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人生朝露

ブルース・リーと荘子。

荘子です。
荘子です。

李小龍(Bruce lee 1940~1973)。
ブルース・リーをやっています。

参照:ブルース・リーと東洋の思想  その4。
http://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/5183/

日本語版『The Tao of Gung Fu』は「李小龍大全―ブルース・リー・ライブラリー 」の分冊のうちの一冊『グンフーへの道(中国武道の研究)』というタイトルで1998年に出版されております。今回は、これを引用いたします。
“The Tao of Gung Fu”。
≪人は宇宙の根本的な原則に、反逆するのではなく、調和しなければならない。これは、不自然で自発的でないことをいっさいするなということだ。重要なのはどのようなかたちでも力まないことである。この最良の例が、一本の包丁を20年にわたって使い、一度も取り替える必要がなかったコックだろう。長年の習慣で、自分が切ろうとしている屠体の骨と筋に通じているコックは、視覚その他の感覚を閉じ、使い込まれた包丁を心でふるうことができる。彼の方法はさまざまな部位に逆らうのではなく、それらに沿って事を進め、そうして自然にしたがうというものだ。
 心と身体の統一によって、報酬にまつわるすべての考え、賞賛への期待と非難に対する恐怖、自己の肉体に関する全ての意識が捨て去られ、最終的には感覚による認識の道が閉じられ、スピリットの欲するがままに行動できるようになる。(ブルース・リー著・奥田祐二訳『グンフーへの道(中国武道の研究)』「中心の思考-グンフーの指針」より)≫

横山大観画「游刃有余地」。
ブルース・リーが言っているコックの話は、『荘子』の養生主篇にある庖丁(ほうてい)という料理人のお話のことです。横山大観の「游刃有余地(ゆうじんよちあり)」で描かれている人物です。自分が調べた限りでは、ブルース・リーは、この寓話を三度引用していますが、残念ながら一度も『荘子』からとは言っていませんで、欧米の読者などには理解不能な喩えだったと思われます(笑)。

荘子 Zhuangzi。
『庖丁為文惠君解牛、手之所觸、肩之所倚、足之所履、膝之所踦、砉然嚮然、奏刀騞然、莫不中音。合於《桑林》之舞、乃中《經首》之會。文惠君曰「譆!善哉!技蓋至此乎。」庖丁釋刀對曰「臣之所好者道也、進乎技矣。始臣之解牛之時、所見无非牛者。三年之後、未嘗見全牛也。方今之時、臣以神遇、而不以目視、官知止而神欲行。依乎天理、批大郤、導大窾、因其固然。技經肯綮之未嘗、而況大軱乎。良庖歲更刀、割也。族庖月更刀、折也。今臣之刀十九年矣、所解數千牛矣、而刀刃若新發於研。彼節者有間、而刀刃者无厚、以无厚入有間、恢恢乎其於遊刃必有餘地矣、是以十九年而刀刃若新發於研。雖然、每至於族、吾見其難為、怵然為戒、視為止、行為遲。動刀甚微、謋然已解、如土委地。提刀而立、為之四顧、為之躊躇滿志、善刀而藏之。」文惠君曰「善哉!吾聞庖丁之言,得養生焉。」』(『荘子』養生主 第三)
→庖丁(ほうてい)が文惠君のために牛を捌くこととなった。庖丁の手の落とし、肩の運び、足の踏み込み、膝のたわみ。操る刀はあるときはさくさくと、またあるときはざくざくと音を刻み、その動きは「桑林」の舞を踊っているかのようであり、そのリズムは「經首」の音楽の調子に合っていた。文惠君は「おお!素晴らしい!技も至ればここまでのものになるのか。」と言った。
 庖丁は刀を置いて文惠君に向かって話し出した。「臣の好むのは道といいまして、技を進めたものでございます。わたくしが牛を捌き始めたとき、見たままの牛をただ眺めていただけでした。三年ほど経ちますと、見たままの牛の姿が目に映らなくなりました。現在、わたくしは心で牛と対し、目で牛をみることをいたしません。五感で牛を知ることを止め、心でとらえて、そのおもむくままに刀を進めるのです。天の理に従って、大きな隙間に刃を入れ、大きな穴へと導きます。牛の本来の身体の筋道に沿っておりますので、骨と肉が絡み合ったところに突き当たることも、ましてや、硬い骨にぶつかることもございません。良い料理人は一年ごとに刀を換えます。筋に逆らって切ってしまうからです。月並みな料理人は一月ごとに刀を換えます。骨にぶつけて刃こぼれをさせてしまうからです。いま、わたくしはこの仕事を十九年続け、およそ千頭の牛を捌いて参りましたが、わたくしの刀は新しく研いだばかりのような切れ味を保っております。牛の節と節との間には隙間があり、刀の刃の先には厚さはございません。ゆとりのある場所に、厚みのない刃を遊ばせているわけですから、十九年使い続けても、私の刀はおろしたてのようなままでいるのです。しかし、筋と筋とが混み合っているような難しい場所に直面することもございます。わたくしは不安な気持ちを戒め、視線を先に走らせるのを止め、刃を遅らせます。刀を極めて細やかに動かすうち、やがて、ぼとりと肉が骨からこぼれ落ち、土の山のように地面に横たわります。わたくしはあたりを見回して、じっとしたまま充足感にひたり、後に刀を拭いて鞘に収めます。」
 文惠君いわく「見事じゃ!ワシはこの庖丁の話に養生を秘訣を知った!」

