しつこく、新元号「令和」の話を。
今回、元号の典拠として歴史上の初めて日本の古典として採用された『萬葉集』の「梅花歌丗二首并序」、ですが、一般書を開くと、中国古典との関係を説明する文章が多いです。例えば、図書館などではおそらく最もポピュラーな小学館の新編日本古典文学全集などでも、有名な「蘭亭序」の画像を並べて、「梅花歌丗二首并序」の引用元であることを強調しています。
この種の研究で有名なのは江戸期の契沖の『万葉代匠記』。
❝此(序ノ)発端ハ義之カ蘭亭序ニ、永和九年、歳在癸丑、暮春之初、會于會稽山陰之蘭亭、修禊事也トカケルニ效ヘル欤。篇中ニ彼記ノ詞モ見エタリ。萃ハ孟子云。出於其類,拔乎其萃。注曰。萃(ハ)聚也。師は帥ニ改ムルヘシ。于時初春令月氣淑風和、張衡歸田賦云。仲春令月時和氣淸。蘭亭記云。是日也天朗気清、恵風和暢。杜審言詩云。淑氣催黄鳥。梅披鏡前之粉ハ、宋武帝女壽陽公主人臥含章簷下。梅花落公主額上、成五出花。拂之不去。自是後有梅化粧。珮後之香。未考得。」(以下略)(以上岩波書店刊「万葉代匠記」『契沖全集 第三巻』より)
契沖が引用元として指摘しているのが、『文選』の中の張平子(張衡)の「帰田賦(きでんのふ)」、王羲之の「蘭亭集序(蘭亭記)」、杜審言の「和晋陵陸丞早春遊望」の三作です。
対比すると、
于時 初春令月 気淑風和(『萬葉集』「梅花歌丗二首并序」)
於是 仲春令月 時和氣清(『文選』「帰田賦」)
是日也 天朗気清 恵風和暢 (『蘭亭集序』)
淑氣催黄鳥(『和晋陵陸丞早春遊望』)
となります。全体を見ると『蘭亭集序』の影響が大きいと感じますが、「令和」の引用部分は「帰田賦」で確定でしょう。
『雨月物語』で有名な上田秋成も帰田賦との関係を指摘しています。
❝帰田賦、仲春令月、時和気清。宋武帝女壽陽公主人臥含章簷下。梅花落公主額上、成五出花。払之不去。自是後有梅化粧。此公主を銀公と云し事、物に見ゆ。(中央公論社刊「楢の杣(ならのそま)」『上田秋成全集 第二巻 萬葉集研究篇一』)❞
❝◯帰田賦。仲春令月。時和気清。◯鏡前之粉。宋武帝女。寿陽公主。日賦含章。簷下梅花。落公主額上。成五出花。払之不去。自是後有梅化粧。(中央公論社刊「金砂(こがねいさご)」『上田秋成全集 第三巻 萬葉集研究篇二」)❞
・・・この種の研究は江戸の頃には盛んなようでして、今回の元号の騒動の200年以上前から「ここは『文選』でしょ」と、ほぼ判明していたようです。
まぁ、慶雲、神護景雲、嘉祥、元慶、延長、貞元、永観、元仁、保延、建仁、建永、文暦、延応、興国、建徳、康応、長享、明応、元亀、天正、元文、寛延、安永、享和、慶応と、これまで20数回(並列を含めて)元号の典拠となった『文選』を無視して『萬葉集』とするのは、伝統の破棄と言っていいでしょう。
あとで追記します。