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テーマ:猫のいる生活(135907)
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閉鎖都市と云うと、なにやら秘密めいた怪しいニオイがしますが、事実アメリカやロシア、そしてロシアの周辺諸国では地図にも載ってない秘密の都市があるのです。
日本でも、戦時下の毒ガス開発の島として広島県の大久野島が、戦前は地図から消されていました。 これらの都市では外国人はおろか、その国の人でも自由に行き来できない特徴があります。 ソ連(ロシア)では、住民そのものも住所を他人に云えないし、公式には住民は存在していないことになっています。 住民には他にも厳しい制限が課せられるため、20%増しの給与を受け取っていたほか、他の都市では不足していた食料品などの物資も購入するなどの恩恵を得ていたようです。 ソ連の閉鎖都市の典型的なものは、「アルザマス16」です。 地図にも載ってない都市なので、近隣大都市名の後ろに数字を振った暗号名で呼ばれていました。 アルザマス16はロシアのニジニ・ノヴゴロド州南端にある都市で、ソ連時代以来の核兵器開発の中枢です。 1991年まではアルザマス16と呼ばれていましたが、今は「サロフ」と云う正式名称に呼び替えられてます。 ソ連は第2次世界大戦中の1943年から原子爆弾研究を進めていましたが、アメリカが日本に対して原爆を使用したことを受け、ソ連も1946年に原爆工場の建設を決定しました。 深い森林地帯の奥にあり、なおかつ鉄道が通っていたため物資輸送にも便利なアルザマス16がその場所に選ばれたのです。 1946年からドイツ軍の捕虜やスターリン政権下で刑事警察、秘密警察、国境警察、諜報機関を統括していた「NKVD」から送られた強制労働者らにより研究所と工場の建設が行われました。 そして1947年には閉鎖地域とされモルドヴィア自治共和国の下から離され、一般の地図や資料からもその存在を抹消されたのです。 ここにはソ連の核開発をつかさどる第11設計局の本部が置かれました。 しかし現在でも、まだまだ閉鎖都市は数多く健在で、公式には知られていませんが、大体200万人の住民がいると見積もられています。 ロシア原子力エネルギー省の命令で今日に至るまでまだ閉鎖されている都市は、核開発にかかわる閉鎖都市が多く、スヴェルドロフスク州のレスノイ市とノヴォウラリスク市、チェリャビンスク州のスネジンスク市とトリョフゴールヌイ市、ニジニ・ノヴゴロド州のサロフ市、トムスク州のセーヴェルスク市、ペンザ州のザレーチヌイ市、クラスノヤルスク地方のゼレノゴルスク市とジェレズノゴルスク市などがあります。 宇宙開発関係ではアムール州の「宇宙旅行の父」と呼ばれるツィオルコフスキーと云うロケット研究者の名前をそのまま冠した都市があります。 しかも、この閉鎖都市とそこに存在するカラチャイ湖で1時間被ばくすると死に至ると云われてるのに、今なを住民が居る土地です。 かつて「チェリヤビンスク65」と云う暗号名を持つチェリャビンスク州にあるオジョルスク市では、冷戦時代にソ連のプルトニウム供給拠点の1つとして稼働し、現在はロシアの退役した核兵器のリサイクル処理を行っています。 核施設では今なを15,000人が働いているのです。 この地の主な業務は、原子力潜水艦、原子力砕氷船、及び原子力発電所から出される使用済み核燃料の再処理なんですな。 ここで、1957年にウラル核惨事と呼ばれるとてつもない原子力の爆発事故がありました。 1950年代のソ連では、放射能の危険性が認知されていなかったり、影響を低く考えられていたため、放射性廃棄物の扱いがぞんざいだったのです。 液体の廃棄物(廃液)は付近のテチャ川やカラチャイ湖にそのまま放流されていました。 それに加えて、放射性廃棄物タンクの冷却装置が故障してしまったのです。 タンク内の温度は急上昇。 内部の調整器具の火花により、300立方メートルのタンク内にあった硝酸塩と再利用の際出て来た残留物が一緒に爆発を起こし、大量の放射性物質が大気中に放出されてしまったのです。 これにより27万人が高い放射能にさらされる大惨事となったのです。 当初、ソ連はこの事故をひた隠しに隠しました。 冷戦時代だったので西側諸国への情報伝達はなく、翌1958年になってアメリカ国内にも「何かがあったらしい」程度の情報が伝わりました。 