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人生朝露

人生朝露

長岡半太郎と荘子 その2。

荘子です。
荘子です。

長岡半太郎(1865~1950)。
今回は「長岡先生の休学」という湯川さんのエッセイを。

≪人間の一生の中のある時期に自分の生きてゆく道がきまる。少なくとも一度は、どの道をえらぶかについての決定がなされねばならぬ。
 といっても、もちろん自分で決断する機会があたえられるとは限らない。親のいうとおりにしたとか、自分で考える能力のない小さい時に道がきまってしまっていたとか、あるいは経済的な事情によって、自分の希望する道が到達不可能だったとかいう場合が、過去においては非常に多かったであろうし、今日でも少なくないであろう。
 私などは仕合わせな人間で、大学教育を受けうる家庭的環境の中で、高等学校在学中に、自分の意思で物理学者として一生をすごすという決断をすることができた。それは大正の末期であった。それは私にとって、そんなにむつかしい決断ではなかった。
 それにくらべると、私よりずっと前の年代、特に明治二十年ごろ以前に青年期を迎えた人たちが、科学者となる決断をするのは、容易なことではなかったはずである。なぜかといえば、私たちの時代には、すでに多くの先輩の日本人科学者が実在していたのに反して、明治二十年ごろ以前には、科学に関しては、外国の学者から教えてもらって習い覚えるとか、外国の研究を追試するとかいう以上のことが、まだほとんど何もなされていなかったからである。そういう時代に科学者となる決断をするに至った青年たちの心境は、どんなものだったのか。
 人によって、また選んだ専門によって、いろいろな違いもあったろうが、しかし、それらの間の違いよりも、それらと私たちの場合との違いの方がずっと大きいのではないか。そんなことをかねがね私は漠然と考えていた。
 ところが、つい先ごろ私はこの点に関する非常に興味ある文献が残っているのを知った。それは長岡半太郎先生が八十五歳でこの世を去られる数年前に書かれた「中学卒業後の指針」と題する開成中学での講演の原稿である。(その一部が日本科学技術史体系第八巻に収録されている)その中に次のような文章がある。(但し一部の漢字はもっとやさしい漢字または「かな」に直した。傍線や。はそのままである)

 私の時代には大学に入る予備校すなはち今の高等学校には、文理の区別はなく、今日より選択には幾分の余裕が存しましたが、私は一時相当に苦しみました。(中略)大学に入りて一年経過いたしましたとき、多少欧米で研究された事項を了解いたしましたが、自分は他人のなした後を追うて、外国から学問を輸入し、これを日本人間に宣伝普及する宿志ではありませんでした。必ずや研究者の群れに入りて、学問の一端を啓発せねば、男子に生まれた甲斐がない。
 
 ここまでは、私が物理学の研究者になろうと志したのと、大して変わりはない。大正末期と明治二十年ごろとの大きな違いは、その次の文章に、はっきりと現れてくる。

 東洋人は研究に堪能でないか否やを明白にして、しかる後おもむろに将来の方針を一定するが得策であると考へました。まだ春秋に富んでいるから、一年を棒に振ったところで損をすることは僅かである。もしあやまてば取り返しのつかぬ事態に遭遇するから、決然一年休学を願い出て、支那における科学に関する事項を調べてみました。

 はじめて、この文章に接した時の私は、驚愕の念を禁じえなかった。二十歳になるやならずの青年が、自分の前途を決定するために、決然として大学生としての一年間を棒に振る。常人の考えることではない。考えても容易に決行できることではない。
 さて大学生、長岡半太郎氏の休学一年間の調査の結果は、次の文章で示されている。

 〔支那における渾天儀(天文観測機)、暦法、指南軍(黄帝)、北光の観測(山海経)、有史以前に属します。○戦国時代恒星表(石氏、甘氏)、太陽黒点(?)、天の蒼々たる、これ本色か(荘子)、微分の観念(恵施)、共鳴の実例(荘子)、雷電の説明(荘子)、エネルギーの概念(荘子)(二千三百年前)、金属の研究、○銅錫の合金(礼記、周公、二千九百年前時代)、鉄製刀剣(二千二百年前)。大砲と解釈される霹靂車、すなはち火薬の利用(千七百五十年前)。ことごとく支那独創的のもの。ギリシャ、ローマより渡来せるにあらず。〕

 かくして得られた結論は、

 これほどの研究があるからには東洋人でもこれに専念すれば終に欧米に遜色なきに至らんと確信を得るに至りました。これが私をして物理学に執着するに至らしめた根源であります。

 長岡先生の出発点が、このようであったればこそ、果たして明治三十七年(一九〇四年)には世界の物理学者に先駆けて原子模型に関する論文を発表するに至ったのである。
今にして思えば、このような大先輩を日本人の中に見出していたことが、大正末期の高校生であった私をして、迷うことなく、物理学研究の道を選ばしめる要因の一つとして大きく作用していたのではなかろうか。
 最近の中国古代の科学史の研究の成果が、長岡先生の調査結果を、どこまで裏書しているかについて、私はまだ詳しく検討していないが、少なくとも「当たらずといえども遠からず」といってよいであろう。先生は特に「荘子」が好きであったらしいが、私自身も「荘子」の愛読者である。そこには偶然の一致以上の理由があるに違いない。
 この講演の原稿の最後は、もしも調査結果が思わしくなかったと仮定した場合、どの道を択んだであろうかと問われたなら、 

