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人生朝露

人生朝露

『今昔物語』『宇治拾遺物語』と荘子。

荘子です。
荘子です。
今日は、日本の『今昔物語』と『宇治拾遺物語』について。
双方ともに日本最古級の説話集ですが、『荘子』の寓話が収録されています。書物の構成上、当然といえば当然ですが『荘子』に触れた初期の日本人の多くは、この本を「物語の本」というくくりで捉えていたようです。

参照:Wikipedia 今昔物語
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%8A%E6%98%94%E7%89%A9%E8%AA%9E%E9%9B%86

Wikipedia 宇治拾遺物語
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%87%E6%B2%BB%E6%8B%BE%E9%81%BA%E7%89%A9%E8%AA%9E

まずは、『今昔物語』。
『今昔物語』荘子、見畜類所行走逃語第十一。
“今昔、震旦ニ荘子ト云フ人有ケリ、心賢クシテ悟リ廣シ。此ノ人、道ヲ行ク間、澤ノ中ニ、一ノ鷺有テ、者ヲ伺テ立テリ。荘子、此レヲ見テ竊ニ鷺ヲ打ムト思テ、杖ヲ取テ近ク寄ルニ、鷺不逃ズ。荘子、此レヲ恠ムデ、弥ヨ近ク寄テ
見レバ、鷺、一ノ蝦ヲ食ムトシテ立テル也ケリ。然レバ、人ノ打ムト為ルヲ不知ザル也ト知ヌ。亦、其ノ鷺ノ食ムト為ル蝦ヲ見レバ、不逃ズシテ有リ。此レ、亦、一ノ小虫ヲ食ムトシテ鷺ノ伺フヲ不知ズ。其ノ時ニ、荘子、杖ヲ弃テヽ逃テ心ノ内ニ思ハク、 「鷺・蝦、皆、我レヲ害セムト為ル事ヲ不知ズシテ、各他ヲ害セム事ヲノミ思フ。我レ、 亦、鷺ヲ打ムト為ルニ、我レニ増サル者有テ我レヲ害セムト為ルヲ不知ジ。然レバ不如ジ、我レ、逃ナム」ト思テ、走リ去ヌ。此レ、賢キ事也。人□□キ可思シ。(以下略)”(『今昔物語』荘子、見畜類所行走逃語第十一)

蟷螂捕蝉、黄雀在后。
これは大陸では「蟷螂捕蝉、黄雀在后」という成語として残っています。

Zhuangzi
『莊周遊乎雕陵之樊、睹一異鵲自南方來者、翼廣七尺、目大運寸、感周之額而集於栗林。莊周曰「此何鳥哉?翼殷不逝、目大不睹。」蹇裳覆歩、執弾而留之。睹一蝉方得美蔭而忘其身、蟷螂執翳而打之、見得而忘其形、異鵲従而利之、見利而忘其真。莊周愁然曰「噫!物固相累、二類相召也。」捐弾而反走、虞人逐而謗之。』(『荘子』山木 第二十)
→莊周が雕陵という栗林を散歩していると、南から一羽の見慣れぬ鳥が飛んできた。翼の大きさは七尺、目は一寸ほどで、その翼は莊周の額を掠めて、栗林に降り立った。「なんだ、この鳥は?大きな翼を持ちながら飛び方が下手だし、大きな目玉がありながら、私を見てもいないようではないか。」莊周は裾を捲り上げて、そっとその鳥に近づき、弾弓(矢のない弓、パチンコみたいなもの)で射止めようとその鳥の様子を伺った。ふとみると、一匹の蝉が木陰で我を忘れて鳴いている。視線を移すと、その蝉を蔭からカマキリが狙っていて、カマキリも蝉に気を取られて我を忘れている。見れば、例の鳥は、そのカマキリを狙って我を忘れているのだ。自分が莊周に狙われていることも気づかずに。「ああ、世界の全ては、互いに利し、害し合いながら成り立っているのだ。恐ろしいことだ!」莊周は弓を捨てて帰ろうとした。すると、栗林の番人がその様子を見て、栗泥棒だと思って、追いかけてきて莊周を叱り飛ばした。

・・・日本の説話集で使われる荘子の寓話は、外篇や雑篇から、しかも荘子本人か登場するものが多く、荘子の本旨からも、やや遠い素材を引用しています。ある程度のボリュームも要求されたようで、「朝三暮四」「胡蝶の夢」「井の中の蛙」などはありません。

