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人生朝露

人生朝露

荘子の造化とラプラスの悪魔。

荘子です。
荘子なんですが、どうですか?

湯川秀樹(1907~1981)。
湯川秀樹さんの続きです。

---------------------(以下引用)---------------------------------
『また余談になりますけれども、人間というのは非常に違う段階で同じようなことを考えている。非常に天才的な人というのは、同じようなことをずっと昔に考えているんですね。わたしはさっき李白の話をしましたけれども、李白の思想というのはだいたい荘子の思想です。その話を今日はしませんけれども、荘子というのは本の名前でもあり、人名でもあるわけですが、いろんな面白いことが書いてある。わたしは非常に好きでして、そこからいろんなヒントを得られたりする。
この『荘子』のある部分に、こういうことが書いてある。前後を省きますけれども、先ほど「天地は万物の逆旅なり」とありましたが、こんどは天地は大きな炉である。そして造化の神、これは人格神とかなんとか言うもんじゃない、非常に比喩的なものです。造化の神といえば、まあこれはクリエーターなんですけれども、キリスト教の神さんというようなものとは違って、荘子はもっと理論的にとらえているわけです。造化の神は鋳物師である。だから、人間といえども大きな炉から一つの鋳物として打ち出されたもので、自分が生きている間は人間らしくて、死んだらどうなるかようわからんけれども、今度はまた造化の神が炉の中へもう一遍ぶちこんで、今度は豚になるかも知れない。いろんなことがあるだろう。どうなるか知れんけれども、そんなことをいちいち気にしておってもしょうがないじゃないかというのです。ものすごく突き放した悟り方なんですけれども、ものすごく高級な思想ですね。しかし、生とか死とかいう問題は別として、まさにこれは物理学なんかで考えているような法則とか、あるいは物が原子でできているとかいうふうなことに対応している。残念ながら荘子のような天才は後継者ができません。彼ほどの天才は後から出ませんから、思想、学問の発達に直接つながっていませんけれども、じっさい彼はなかなか優れた科学者でもあるわけです。動物なんかの観察も非常に優れているわけです。そこから何か法則を取り出そうとしているわけです。』
(1974年10月「創造性について -同定と混沌-」湯川秀樹著作集〈4〉科学文明と創造性より)
---------------------------------(引用終わり)-------------------

これは、『荘子』の大宗師篇です。
Zhuangzi
『今之大冶鑄金、金踊躍曰「我且必為??」大冶必以為不祥之金。今一犯人之形、而曰「人耳人耳」夫造化者必以為不祥之人。今一以天地為大鑪、以造化為大冶、惡乎往而不可哉。成然寐、?然覺。』(『荘子』大宗師 第六)
→今、偉大な鋳物師が青銅を溶かして剣を作っているとき、ドロドロになっている青銅が「どうか私を伝説の名剣である??の剣にしてください」と叫んだとしよう。鋳物師は「できの悪い青銅だな」と思うことだろうよ。人だって同じように死ぬ間際になって「人間だ、人間以外に生まれたくない。」といえば、造化は「できの悪い人間だ。」と思うだろうよ。天地は大きな炉、造化は鋳物師だとすれば、次なる生はどんな形であったとしても構わないさ。身も心も安らかに眠り、ゆっくりと目覚めるだけだ。」

『火の鳥』 鳳凰編 84ページ。 『火の鳥』 鳳凰編 85ページ。
・・・『荘子』には生まれ変わりの思想があります。同時に、被造物の概念もあります。造化というのは、生と死の両方を司る存在です。そして、人間は次に何に生まれ変わるかについて選択権はありません。ま、当然です。「生まれたい」と思って生まれた人間はいません。選択権なく生まれたんですよね。選択権があるのは芥川の『河童』くらいです。たいがいが、ただ泣いていただけです。気づいたら人間として生きていた。

Zhuangzi
『意而子曰「夫無莊之失其美、據梁之失其力、黄帝之亡其知、皆在鑪捶之間耳。庸?知夫造物者之不息我黥而補我?、使我乘成以隨先生邪?」許由曰「噫、未可知也。我為汝言其大略。吾師乎、吾師乎、斉萬物而不為義、澤及萬世而不為仁、長於上古而不為老、覆載天地、刻彫衆形而不為巧。此所遊已。』(『荘子』大宗師 第六)
→意而子はこう言った。「無荘がその美貌を忘れ、拠梁がその力を誇らず、黄帝がその知力に頼らなくなったように執着を捨てたのは、皆大きな炉の中で鍛えられたからです。ならば、造物者は私の刑罰の証である刺青を消し、鼻そぎで切り落とされた鼻をくっつけて、傷一つない体で先生の下で教えを受けられるようにしてくれるのでしょうか?」許由はこれに答えて「ああ、それは分からないね。一つ大まかな話をすると、造化は、万物に生死をもたらしながらもそれを義と思わず、万物に恩恵を与えながらもそれを仁と思わず、上古の歴史よりも長寿でありながらもそれを老いとは思わず、天地を創りあげ、万物を彫刻しながらもそれを巧と誇らない。これは、造化の「遊」とするところものもだ。

