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人生朝露

人生朝露

「怪」を綴るひとびと その2。

荘子です。
荘子です。

上田秋成(1734~1809)。
『雨月物語』と荘子の続き。

参照:「怪」を綴るひとびと。
http://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/5107

『雨月物語』と荘子。
http://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/5113

『雨月物語』より「夢応の鯉魚」。

参照;夢応の鯉魚
http://mouryou.ifdef.jp/ugetsu/muou-no-rigyo.htm

『雨月物語』の「夢応の鯉魚(むおうのりぎょ)」を、元ネタの中国の白話小説ではなく、そのさらなる源泉たる『荘子』の寓話と対比しています。「夢応の鯉魚」での主人公の興義(こうぎ)が、夢の中で魚になり、魚としての生を楽しんでいたものの、餌の誘惑に駆られ、運悪く釣り上げられまな板の上の鯉になったところで目が覚めるという部分は、日本で最も売れたシングルの元ネタであります。

「およげ!たいやきくん」(1975)
参照:【動画】およげ!たいやきくん
http://www.youtube.com/watch?v=kmPCD4bwa2w&feature=related

日光東照宮 琴高仙人像。
「夢応の鯉魚」は、鯉に跨って空を飛ぶ仙人、「琴高仙人(きんこうせんにん)」が登場したり、道教において珍重される桃が出てきたりと、神仙思想や道教の影響が強い作品でもあります。しかし、「生と死」であったり、「夢と現実」であったり、「籠の中の鳥」「魚の楽しみ」などの要素は、『荘子』のテーマとも一致します。

参照:曳尾塗中と籠の中の鳥。
http://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/5085

荘子とクオリア。
http://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/5098/

で、もう一つ欲しいのが外物篇のこの寓話です。
Zhuangzi
『宋元君夜半而夢人、被髮?阿門、曰「予自宰路之淵、予為清江使河伯之所、漁者余且得予。」元君覺、使人占之、曰「此神龜也。」君曰「漁者有余且乎?」左右曰「有。」君曰「令余且會朝。」明日、余且朝。君曰「漁何得?」對曰「且之網、得白龜焉、其圓五尺。」君曰「献若之龜。」龜至、君再欲殺之、再欲活之、心疑、卜之、曰「殺龜以卜、吉。」乃刳龜、七十二鑽而無遺筴。打開字典顯示更多訊息。仲尼曰「神龜能見夢於元君而不能避余且之網。知能七十二鑽而無遺筴。不能避刳腸之患。如是、則知有所困、神有所不及也。雖有至知、萬人謀之。魚不畏網而畏鵜?。去小知而大知明、去善而自善矣。」嬰兒生無石師而能言、與能言者處也。』(『荘子』外物 第二十六)
→宋の元君が夜中に夢を見た。髪を振り乱した男が門の外から覗き込むようにして「私は宰路の淵というところから参りました。清江の使いとして河伯のところへ向かう途中、余且という名の漁師に捕らえられてしまいまったのです。」と訴えていた。元君はそこで目が覚めた。家来に夢占いをさせると、「それは神亀です」という。元君は「漁師の中に余且という名の者はおるか?」と尋ねると、左右の家臣が「おります」という。元君は「明日、その余且なるものを連れて参れ」と命じた。翌朝、余且に「漁をして何を獲った?」と尋ねると、余且は言った「私の網に白い亀がかかりまして、その大きさは五尺四方にもなります。」「ならば、その亀を献上せよ」と元君は命じた。その亀を元君は、殺すべきか、生かすべきかを悩んだ末、占いに頼ることにした。占いでは「亀を殺して、その亀で占えば吉」との結果が出た。そこで、亀の甲羅を裂き、占ってみると七十二回ともハズレがなかった。この話について仲尼曰く「この神亀は元君の夢枕に立てるほどのちからがありながら、漁師の網から逃れるちからすらなかった。七十二回も未来を的中させながらも、腸をえぐられる苦しみから逃れるちからがなかった。このように、知にも人知を越えたちからにも行き詰まるものがあり、人知を越えたところで俗人の網にかかるものだ。魚は、鳥におびえていながら、人の網を恐れることを知らない。さかしらな知に囚われず大いなる叡智と共にあり、世俗の善を捨てされば、自ずと善のこころが芽生える。赤ん坊が生まれたままの状態から、大先生の教えなど請わずに立派に言葉を話せるようになれるのは、ただ、話のできる者と共にいたからだ。」

『火の鳥 鳳凰編』茜丸の夢 その1。 『火の鳥 鳳凰編』茜丸の夢 その2。
・・・雑篇にさらりと載っているすごい寓話です。漁師の網に捕らわれ、その声なき叫びを宋の元君の夢枕に届けたり、未来を的中させるだけの神通力を持った亀が、「未来を占うのに役に立つ」という理由で、無惨にも殺されてしまいます。前半の「元君の正夢」の部分は「夢応の鯉魚」のものと一致します。