マグロの解体。 ラーメンを伸ばす料理人。
現代の日本でもイメージをし易いお話だと思います。マグロの解体とか、あんこうの吊し切りがショーになったり、麺を作る工程をお客さんに披露するというようなものです。人間ってこういうことを紀元前からやっているんですね。

参照:Discovering Chinese cuisine Part 2 - Culinary knife skills
http://www.youtube.com/watch?v=sijUq_Gxyu4

Chinese chef forms noodles by hand - Pretty damn amazing
http://www.youtube.com/watch?v=VzHtPyqUll0

中国嫁日記 なぜ「拉」?
http://blog.livedoor.jp/keumaya-china/archives/51398889.html

『荘子』に登場する「庖丁(ほうてい)」の「庖」は、固有名詞ではなく官職の名前で、歴史的、政治的、宗教的な意味が推測できます。
漢字「祭」。 漢字「宰」。
たとえば、「祭」という漢字は「月+又+示」と書きます。「月(にくづき、肉の意。腕・脚・胸・腹などの漢字にある月)+又(手)+示(祭壇)」からできた象形文字で、祭壇に肉をお供えするという意味があります。
「宰相」の「宰」の字は一説には「家の中で刃物を持つ人」という形で、祭りの犠牲になった貴重な肉を公平に切り分ける人という意味から、長老のような人物を指すようになったとされています。
古代中国の文物には、当時の祭祀から育まれたものが数多くありますが、牛を解体するという仕事も、おそらくは祭祀から派生したものであると思われます。お祭りの犠牲を仕分けるという仕事は、「富の再分配」のもっとも根本的な様式であり、「庖」という役職は、そこから専門化した特殊な官職だとも言えます。ただし、そのことを踏まえたとしても、「紀元前の庖丁」も、現代の「職人としての料理人」も、本物であるならば、プロフェッショナルとしての志は同じでしょう。

漢字「庖丁」。
いつの間にか役職の名前から道具の名前に転用されてしまいましたが、現在でも使われる日本語の「庖丁(包丁)」は、この人物のに由来します。文字通り正真正銘の「庖丁さばき」の達人は、文恵君に対して「臣之所好者道也、進乎技矣。」と言っています。「技を進めた道」という境地です。例えば、日本で言うと平安時代にまで遡る「四条流庖丁道」などは、名称から言って『荘子』のこの文章に触発されたものであろうと思われます。

参照:Wikipedia 包丁
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%85%E4%B8%81

Wikipedia 四条流庖丁道
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%9B%E6%9D%A1%E6%B5%81%E5%BA%96%E4%B8%81%E9%81%93#.E8.B5.B7.E6.BA.90

「技を進めた道」は、『燃えよドラゴン』のセリフにもあります。
”Hit itself”
Lee: Teacher?(先生。)
Shaolin Abbott: I see your talents have gone beyond the mere physical level. Your skills are now at the point of spiritual insight. I have several questions. What is the highest technique you hope to achieve ?(私が見る限り、お前の技量はすでに身体的な域を超えて、精神における修養を要する域にさしかかっておる。そこでお前に問う。お前が望む最上の技量とは何だ?)
Lee: To have no technique.(何の技も持たぬ事です。)
(中略)
Lee: A good fight should be like a small play, but played seriously. A good martial artist does not become tense, but ready. Not thinking, yet not dreaming. Ready for whatever may come. When the opponent expands, I contract. When he contracts, I expand. And when there is an opportunity, I do not hit. It hits all by itself.(優れた戦いはちっぽけな遊戯のようでありながら、真剣になされます。優れた武道家は、決して緊張することないものの全ての事象に備えています。思考することはなく、それでいて夢みることもない。敵が押してくるならば、私は引き、敵が引くのであれば、私は押します。そして機が熟したとき、私は打ち込むことをしません。“それ”が自ずと打ち込まれるのです。)

参照:Bruce Lee "I Do Not Hit" Full Complete Scene
http://www.youtube.com/watch?v=hhvBTy28VJM

ブルース・リーと東洋の思想  その3。
http://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/5182/

あとで推敲します。

今日はこの辺で。

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