ここはそのまま「造物者」とあります。許由の言葉を借りて、破壊と創造を繰り返しながらも、自らの功を誇ることのない芸術家としての造化。造化によって創造された世界は、造化の「遊」の結果であり、なんら人為的な意図の差し挟む余地がないということです。

『遊於?之?中、中央者、中地也、然而不中者、命也。』(『荘子』徳充符 第五)
→?(伝説上の弓の名手・げい)の射程内で遊べば、その中央は命中する場所だ。その場所にいながら彼の矢が中らないのは運命だ。

・・・申徒嘉(しんとか)という脚きりの刑罰を受けた男の発言に、?(げい)という神話の弓の名手が登場します。?(げい)の放つ矢は百発百中。?(げい)にとっては自分の矢が中るのは必然です。周りの人間にとっても必然です。ただし、この射程範囲内にいる人にとっては、「誰が射られるのか」は偶然と考えるものです。

京都大学の『湯川秀樹 創造的人間:東洋的思考から理論物理学へ』という映像に湯川さんの講演の様子が残っておりまして、YouTubeで流れていたんですが、どうやら消されたようなので、記憶を元に書きます。

湯川秀樹(1907~1981)。
『そもそも自然現象の不確定性というのは、非常に確率論的な手法・・・(言い換えて)考え方を上手く使っているわけですが・・・ どういうことかといいますと、ま、お月さんに行く話しをしてもよろしいが、例えば選挙のときに「選挙速報」というのがありますね。選挙のときにまだ投票も終わらないないうちに、当選確実と出る。なぜ「当選確実」と言うか、といいますと、当選が不確実だから確実というんや(笑)。これは、選挙の前にいろいろな調査をしまして、その結果が出る確率は100パーセントに近い、何パーセントかは知りませんよ、90パーセントか、99パーセントか分かりませんが、そういう計算をして、これは非常に100パーセントに近い、といういわゆる推定をしまして、まだ開票も終わらんうちに、当選確実と出る。・・・我々人間が今生きているというのは、毎日毎日「当選確実」できているわけです。「今日も自動車に轢かれなかった(笑)」。だからこうしてここにおんねん。明日轢かれんか?そんなこと分かれへん。しかし、ま、轢かれんやろう。だから明日も「当選確実」。そういう推定の中をこうして生きているわけです。大昔中国には老子とか荘子とかいう面白い人がおりまして、人間はあんまり賢くないほうがよろしい、馬鹿の方がよろしい、というようなことを言うておった。では、老子自身は自分が馬鹿だとは思っていなかったはずや(笑)。例えば老子はこんなことをいうておる「知る者は言わず、言う者は知らず。」ところが、老子の言うことは残っとるわけや(笑)。そこには大きな矛盾がある、矛盾があるにも関わらず、今の世の中を通してみますと、恐るべき真実が隠されておる。人間がいらんことしたから、賢くなんぞなったから、科学なんぞ進歩させたからこんなえらいことになんねん。人間が人間の奥の奥底まで知る事を恐れねばならん。』

・・・なんで、湯川さんが老子や荘子の話と同時に、造化と神との対比とか、確率の話をするのか、というと、『荘子』の「則陽篇」に「これ」あるからだと思われます。

Zhuangzi
『太公調曰「鶏鳴狗吠、是人之所知、雖有大知、不能以言讀其所自化、又不能以意其所將為。斯而析之、精至於無倫、大至於不可圍、或之使、莫之為、未免於物而終以為過。或使則實、莫為則虚。有名有實、是物之居。無名無實、在物之虚。可言可意、言而愈疏。』(『荘子』則陽 第二十五)
→「鶏が鳴く。」「犬が吠える。」といったことはどこの誰でも知っていることだ。しかし、鶏が勝手に鳴いた、犬が勝手に吠えたという出来事を、どんな知者であろうとも言葉では説明しつくせないし、また、鶏や犬が、今まさに何を考えているかも、言葉によってすべてを説明し尽くすことはできない。これを極限まで小さな分析しようとしても、極限まで広い範囲から考えてみても説明しつくせないのだ。物を基準に、有為である説と、無為である説とを言葉で議論しても、それは過ちにしか至り得ない。働きかけがあるとする説であれば、実在するとなり、働きかけがないとすると、虚無であるということになる。働きかけを行うものがあるとすると、「道(tao)」が物として存在することになり、働きかけがないとするならばすべてが虚の世界ということになる。言葉にすることが出来ることも、頭で考えることができることも、これを言葉で説明しようとすると、ますます真実から遠ざかることにしかならない。

参照:絶対者と荘子の造化。
http://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/5032

これって、西洋の確率論で言うと、「ラプラスの悪魔」なんですよ。

Pierre-Simon Laplace(1749~1827)。
「もし、ある瞬間における宇宙の全ての物質の状態を正確に把握する知識と、それらを計算する知恵が存在するならば、その知識と知恵をもつ者にとって不確実なことは何もなくなり、未来も過去も見通すことができるだろう。」 『確率の解析的理論(1812)』

参照:Wikipedia ラプラスの悪魔
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%83%97%E3%83%A9%E3%82%B9%E3%81%AE%E6%82%AA%E9%AD%94

参照:量子力学と荘子。
http://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/5057

2000年早いんですわ。

今日はこの辺で。


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