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人生朝露

人生朝露

ディックとル=グウィンの夢と現実。

荘子です。
荘子です。

今回も、ル=グウィンと荘子です。

参照:アーシュラ・K・ル=グウィンと荘子。
http://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/5164/

アーシュラ・K・ル=グウィンと荘子 その2。
http://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/005165/

『天のろくろ.(The Lathe Of Heaven 1971)アーシュラ・K・ル・グウィン著
彼女が1971年に発表した『天のろくろ』について、彼女の友人であったSF作家、フィリップ・K・ディックは、このように論評しています。

フィリップ・K・ディック(1928~1982)。
"One of the best novels, and most important to understanding of the nature of our world, is Ursula Le Guin's The Lathe of Heaven, in which the dream universe is articulated in such a striking and compelling way that I hesitate to add any further explanation to it; it requires none."(最高の小説の一つであり、わたしたちの世界の自然を理解するために最も重要な作品は、アーシュラ・K・ル=グウィンの『天のろくろ』です。この小説では、夢の宇宙が、思わず引き込まれそうな手法で描かれているために、この作品について改めて説明を加えることに、ためらいをおぼえます。そんな必要など全くないのですが・・・)

・・・1976年にフィリップ・K・ディックが行った『人間とアンドロイドと機械(Man,Android,and Machine)』という講演の中のものでして、PKDが、自身の作品における夢に代表される「無意識」の位置づけと、ル=グウィンの『天のろくろ』との関連性について述べています。

トータル・リコール(Total Recall 1990)。 天のろくろ(The Lathe of Heaven 1980)。
『天のろくろ』とPKDの作品で対比しやすいもの言うと、『トータル・リコール』の原作、『追憶売ります(We Can Remember It for You Wholesale 1966)』が挙げられます。『トータル・リコール』の場合は夢の中で記憶を書き換えるものですが、『天のろくろ』は、夢が現実を作り上げるという小説で、インプットとアウトプットが、ちょうど合わせ鏡になっています。

ホルヘ・ルイス・ ボルヘス(Jorge Luis Borges 1899~1986)。

参照:ボルヘスと荘子。
http://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/005163/
こういった主題について、PKDとル=グウィンの共通の主題として「ボルヘスとの関係性」を説く場合もありますが、ボルヘスだって荘子からの影響があります。

『追憶売ります(We Can Remember It for You Wholesale 1966)』。
≪「なあ、おれは火星に行ったのか?教えてくれないか、おまえなら知っているだろう」クウェールはそうたずねた。 「行くもんですか。行けるはずがないじゃない。それぐらいあんただって分かってるはずでしょ?いつだって行きたい行きたいって泣き言並べてるんだから。」 「それがなあ、じつは行ったような気がするんだ」一呼吸して、つけたした。「一方でまた、実は行かなかったような気もする」 「どっちかに決めたら?」 「決められるものか」彼は頭を指さした。「この頭の中には、二通りの記憶が刻みつけられているんだ。一方は現実、一方は非現実。だがおれにはどっちがどっちだか分からん。」(以上フィリップ・K・ディック著『追憶売ります(We Can Remember It for You Wholesale 1966)』 浅倉久志訳 より)≫

参照:日曜洋画劇場 / トータル・リコール
http://www.youtube.com/watch?v=BUlhlp-M6rE

『天のろくろ』(The Lathe of Heaven 1971)。
≪彼の声は次第にかすれてきていたが、ここでまるっきり詰まって出なくなってしまった。
「ぼくは無事でした」と彼はやっと言葉を続けた。「ぼくは家にいるところを夢に見ました。眼を覚ましてみると、ぼくは無事だったんです。ぼくは家のベッドの中にいました。もっともそれはほかのとき、最初のときにぼくが住んでいた家ではありませんでした。あのひどい時代とは違っていたんです。おお、神よ、こんなことを思い出さなければよかった。ほとんど思い出すことはないんです。というか、とても思い出せないんです。ぼくはそれ以来あれは夢なんだと自分に言い聞かせてきました。あっちが夢なんだと!でも違うんです。夢はこっちなんです。これは現実ではありません。この世界は可能性の範囲にすらないものだったんです。あれが現実だったんです。起こったのはあっちなんです。ぼくらはみんな死んでおり、死ぬ前に世界をすっかり駄目にしてしまったんです。何も残ってはいません。夢だけです」
 ヘザーは彼の言うことを信じたが猛烈な勢いでそれを否定した。「だからどうだっていうの?たぶん昔からそうだったんじゃない?これがなんであろうとかまやしないわ。あんたは自分がするべきでないことをすることが許されているなんて、思ってやいないでしょ?いったい全体自分を何様だと思っているのよ!噛み合わないことなんて一つもないし、起こるはずのないことなんて何も起こっちゃいないわ。ひとつもよ!現実だろうが夢だろうがそれがどうだっていうの?みんなひとつよ。---そうでしょ?」(アーシュラ・K・ル・グィン著『天のろくろ(The Lathe Of Heaven 1971)』ブッキング刊 脇明子訳)より≫≫