 恐らく東洋史を攻究したらうと思ひます

 という文章で終わっている。
 この数年来、日本や東洋や、さらには人類全体の歴史に対する関心が、とみに強まってくるのを感じている私は、この最後の文章にも「なるほど」と相槌を打ちたくなるのである。(以上 『湯川秀樹著作集6 読書と思索』「長岡先生の休学(昭和四十二年二月)」より≫

Joseph Needham(1900~1995)。
長岡さんがなさっていることというのは、後のジョセフ・ニーダムの研究に先駆けてなされておりまして、そこも興味深いです。古代中国にあっても、漢代の張衡とか、科学者としても優秀な人材を輩出しております。

参照:張衡 (科学者)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%B5%E8%A1%A1_(%E7%A7%91%E5%AD%A6%E8%80%85)

・・・長岡さんが挙げているもののうち、『荘子』から得られるものをいくつか。

〔天の蒼々たる、これ本色か(荘子)〕
Zhuangzi
『天之蒼蒼、其正色邪。其遠而無所至極邪、其視下也亦若是、則已矣。』(『荘子』逍遥遊 第一)
→空が青々としているのは、「本当の空の色」なのだろうか?限りなく遠いところにあるから青く見えるのではないだろうか?鵬の高みから見下ろせば、この大地は青一色なのだろう。

『民食芻拳、麋鹿食薦,且甘帯、鴟鴉耆鼠、四者孰知正味』(『荘子』斉物論 第二)
→人間は、家畜を食べ、シカは野草を食べ、ムカデはヘビを美味いとするし、トビやカラスは鼠に舌鼓を打つが、ヒト、シカ、ムカデ、カラスのうち、本当の美味を知っている者はだれだろう?

ここは「レイリー散乱」および「クオリア」。

参照:荘子とクオリア。
http://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/5098

〔雷電の説明(荘子)〕
Zhuangzi
『木與木相摩則然、金與火相守則流。陰陽錯行、則天地大?、於是乎有雷有霆、水中有火、乃焚大槐。』(『荘子』外物)
→木と木が摩擦すると火を起こし、金と火が互いにいると金は熔けて流れ出す。陰陽の気が乱れると、天地の間に大きな変化が生まれる。そこで雷鳴が轟き稲妻が走り、雨中にありながら、大木を焼く。

・・・この場合の陰陽の気は、電気としか言いようがないですよね。

〔共鳴の実例(荘子)〕
Zhuangzi
『魯遽曰『是直以陽召陽、以陰召陰、非吾所謂道也。吾示子乎吾道。』於是為之調瑟、廢一於堂、廢一於室、鼓宮宮動、鼓角角動、音律同矣。夫或改調一弦、於五音無當也、鼓之二十五弦皆動、未始異於聲、而音之君已。且若是者邪?」(『荘子』徐無鬼 第二十四)
→魯遽曰く「これは、陽を以て陽を招き、陰を以て陰を招いているだけで、それは私の言う道ではない。試しに、我が道を見せてみよう。そう言うと魯遽は琴の調律をして一つの堂に置き、もう一つの琴を別の堂に置いた。一方の琴を弾いてみると、もう一方の琴の弦が動き、もう一方の琴を弾くと、元の琴の弦が動いた。これは、双方の弦の張りと調律が合っているからである。そこで今度は一つの弦の調律をわざと外し、どの音階にも合わせないで弾いてみると、他の二十五の弦が一斉に振れだした。最初の例と後の例とでは音という点では異ならないが、異なるのは音階というものだけだ。

[太陽黒点(?)]
太陽黒点に関しては、ヤタガラスの元ネタ「踆烏」かなと思います。

参照:ユングと河合隼雄の道。
http://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/5092

・・・ここで注目したいのが、長岡さんの場合、湯川さんと違って荘子の友人・惠施(けいし)にまで視点があるところです。惠施(恵子)は多くのパラドックスを扱った古代中国の論理学派、名家の出身でして、「堅白の理論」「白馬非馬説」などの名家の理論は荘子にも取り込まれています。しかも、惠施の理論というのは『荘子』という書物にしか、現在は残っていないんです。単なる引き立て役ではありません。

〔微分の観念(恵施)〕
恵施(Hui Shi)。
『飛鳥之景未嘗動也、鏃矢之疾而有不行不止之時、狗非犬、?馬、驪牛三、白狗黒、孤駒未嘗有母、一尺之捶、日取其半、萬世不竭。辯者以此與惠施相應,終身無窮。』(『荘子』天下 第三十三)
→飛ぶ鳥の影は未だかつて動いた試しがない(影は飛ぶ鳥の跡なので、その時々の鳥の跡が映っているだけで、厳密には連続して動くことができない)。疾風のような矢が、飛んでもいなければ、止まってもいない時がある。(中略)一尺の鞭を毎日半分ずつ切って捨てても、永遠に鞭がなくなることはない。

東洋のゼノンと言われるだけあって、恵施については難解なのでいずれ。

参照:名家 (諸子百家)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%8D%E5%AE%B6_(%E8%AB%B8%E5%AD%90%E7%99%BE%E5%AE%B6)

今日はこの辺で。


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