それでも、ソ連はそのウワサを真っ向から否定してたのです。 結局、1989年グラスノスチ(情報公開)の一環として外国人記者団に資料が公開されるまで真相は明らかにされてこなかったのです。 しかも地域住民に放射能汚染が正式に知らされたのはロシア政府発足後の1992年前後のことでした。 ロシア閣僚会議幹部会によれば、工場周辺に放出された放射性廃棄物の放射能総量は3,700万テラベクレル以上で、チェルノブイリ原発事故の20倍、福島第1原発事故のレベル7に次いで歴史上3番目に重大な原子力事故となりました。 被爆者は約45万人にのぼったとしています。 ところがカラチャイ湖では1967年春、干魃が発生した際に湖底が干上がって乾燥し、放射性物質を含む砂や泥が風にのって空気中に飛散。 汚染地域が広がり周辺住民に放射性物質による被曝で、新たな健康被害を生むこととなったのです。 また1950年代に河川に投棄されていた放射性廃棄物は、対策が講じられず河床に沈殿されたままとなっており、年々下流域の住民の健康被害を深刻なものとしています。 ここは別に閉鎖都市にするつもりはなかったのですが、あまりに汚染がひどくって2001年に指定されてしまいました。 クラスノヤルスク地方のノリリスク。 ノリリスクの気候は人間が住むには非常に厳しい環境なんです。 冬の寒さが厳しく、2月の平均気温は-35℃です。 1年のうち250日~270日は雪に覆われている土地です。 1935からニッケル生産のコンビナート建設が開始され、1953年に都市として登録されるまでの初期の住民はもっぱら囚人でした。 囚人労働者の数は1950年代はじめには約7万人に達したのです。 今やノリリスクは、ニッケル生産の世界最大手であるノリリスク・ニッケルが操業する世界有数のニッケル鉱山があるほか、銅やコバルトなど種々の金属を産して冶金業が盛んです。 コンビナートは、世界のパラジウムの35%、白金の25%、ニッケルの20%、ロジウムの20%、コバルトの10%を生産するまでになりました。 ところがです、このノリリスク・ニッケルは鉱山操業で出る大量の二酸化硫黄などをそのまま排出しており、ノリリスク自体が「世界の汚染された10都市」のひとつにも数えられるようになったのです。 ここは汚染があまりにひどいためロシアの他の地域に比べ平均寿命が10年も短い60歳と云います。 年間約200万トンものガスが排出され、多くの人ががんや呼吸器疾患、うつ病を患っています。 がんになるリスクは、他の国に比べて2倍にもなるそうです。 バスで30km 移動し、そこからかなり歩かなければ、自然の残っている所までいけないのです。 また、ノリリスクの町の建物は暴風雨を防ぐために、建物同士が近くなるよう建築されていますが、これがこの都市を余計薄暗いイメージにさせてます。 整備工事で閉鎖になった大阪の中之島公園。そこに暮らしてた約70匹の子供たち。 心あるボランティアのご尽力で「猫の部屋」と呼ばれる仮住まいを得ることができました。 すこしずつ里親さまも決まってきてますが、まだまだ多くの子供たちが良いご縁を心待ちにしています。 なを「中之島公園の猫たち」では恐縮ですが現金によるご支援は一切お断りしております。 「公園ねこ適正管理推進サポーター制度」が実施されています。 そちらのリンクもありますので、大阪市在住の方はぜひ見てください。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
毒ガス開発や鉱毒、ゴミによる汚染、そして何より放射能の汚染。
なんで地球をこんなに汚すのでしょうか。 戦争に向けた開発、人殺しのための開発、なぜ地球を守る開発をしないのでしょうか。 人間の頭脳と云うのは、愚かなものに使われていますね。 閉鎖都市なんていう場所が存在してはいけませんね。 (Jul 22, 2017 08:25:48 AM)
こんばんは
秘密の都市 なんていうのが存在するですか 何やらかしているかわからないし必要ないですね (Jul 22, 2017 09:41:54 AM)
「1時間被ばくすると死に至ると」
そんな土地でも住んでいるのは何故??? (Jul 22, 2017 03:18:28 PM)
汚染って本当に恐ろしいですね。゚(゚´ω`゚)゚。
汚染が原因で寿命が60歳ってびっくりです(°_°) 日本人の寿命は男性まで80代になりましたから 全然違いますね(°▽°) 昔三重県の四日市も汚染が怖かったです〜 (Jul 22, 2017 07:24:58 PM) |