参照:The Lathe of Heaven (1980) (trailer)
https://www.youtube.com/watch?v=sbs3Y2HSoiw

現在でいうところの「サイバーパンク」というSFのジャンルの草分け的な作品ですが、この二人の作家同士の肝胆相照らす間柄は、その後のお互いの作品の進行にも寄与しています。老荘思想の理解についてもまた然り。
アーシュラ・K・ル・グイン(1929~)。 フィリップ・K・ディック(1928~1982)。
≪ル・グインやわたしの作品のこうしたテーマは、考えてみれば恐ろしいことです。夢とは何でしょう?別の星(ミズ・ル・グインの小説中のアルデバラン)からやってきた夢宇宙の生命体などというものが本当にいるでしょうか?UFOは地球人の心が変圧器として働いたものか、こうした不可思議な夢宇宙の生命体の変圧器として働いて投射したホログラムなのでしょうか?
 この一年間、私は多くの夢を見ました。それらは表面的には--「表面的」と強調したいのですが--私の頭の中のどこかでテレパシー交信が行われているようでした。しかし、オーンスタインが盟友であるヘンリー・コーマンと話し合ったあとでは、その交信は右脳と左脳がマルティン・ブーバーの「我と汝」的な対話を交わしているだけだと考えるようになりました。けれど、夢の素材の多くは私の能力では作り出せそうにもありませんでした。あるとき私は、複雑な工学原理を書き留めるように夢の中で命じられました。その原理というのは丸いモーターで、一対の輪がそれぞれ逆方向に回転していて、道教における陰と陽に(エンペドクレスが弁証法的な世界の相互作用として見た愛と苦しみに)よく似ていました。しかし、夢の中では正真正銘の工学装置だったのです。私はそれを見せられ、こう言われました。「この原理はあなたの時代にも知られていた」。私が急いで鉛筆を見つけようとしていると、さらにこう言われました。「知られてはいたが地下室に埋められ、忘れ去られた。」(『フィリップ・K・ディックのすべて』「人間とアンドロイドと機械(Man,Android,and Machine)」より≫

Pakua。
≪暖かみをおびたやさしい顔と思慮深い目をした私たち人間は、ひょっとすると本物の機械かもしれないのです。私たちの周囲にある事物、とくに私たちが作り上げる電子工学のハードウェア、送信機、マイクロ波中継ステーションや人工衛星といった構築物は、生きた現実を隠す外套かもしれないのです。私たちはすべてを変形させるヴェールを見ているばかりでなく、万物を逆さまに見ているかも知れません。おそらく真実にもっとも近いのはこういうことでしょう。つまり「万物は平等に生き、平等に自由で、平等に意識を持っている。なぜなら万物は生きていないとしたら、半分生きているか、半分死んでいるか、いやむしろ生きさせられているからである」電波信号が送信機によって伝達され、いろいろな部分を通り抜け、調節され、増幅され、波形が変えられ、ノイズが除去されます。私たちは、科学者が放射性物質をつまみ上げる金属の腕のような延長部分なのです。私たちは望むがままに物体をそこかしこに動かすために神がはめる手袋なのです。なんらかの理由で神は現実をこんなふうに取り扱うことにしたのです。
 私たちは、神が作って着用し、使い、最後には脱ぎ捨てる衣服なのです。私たちはまた甲冑でもあります。その甲冑の中には蝶がいて、その蝶に別の星からの信号が伝えられます。いま私が執筆している(たぶん夢見る者が私をとおして自分を表現している)小説では、その星はアルベマスと呼ばれています。このアイデアが浮かんだときには、まだミズ・ル・グインの小説『天のろくろ』は読んでいなかったけれども、その小説の読者なら、私たちは広大なグリッドの内部のステーションについて、しかもそれに気づいていないと私が言った意味が分るでしょう。(同上)≫

荘子 Zhuangzi。
『昔者荘周夢為胡蝶、栩栩然胡蝶也、自喩適志與。不知周也。俄然覚、則遽遽然周也。
不知周之夢為胡蝶與、胡蝶之夢為周與。周與胡蝶、則必有分矣。此之謂物化。』(『荘子』 斉物論 第二)
→昔、荘周という人が、胡蝶になる夢をみた。ひらひらゆらゆらと、夢の中では当たり前のように胡蝶になっていた。自分が荘周という人間だなんてすっかり忘れていた。ふと目覚めてみると、まぎれもなく荘周に戻っていた。荘周が夢の中で胡蝶になったのか、胡蝶が荘周になった夢をみたのか、分からない。荘周と胡蝶にはきっと区別があるだろう。これを「物化」という。

今日はこの辺で。


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