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2007.01.15
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テーマ:愛しき人へ(903)
カテゴリ:ひとり言
中学2年の時に同じクラスになってから・・・ずっと仲良くしていた友達が居ます。
毎日、学校で会っても手紙の交換も毎日なあの頃が懐かしい。

高校は友達は普通科、私は商業科のある別々の高校へ行きました。
それでも仲良しでした。
休みの時期に入ると一緒に出掛けたり、バイトもしました。
夏休みにはいつも泊りがけの海に行きました。

私は高校を出て就職、友達は美容学校に進学しました。
それでも仲良しでした。
一緒に映画に行ったりジャズダンスを習ったり・・・と仕事帰りや余暇もよく会いました。

友達も美容室に就職して、、なかなか休みが合わなくて、私がカットモデルに
なったりして、なんやかんや続いていました。
よく似ているらしく姉妹みたいだと言われた時期もあります。
身長は彼女の方が2センチ高く足のサイズは同じ。
手の形がそっくり~影に姿を映したらソックリ?!
顔は全然、似てはいないけど・・いつも似てると言われた。
私にとっては本当に信用の出来る心の友でした。

今ではお互い、結婚してしまい以前のようには会うことは少なくなりました。
最近は手紙がやっと。
私は大体年末に手紙を書きます。
そのお返事?だとは思うのですが・・・
彼女から手紙が来ました。

その中には、彼女のお父さんが去年の6月に前立腺ガンで亡くなったと。
具合が悪いのは知っては居たけど・・その文を見た途端、涙が溢れました。
私はお父さんと面識があります。
中学の時の高校受験の会場模擬テストを受けるのに立川(現・昭和第一学園)まで行く時に
何度か、乗せて行ってもらったりしました。
当時・・・本当のお父さんて子供のタメに、皆こうなんだろうな~と思ったものです。
私自身は父親は存在していたけど、家族や子供を大事にする父ではありませんでした。
家庭内暴力・・・別居していましたが時々、押しかけて来て母に暴力を振るいました。
幼い時から、いつもこんな光景の中で私は育ちましたので、臆病で小心者、何かにいつも
怯えてて萎縮していました。
いつ殺されるだろう?と思ったものです。
保育園時代は喋らなくて、、、小学校へ入ってから普通にやって行けるか心配な子でした。

父がやって来る時は我が家はまるで防空壕です。母は洗濯機の中に隠れたこともあります。
私も家を飛び出して、父が帰って行ったのを見計らって家に戻ったこともあります。
近くの友達の家に、、深夜助けを求めたこともあります。
でも深夜なので出てこない。
こんな状況が私が結婚した後も続いていました。

私はいつも友達が頼りでした。
父の暴力が始まると、友達の顔が頭に浮かび、言葉をこらえて心で助けを求めて泣きました。
仏壇の前で先祖に助けを求めて拝んだり、あらゆる神様に祈りました。

こんな家庭環境で育ったので、どんな他人のお父さんも私には良い人でした。
ごく普通のお父さんだったら・・もっとノビノビと育っただろうと思います。
何の不安もなく勉強に打ち込んで遊んで、もっと子供として楽しめただろうと思います。

遠回りになりましたが・・・
親友のお父さんが・・あの、優しいお父さんが亡くなったのかと思ったら
彼女への同情と共にさみしくなり、泣いてしまいました。

思春期で自分自身も家庭も難しい中で、友達が本当に支えだった。
私のワガママをいつも聞いて許してくれた親友。

手紙と一緒に、、娘への成人祝が入っていた。
余りにも意外なことで驚いたけど、気持ちがとっても嬉しかった!!

中学の制服を着ている姿を想い出すけど・・・もうあの頃には戻れない。
昔の親友も私も大人になった。

気心の知れた友達。
もう、貴方を越える友達は出来ないかもしれないけど・・・
それでいいんだと思った。







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最終更新日  2007.01.15 19:38:04
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