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地獄のナルシサス

2018.09.30
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カテゴリ:ユダヤ民族



 私はかつてユダヤ人が書いたホロコースト物を読んできたのだけどアンネ・フランクさんとかエリヴィーゼルの家はユダヤ商人、プリモ・レビは科学者、ビクトルフランクルは精神科医とかだった。ナチハンターのサイモンウイゼンタール。
どの人も文章がうまくてモーゼとかヨシュア的役割を果たす人だと思った。
だけどレオ・メラメドの家はラビをしていた家であり彼の両親はイエデッシュ文化のリーダーだった。エデンの園の中央に立ってる生命の樹セフィロトの樹である父から次のユダヤ文化のセフィロトの樹になるように期待され育てられたのがレオだった。
この人のエスケープ・トウ・ザ・フューチャーズを読んで、、自分は何ていい加減に育ってきたんだろう、、と自己嫌悪に陥ってる。

杉原千畝氏以外に唯一ユダヤ人救助に意欲を見せていたのがオランダ領事館のヤン・ツバルテンデイク名誉領事だった。ユダヤ難民たちはこの名誉領事から日本領事館が通過ビザを発給する可能性があることを聞かされていた。ヤン・ツバルテンデイクは1940年5月オランダがドイツに占領されたあともオランダ領キュラソーなどにビザを発給し続けた。しかしキュラソーには日本を経由しない限り行くことはできない。
杉原は数回にわたり日本政府にたいしてビザ発給の許可をもとめて電信を打った。しかしその都度要請は却下された。杉原は「私は政府に背かざるを得ないかもしれない。しかしそうしなければ神に背くことになる。」
杉原は単身でソビエト当局との交渉に乗り込んだ。ソビエト当局は杉原の完璧なロシア語に感嘆した。
しかしロシア側が杉原の要請を呑むことにした背景には
ユダヤ難民から通常運賃の2倍をとることにして、その差額を自分たちのポケットに入れることができるという事情があった。
翌朝杉原は領事館の外のユダヤ難民に向かって叫んだ。「ビザを発給します。」
通過ビザに必要な費用は米ドル、の値段にすぎない。しかし脱出に成功する確率も宝くじに当選する確率位きびしかった。

19408月8月31日メラメド家は日本行きの通過ビザを受け取った。
12月の厳冬の朝車掌が「乗客はすべて乗車せよ」
ウラジオストック行の列車がマイナス40度以下の厳冬の中をひた走る。数学の先生の父は温度を華氏を℃に治すやり方を講義しだした。

イメージ 4極東に作られた「ユダヤ人自治州」=ビロビジャン共和国 この国ではイエデッシュ語が公用語である。
ビロビジャンはハバロフスクに近い。
氷の町ビロビジャンはロシア政府がユダヤ人に対して与えた贈り物だった。この地でユダヤ人は氷点下の天国を作ったのだった。


この地に逃れてきたユダヤ人の詩人、記者、大学教授が一つの社会を形成していて。この人たちがユダヤ移民たちがこの駅を通過すると聞きあいさつしに来た。戦争で一体何が起こってるか?自分たちの親族は生きているのか?なんでもよいから話して話してと、、聴きにきた。

この人たちと談笑し煙草を吸いお茶を飲んだ。この人たちは寒さと言う敵と闘っていた。この人たちと別れて列車に戻ると熱帯に感じた。
 
かつてビロビジャン計画」が大々的に宣伝されると入植者が殺到した。「ビロビジャン計画」に熱狂したユダヤ人が、ポーランドやアルゼンチン、アメリカからさえもやってきた。
だが、それもはじめのうちだけだった。なにしろ寒い気候、たくさんの雨、たくさんの虫、それに家は木を切り倒して建てなければならないということで、そこから撤退する者もたくさんいた。
ビロビジャン市を訪問したメドベージェフ大統領
イメージ 3

寒風ふきすさぶウラジオストックに着くと移民担当官に荷物をチェックされた。
移民担当官は貴重品を見つけ出すと彼らの生計に役立てようと没収した。
レオ一家の親友ヨゼフ・ブルムベルグが相談に来た。彼らの13歳の息子アミックの金時計を没収されたくない。アミックは金時計をレオの腕につけた。8歳の子供まで調べられないと読んだからである。
金時計は無事没収をまぬがれた。アミックはその後、米国国務省でロシア関係を専門に扱う役人になった。

日本に到着すると恐怖心や凍てつくような感情から解放された。父は銭湯がえらく気に入りアパートの風呂に入らないで毎日銭湯に行き一時間湯舟につかるようになった。日本人は親切で道がわからなくなっても住所を書いた紙を見せるとそこまで連れて行ってくれた。レオは富士山に登り歌舞伎を見て寿司屋に入った。

 メラメド家の母国のロシアやポーランドではメラメド家の大半が牧師ラビであり宗教学校で聖書を教えていたという。それは厳格な正統派の宗教教育だった。18世紀後半から1910年20年代にかけてメラメドたちは虐殺を恐れて東欧の貧窮生活から逃避し、精神的遺産を携えて自由と機会の国、米国に移民したのであった。
米国では2種類のユダヤ人学校が建設された。伝統的なヘブライ語学校とイデッシュ語学校。
メラメド家の先祖はレオの両親と同様イデッシュ語学校における熟練教師をしていた。
レオの両親は授業でイデッシュ語を教える一方で生徒たちから英語を教わって急速に英語力をつけていった。
父はアメリカナイズされるのが嫌で気持ちは欧州にあって死ぬまで欧州人として通した。

シカゴの北西側はイタリア人ポーランド人、ユダヤ人が固まって住んでいたが
レオを見ると「この汚いユダ野郎」と嫌がらせをし石ころや雪つぶてを投げて虐めてくる子がいた。

レオは一人っ子だったから両親はステージパパ、ステージママになりレオにイデッシュ劇場に立たせた。彼は有能な若き俳優になった。

レオは人間の性格が人間の運命を決めると言った古代ギリシャ人の見方に全面的に賛成する。
レオは中学生の時、戸別訪問で雑誌売りを始めている。1軒につき1ドルとキャラクターグッズをもらえた。高校の時はコンドームの販売業をやり始めた。

大学時代はタクシードライバーをしてシカゴ中の情報を集めて回った。
父イサク・メラメドはシカゴのユダヤ文化に多大な貢献をして1990年86歳の生涯を閉じた。父の葬式にはシカゴの文化人が最後の別れに来て立錐の余地もなかった。
レオは「大きな樫の木が倒れた」というイデッシュ語の詩を朗読した。イデッシュ文化の森の中における父の存在の偉大さを歌った詩である。
 
母なる大地であった母は3年後父のあとを追った。







最終更新日  2018.10.03 18:21:18
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