『今昔物語』巻第十 震旦付国史 ≪荘子、□粟ヲ請フ語第九≫。
荘子、□粟ヲ請フ語第九
“今昔、震旦ノ周ノ代ニ、荘子ト云フ人有ケリ。心賢□□□□□□□貧クシテ貯フル物無シ。而ル間、今日食スベキ物□□□□□□□□□隣ニ□ト云フ人有リ。其ノ人ニ、今日食スベキ□□□□□□□□□「今五日ヲ経テ我ガ家ニ千両ノ金ヲ得ムトス。其ノ時ニ在マセ。其□金□進□ム。何デカ、然カ止事無ク賢ク在マス人ニ、今日食フ許ノ粟ヲバ進ラム。還テ我ガ為ニ恥辱タルベシ」ト。
 荘子ノ云ク、「我レ一日、道ヲ行キシ間ニ、忽ニ後ニ呼ブ音 有リ。見還テ見ルニ、呼ブ人無シ。怪シト思テ吉ク見レバ、車ノ輪ノ跡ノ窪ミタル所ニ大キナル鮒一有リ。見レバ、生キテ動キ迷フ。「何ゾノ鮒ニカ有ラム」ト思テ、寄テ吉ク見バ、水少許リ有ル所ニ鮒生キテ動ク。我レ、其ノ鮒ニ問テ云ク、「何ゾノ鮒ノ此ニハ有ルゾ」ト。鮒答テ云ク、「我レハ、此レ、河伯神ノ使トシテ高麗ニ行ク也。我レハ、東ノ海ノ波ノ神也。而ルニ、不意ニ飛ビ誤テ、此ノ窪ミニ落テカクテ有ル也。
 水少クシテ喉乾テ、我レ既ニ死ナムトス。「我レヲ助ケヨ」ト思テ君ヲ呼ツル也」ト。我レ云ク、「今三日ヲ経テ、□ト云フ所ニ遊バムガ為ニ、我レ行ムトス。其ノ所ニ汝ヲ将行テ放タム」ト云ヘバ、鮒ノ云ク、「我レ、更ニ三日ヲ待ツベカラズ。只、今日一シタダリノ水ヲ得シメテ、先ヅ喉ヲ潤ヘヨ」ト云シカバ、鮒ノ云フニ随テ一シタダリノ水ヲ与ヘテナム助ケテシ。
 然レバ、彼ノ鮒ノ云シガ如ク、我ガ今日ノ命、物食ラハズシテハ更ニ生クベカラズ。後ノ千 金益有ラジ」ト云ヒケリ。其ノ後ヨリ、後ノ千金ト云フ事ハ此ノ如ク云フ也トナム語リ伝ヘタルトヤ。”(『今昔物語』巻第十 震旦付国史)

次に『宇治拾遺物語』。内容は前述のものとほぼ同じものです。
『宇治拾遺物語』 後の千金の事。
 “今は昔唐土に荘子といふ人ありけり。家いみじう貧しくて今日の食物絶えぬ。隣に監河侯といふ人ありけり。それが許へ今日食ふべき料の粟を乞ふ。河侯が曰く。今五日ありておはせよ。千両の金を得んとす。それを奉らん。いかでかやんごとなき人に今日参るばかりの粟をば奉らん。返す返す己が恥なるべし。と云へば荘子の曰く。昨日道を罷りしに後に呼ばふ声あり。かへりみれば人なし。ただ車の輪の跡の窪みたる所に溜まりたる少しの水に鮒一つふためく。何ぞの鮒にかあらん。と思ひて寄りて見れば少しばかりの水にいみじう大きなる鮒あり。何ぞの鮒ぞ。と問へば鮒の曰く。我は河伯神の使に江湖へ行くなり。それが飛び損なひてこの溝に落ち入りたるなり。喉乾き死なんとす。我を助けよ。と思ひて呼びつるなり。と云ふ。答へて曰く。我今二三日ありて江湖のもとと云ふ所に遊びしに往かんとす。そこにもて行きて放さん。と云ふに魚の曰く。更にそれまでえ待つまじ。ただ今日一提ばかりの水を以て喉を潤へよ。と云ひしかばさてなん助けし。鮒の云ひし事我が身に知りぬ。更に今日の命物食はずば生くべからず。後の千の金更に益なし。とぞ云ひける。それより。後の千金。と云ふ事名誉せり。”(『宇治拾遺物語』(巻十五 十一)195 後の千金の事)

