スティーブ・ジョブズと禅と荘子 その2。先日、京都に行ってきました。お目当ては、大徳寺と相国寺でした。 ちょうど、スティーブ・ジョブズが去年の夏に京都を訪れて、、、なんや、手裏剣騒動にすりかえられたんですが、おそらく彼は、あの辺を回ったんじゃないかと思います。 参照:当ブログ スティーブ・ジョブズと禅と荘子。 http://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/5010 今から50年以上前、アメリカの西海岸に住んでいた青年たちが、アジア各地に旅に出たんです。彼もそのうちの一人、ゲーリー・スナイダー(Gary Snyder)です。写真は1963年、京都の北区の喫茶店で撮影されたもののようです。(撮影したのは『吠える』のアレン・ギンズバーグ(Allen Ginsberg)。)ゲイリー・スナイダーは、カリフォルニア大学で中国文学を専攻していた人でして、寒山詩の英訳とかもしていたそうです。 彼は、京都の大徳寺や相国寺で修行しまして、禅仏教に没頭します。ジャック・ケルアックが『The Dharma Bums(達磨の導師・邦題は禅ヒッピー)』という小説を発表し、社会現象化していくわけですが、この小説のモデルがゲイリー・スナイダーです。 寒山唯白雲 寂寂?埃塵 草座山家有 孤燈明月輪 石床臨碧沼 虎鹿?為鄰 自羨幽居樂 長為象外人 ・・これは寒山詩の二九二。今のところネットで検索しても書き下し文はないです。ま、今の日本なんてそんなもん。 寒山詩の寒山ってのは、寒山拾得の寒山ですよ。 参照:The Dharma Bums http://en.wikipedia.org/wiki/The_Dharma_Bums HAN SHAN, THE COLD MOUNTAIN POEMS, tr. Gary Snyder http://www.hermetica.info/hanshan.htm 『寒山拾得』森鴎外著 青空文庫 http://www.aozora.gr.jp/cards/000129/files/1071_17107.html いわゆる、ビート・ジェネレーション、もしくはビートニク(Beatnik)と呼ばれる人々は、何かに突き動かされるように東洋へと向かいました。理由はそれぞれあったとしても、人間にとっての本質的な、内面的な問いを求めたんです。 参照:Wikipedia ビート・ジェネレーション http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%93%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%BB%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%83%8D%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3 ビートルズが1968年にマハリシ・マヘシ・ヨギに瞑想を学ぶためにインドへ行ったというのも、東洋思想に心の安定を求めた結果ではあるわけです。 若き日のスティーブ・ジョブズも、ヒッピーカルチャーにどっぷり浸かりまして、1974年にインドを放浪しています。彼の境遇は、決して恵まれたものでもなかったし、物質的なものでなく、精神的な内面的なものへの希求が、彼を東洋思想に引き合わせた要因ではあったんでしょう。しかし、ジョブズのインドでの体験は、巨大なカルチャーショックを受けたのみで、(おそらくは当時の若者たちが本音では求めていたような)精神的な境地にまでは至らなかったようです。 その後もジョブズの東洋思想への興味は尽きず、1974年、ジョブズはロスアルトスの禅センターで乙川弘文に出会い、彼に心酔して禅を始めます。 >それは1970年代半ばで、私がちょうど君たちの年代だった頃です。最終号の裏表紙は、朝早い田舎道の写真だったのですが、それはヒッチハイクの経験があればどこか見たことある光景でした。写真の下には "Stay hungry, Stay foolish." という言葉が書かれていたのです。 Stay hungry, Stay foolish. それが、発行者の最後の言葉だったのです。それ以来、私は常に自分自身そうありたいと願ってきました。そしていま、卒業して新しい人生を踏み出す君たちに、同じことを願います。 Stay hungry, Stay foolish. ハングリーであれ、バカであれ。 参照:スティーブ・ジョブズの感動スピーチ(翻訳) http://sago.livedoor.biz/archives/50251034.html スタンフォード大学でジョブズが引用した"Stay hungry, Stay foolish."というのは、日本人にとっては、本当にありふれたものでして、 種田山頭火の『愚を守る』でもいいし、尾崎放哉でもいいし、芭蕉でも、一茶でもいいんですが、要は禅なんですよ。日本でヒッピーやった人が「フーテン」と呼ばれるのも当たり前で、日本や中国では昔からやっていたことなんですよ。あきれるくらい昔から(笑)。 参照:当ブログ 世捨て人の系譜。 http://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/5063/ そして、同時にこれは、 樂也者、始於懼、懼故祟。吾又次之以怠、怠故遁、卒之於惑、惑故愚。愚故道、道可載而與之?也。(『荘子』 天運 第十四) → 音楽というのは、人を惑わせ人を虜にする。私は心の緊張を解き、世俗の苦しみから忘れさせるとともに、惑わせるのだ。惑いから愚へと誘う。愚には欲も知もないがゆえ、また道であり、道と共にある。 荘子の教えでもあるんです。 おかしなことを言っていると思われるかも知れませんが、 ボブ・ディランの『Subterranean Homesick Blues』とかは、ジョブズの言語感覚であり、禅の言語感覚に非常に近い、直感的なものなんですよ。タイトルもジャック・ケルアックの小説からだろうし。東洋思想がベースなんですよ。 参照:Bob Dylan - Subterranean Homesick Blues http://www.metacafe.com/watch/sy-187835137/bob_dylan_subterranean_homesick_blues_official_music_video/ そもそも、ディランの場合にはね。 参照: Bob Dylan - Blowin' In The Wind http://www.youtube.com/watch?v=vrQ4saKGI5k クィーンもね。 参照:Queen -- Bohemian Rhapsody with lyrics http://www.youtube.com/watch?v=XWE7boPU6kI >自分が死と隣り合わせにあることを忘れずに思うこと。これは私がこれまで人生を左右する重大な選択を迫られた時には常に、決断を下す最も大きな手掛かりとなってくれました。何故なら、ありとあらゆる物事はほとんど全て…外部からの期待の全て、己のプライドの全て、屈辱や挫折に対する恐怖の全て…こういったものは我々が死んだ瞬間に全て、きれいサッパリ消え去っていく以外ないものだからです。そして後に残されるのは本当に大事なことだけ。自分もいつかは死ぬ。そのことを思い起こせば自分が何か失ってしまうんじゃないかという思考の落とし穴は回避できるし、これは私の知る限り最善の防御策です。 >君たちはもう素っ裸なんです。自分の心の赴くまま生きてならない理由など、何一つない。 有漏路より 無漏路へかへる 一休み 雨ふらば降れ 風ふかば吹け 一休宗純 参照:一休さんと荘子。 http://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/5138/ 荘子逆読みのススメ。 http://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/005070/ The answer is blowing in the wind♪ 今日はこの辺で。 |