よくよく読んでみると気づくと思います。この亀は、決して一匹ではなかったようでして、
ミヒャエル・エンデと亀。
ある時は亀好きの作家に拾われて、ある女の子の大切な友人となります。

≪なぜわたしの本にはいつも亀が出てくるのかと、よく問われる。そう問われてはじめてこの事実に気づいたことを告白しなければならない。実を言えば、どの亀(“ウシャウリシュウム”“モーラ”“カシオペイア”“トランキラ”など)も、いわばもっぱらおのずからあらわれたのだ。わたしが意図したわけではない。ここで神話やおとぎ話の絵言語を見れば、この問いの、少なくとも部分的な答えになるのではないか。
 世界の神話には亀がやたらと出るものだ。北米インディアンのノアは、旧約聖書のノアのような箱船ではなく、家族を引き連れて巨大な海亀の背に乗り、大洪水の難をまぬがれる。インドの神話では世界は宇宙の亀の甲羅の上に乗っている。『易経』という、変転について記した中国の書を開けば、漢字の原型といわれる六十四の原六角形は先史時代の賢者が、ある亀の甲羅のここの六角パターンから読みとったと書かれている。(『モモ』の読者はカシオペイアの連絡方法を思い出すのではないか)。このような例はいくらでも見つけることができる。
 私が個人的に亀(ここでわたしがいう亀とは地中海の陸ガメ)において好ましく感じている点は次のことだ。
 一、その全くの無用性。亀は自然界に友も敵も持たない(もちろん人間を除いてだが。こんにち人間は全ての被造物にとって、最も危険な敵になってしまったが、“自然に生じた”天敵ではない)。亀は誰の役にも立たず、誰の害にもならない。亀はひたすらそこにいるだけである。このことは「全てが効用から説明される」という、現代の世界像の中で、特筆すべきほっとする事実だと思う。
 二、その無欲。亀は生きてゆくのにほとんどなにもいらない。一日に葉っぱが二,三枚あれば、それだけで何週間も何ヶ月も生きることができる。(以上『エンデのメモ箱』「亀」より引用)≫

甲骨文字。
何度も言いますが、荘子は占いを信じることを否定しています。

参照:亀甲獣骨文字
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%80%E7%94%B2%E7%8D%A3%E9%AA%A8%E6%96%87%E5%AD%97

ミヒャエル・エンデの父、エドガー・エンデはシュールレアリズムの画家でして、ユングの影響で禅や老荘思想に没頭していた人でもあります。ミヒャエル・エンデの東洋趣味は、幼い頃に父親に聞かせてもらった東洋の寓話を下地にしています。『エンデが読んだ本』の最初に『荘子』があるのは、自然のなりゆきです。

参照:ユングと鈴木大拙。
http://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/5095

エヌマ・エリシュと老荘思想。
http://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/5051

泥の中の亀なんてのも、エンデの作品にでてきますが、亀は『荘子』を代表する動物です。

≪子安 ああ、それで、エンデさん、あの「モモ」という女の子の名前ですが、日本の読者はみんな、エンデさんが「桃」という日本語を知っていたのだろうかと思うんです。でも、ご存じなかったそうですね。
エンデ 知りませんでした。でも、それだけにあとで日本に行ったとき、「桃」だと知ったときのよろこびは大きかった。「モモ」という名前は、本を書こうと思ったときの私に、ただむこうからやってきたのです。
子安 それも、エンデさんのありとあらゆる過去の総和から、やってきたのかもしれませんね。とにかく日本人から見て、ふしぎな感情をよびおこされます。日本には「モモ」「モモコ」などの名前はめずらしくないし「モモタロウ」という物語もあります。それからカメが彼岸と此岸を仲介する役目になっているお話もあるんです。モモを時間の国につれていくカシオペイアのように、ウラシマタロウという少年をカメが龍宮城に案内する--でも、そんなことをまったく知らなかったエンデさんのお話とのふしぎな一致がおもしろい。
エンデ ええ、きょうもさんざん話したように、私たちが因果論の思考から自由になるとき、あらためて見直さなければならないのは、「一致」という事実のうえに立つことです。その意味で、私には私の本をいろいろ解釈してくる人たちにたいして、正しいとか、まちがいだ、という判断をくだすのがむずかしくなります。たいていの人は、私自身が知らなかったことを、知っていたのだろう、というふうに因果論的に結論づけようとするのです。では、私が知らなかったのだから、その解釈がまちがいか、というと、それはわかりません。ひょっとしたら正しいのかもしれません。『エンデと語る 作品・半生・世界観』より≫

ちなみに、桃は中国語で“tao”と発音します。

参照:Kung Fu Panda a Gift
http://www.youtube.com/watch?v=KhYMwUwR7ZM&feature=related

Shifu & Oogway
http://www.youtube.com/watch?v=T_Og8K81M6E&feature=related

カンフーパンダと荘子。
http://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/5104

今日はこの辺で。


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