Zhuangzi
『莊周家貧、故往貸粟於監河侯。監河侯曰「諾。我將得邑金、將貸子三百金、可乎?」莊周忿然作色曰「周昨來、有中道而呼者。周顧視車轍中、有鮒魚焉。」周問之曰「鮒魚來。子何為者邪?」對曰「我,東海之波臣也。君豈有斗升之水而活我哉?」周曰「諾。我且南遊?、越之王、激西江之水而迎子、可乎?」鮒魚忿然作色曰「吾失我常與、我無所處。吾得斗升之水然活耳、君乃言此、曾不如早索我於枯魚之肆。」』(『荘子』外物 第二十六)
→荘周の家は貧しく、監河侯に粟を借りようとした。監河侯は荘周に「よろしいでしょう。私は今度、領地から金が手に入る予定です。そうなったらあなたに、三百金お貸ししましょう。よろしいですかな。」と言うと、荘周は怒って「私はここにいたる道中で、私を呼ぶ声を聞いたんです。私が振り返ってみると、車の轍(わだち)の水溜りに嵌まり込んで、今にも死にそうなフナを見つけたんです。私はフナに「どうした?フナよ。」と問うと、フナが「私は東海の竜神の臣下です。どうか、わたしめに、少しだけでも水を汲んできていただけませんか?」と頼んできたのです。そこで私は言ったんです。「いいだろう。私はこれから呉の国に遊説するところだ。越の王に西江の水を一気に運んできてもらおう。それでいいかな?」とい言ってやると、フナは怒ってこう言いました。「水がなくては生きていけない私は、今この轍の水溜りを頼るばかりです。たった一升の水で私の命がつながるのです。あなたのおっしゃる調子でしたら、乾物屋の店先で私をお探しになれば、後日私と再会できるでしょうね。」

・・・現在で言うところの「轍鮒の急(てっぷのきゅう)」「涸轍之鮒」の寓話ですが、1000年ほど昔は、「後の千金のこと」という方が通りがよかったようです。

諺に関するものとしてはこれ。
『今昔物語』孔子、為教盗跖行其家怖返語第十五。
“今昔、震旦ノ□代ニ、柳下恵ト云フ人有ケリ。世ノ賢キ人トシテ、人ニ重ク用ヰラレタリ。其ノ弟ニ盗跖ト云フ人有リ。一ノ山ノ懐ヲ棲トシテ、諸ノ悪ク武キ人ヲ多ク招キ集メテ、我ガ具足トシテ、他人ノ物ヲバ、善悪ヲ撰バズ我ガ物トス。遊ビ行ク時ニハ、此ノ悪ク猛キ者共ヲ引キ具セル事、既ニ二三千也。道ヲ亡シ人ヲ煩シ、諸ノ吉カラヌ事ノ限リヲ好テ業トス。(中略)孔子、亦云フベキ事思エ給ハザリケレバ、座ヲ起テ怱ギ出デ給ヌ。馬ニ乗リ給ニ、吉ク恐レ給ヒニケレバ、轡ヲ二度ビ取リ□シ鐙ヲ頻ニ踏ミ誤チ給フ。此レヲ、世ノ人、孔子倒レシ給フト云フ也トナム語リ伝ヘタルトヤ。”(『今昔物語』孔子、為教盗跖行其家怖返語第十五)

ここは、『荘子』の雑篇、盗跖(とうせき)篇です。
荘子は出ませんが、孔子が大盗賊・盗跖に圧倒されるという寓話で、最後の方に孔子が思わず倒れこむシーンがあります。この寓話から「孔子(くじ)の倒れ」という成語ができました。現在は使いませんが、平安のころにはメジャーな諺でした。意味としては「知者の一失」に近いものです。

たとえば『源氏物語』。
尾形月耕画『源氏物語』胡蝶より。
“右大将の、いとまめやかに、ことことしきさましたる人の、「恋の山には孔子の倒ふれ」まねびつべきけしきに愁へたるも、さる方にをかしと、皆見比べたまふ中に、 唐の縹の紙の、いとなつかしう、しみ深う匂へるを、いと細く小さく結びたるあり。”(『源氏物語』第二十四帖 胡蝶)

今日はこの辺で。


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