから彼の短命に気づいていました。
彼の残り少ない人生を幸せにしてやりたくて一所懸命だったのです。

私の家に来ると私が寝てる横に立って
「叔母様罪深い僕をお許しください」
「叔母様罪深い僕をお許しください」

と一晩中わび続けるので一睡もできません。



ブランドの服を買うのが好きなので甥にお金をあげると、うれしそうに買いに行きました。
だけど病気は次第に進行し入院させないと危険なくらいになりました。

昨年の10月、私のとこに遊びに来ましたが、帰ったら病院に隔離される予定でした。
甥を見るのもひよっとしてこれが最後じゃないと思うと涙がこぼれそうになりました。

甥と別れる時、頭をなでなでして

「Aちゃんはいい子ねぇ、Aちゃんがいなくなったら叔母さん淋しい。又、おいでねぇ」といって別れました。
だけどこれが本当に甥との今生の別れになってしまいました。

私のとこから帰ってすぐ病院の独房に入れられました、出してほしがって大暴れしたらしいけど、数日後大部屋に移されました。
今年の三月別の病院に転院したのですが、そこで出された薬の副作用で松葉が噛めなくなったのです。
命綱と信仰していた松葉が噛めなくなった衝撃は大きく病院から逃げて戻ってきました。

「もう病院には戻りたくない」といって泣き泣き松葉を噛もうとしていたそうです。
三月十日の夜十時、「散歩に出る」といって出掛けたまま朝になっても戻らないので警察にTELすると「死体確認にきてほしい」といわれたそうです。

12歳まで住んでいたマンションの屋上に昇って柵を乗り越えてかつてオリンピックを夢見たアスリーツにふさわしく、ありったけの力で死のジャンプをしたのです。

肺が破裂して即死でした。落ちたのが土の上だったため、死に顔はきれいでした。
火葬場で最後のお別れしたとき彼の目から涙がドバーと流れました。
いっつも寝ながら涙を流していた甥の顔を思い出しました。彼を我が子の様に可愛がってくださった牧師さんが、旧約聖書のヨブ記の中のヨブの言葉を唱え棺は覆われました。

​「私は裸で母の胎より出た。又私は裸でかしこに帰ろう。主が与え、主が取られたのだ。主の御名はほむべきかな」​​

8年間病気と闘って倒れた彼の耳元で納棺の時と火葬の時、二度囁かれたのがヨブの言葉でした。
棺の中は白い花と彼があんなに食べたがった松葉であふれていました。​​





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最終更新日  2024年02月14日 12時30分25秒
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