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地獄のナルシサス

2017.11.22
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カテゴリ:ユダヤ民族

モーゼがホレブ山に登ると、山奥で柴が燃えている。なぜか柴は燃え尽きない。天上から「モーゼよモーゼよ」神の声がした。
燃える柴はユダヤ民族の象徴である。柴が炎に包まれてるようにユダヤ民族は絶えず危機に見舞われてきた。
しかし柴が燃え尽きなかったように火の中に放り込まれてもユダヤ民族は絶滅せず生き残った。
出エジプト記に書かれています。
これからは神に動物の生贄をささげる代わりに7本足の燭台を用意しなさい。
燭台に火をともし燭台を中心に祈ること。

その火が神の目であるから何処へ行く時も燭台をたずさえて移動すること。
それゆえモーゼの民は世界中にメノラーを持っていってシナゴーグの中心に置いた。
純金の燭台メノラーががなぜ7本なのかは。
七日は神が天地を創造した日数といわれ7には完成の意味があり神様の意味があるのでしょうか。易学では7は火であり目であり文明の意味があります。神代の昔から7は火であり目であった。
南米と日本で発見されたメノラー

イスラエルの国家紋章は、七枝の燭台を中心に置き、まわりにオリーブの枝を配した形になっています。7枝の燭台は創世記エデンの園に出てくる生命の木の象徴。7本の燭台に灯る火は神様の目です。
神様がいつも見ています。

ユダヤ人は、ソロモン王の頃すでに世界中を旅していた。南米でメノラーが発見され日本でも下関で発見さ
れた。彦島のペトログラフに刻まれたメノラー
ペルーでペトログラフに刻まれたメノラーが発見されてます。BC千年ソロモン王時代すでに世界中に船出してたんです。
アラム語で「過越し」(パスカ)と記されていた。そこから数メートルの所に船の絵(イスラエル10部族の1つのゼブルン族の紋章は舟である)が刻まれた石版も見つかっている。その舟には「チッポラ」という言葉(モーセの妻と同じ名前でイスラエル人の名前)が記されていた。これは彼らが南米に舟でやって来たことを意味する。
メノラーは、灯明や蝋燭を立てる燭台ですが
エデンの園の中央に立っていた生命の樹「セフィロトの樹」を指すもの。
その実を食すると永遠の命を得ることができる。


 出エジプト
神は、礼拝のための幕屋造りを指示された。暗闇を照らす灯火がいる。その燭台をメノラーという。その形から、七枝燭台と訳される。

イスラエルの民は、何回も散らされたが。移住するたびにシナゴーグを建て、メノラーを置いて祈りのよりどころとした。

七つのものは主の目「メノラーが表す七つの灯は、主の目である。
もちろんヘブライの民は世界中に散らばる民だからあの当時でも
カナンの地で飢饉がおさまった時点でエジプトを去り郷里に戻った者もいるだろうし、地中海沿岸地方に分散して商売してたヤコブの子孫は多いと思う。そういうことまで聖書には書いてない。

パロの奴隷階級におちぶれるまでエジプトにとどまってたユダヤ人はあんまり賢くないユダヤ人だと書いてた人もいた。
聖書に記されてるのは主要部分だけです。膨大な資料があるわけだから熱心なユダヤ教徒なら深い事情をよくわかってるでしょう。
火は目であり心臓であり神の英知であり名誉だった。中国で科挙試験合格者は名誉をあらわす離の門から入り玉堂には入りそこで皇帝から印綬を賜った。科挙試験不合格者は悲しみをあらわす北落師門から出ていった。悲しみは北であり数字だと1.6.五行は水
名誉は南で2,7.五行は火。弁天、稲荷、不動明王は赤い火である。

https://plaza.rakuten.co.jp/po523po/diary/200706220003/

こっちのプログに書いたんですが。

日本歴史占いによるとhttp://woman.excite.co.jp/fortune/rekishi/

私は八百屋お七なんである。この占いは四柱推命知ってる者ならすぐわかることだけど生日の12運で男女を12通りのタイプにわけそれぞれに歴史上の有名人を当てはめてるのである。
私は胎日生まれなんで直情怪行型?のお七である。男の胎日は石川五右衛門になる。
お七が本当に胎日生まれだったかどうか知らないが丙午年生まれだったのは事実である。奉行はお七に情けをかけ刑をかるくしてやろうと気遣ったがお七は
「いいえ私は十五で丙午」と白州でくりかえしたという。
お七は丙午年生まれ。隅田川の花火の晩吉三郎と出会い、火事でめぐり合って恋が炎上、恋人に逢いたくて放火してしまい鈴ヶ森で火刑にされた。死ぬまで火の因縁がつきまとった。お七という名まで火だった。

井原西鶴の好色五人女を借りてきた。巻4に 恋草からげし八百屋物語がある。西鶴によると

「今日は神田の崩れ橋で晒し者になつたかと思うと、明日はまた四谷、芝、浅草、日本橋と引き廻され、それをこぞつて見物する人々は、若く美しいお七の命を惜まぬ者とてなかった。
人はかりそめにも悪事を働くべきではない。天道は決してお許しなされぬのである。・・・ 品川のほとりの鈴が森で、入相の鐘が鳴るころためしすくない火刑の刑となった。

…今朝見れば、塵も灰もなく、鈴の森松風ばかり残りて、旅人も聞伝へてただは通らず、回向してその後を弔ひける」

お七は晒し者の日も、黒髪を美しく結わせ鼈甲のかんざしを挿し、化粧していた。処刑の日着ていた郡内縞の布を人々は拾い集めた。
お七の恋人吉三郎はショックのあまり後追い自殺を図ろうとしたがお七の母にたしなめられ思いとどまった。
「来世で必ず添い遂げよう」お七の遺言を聞いて出家した。彼の男色の恋人もまた感じることあって出家したという。

鼠小僧次郎吉の霊が招くのか?気がつけば小塚原刑場に来ていた。
泪橋見たくって南千住で下車して泪橋へ。昔は川が流れ橋が架かってたらしい。今は埋め立てられただの交差点です。
ここで死刑囚は家族と涙の別れをした。今は千住車庫になってるけど明治初期までここは小塚原処刑場。平均一日3人ここで命をおとす。火刑台、磔台、獄門が並んでて怖い場所。

南千住駅の南側に小塚原回向院がある。安政の大獄で斬刑に処せられた橋本佐内、梅田雲浜、頼三樹三郎、吉田松陰らの墓が並んでいた。橋本佐内享年24、吉田松陰享年30。
高橋お伝、鼠小僧次郎吉の墓もあった。鼠小僧次郎吉の墓石を削り取ってご利益願うギャンブラーが絶えず、彼の墓は縮小してぼこぼこになっていた。

東京に来たというのに銀座にも行かず新宿にも行かず。気持ち悪い小塚原刑場巡りしてる私けったいな人。







最終更新日  2017.11.22 16:56:43
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