耳(ミミ)とチャッピの布団

2017/12/15(金)05:41

大掃除と煤払い

いつの間にか年末までカウントダウンとなりました。 「お坊さんが仏事で走り回る忙しさ」から師走。は、平安時代からの云い伝えですが、ホントウのところは「しはす」の語源、古いことなので分からないそうです。 年末と云うと「大掃除」ですね。 うちも明日やる予定です。 このごろはダスキンなどのお掃除屋さんを利用したり、掃除用具の高機能化で普段から多くの場所を掃除できるようになったため、年末と云っても、特段に大掃除をしない家庭も増えてきましたね。 しかし昔は大掃除をする日は12月13日と決まっていました。 もちろん旧暦の話しですから、新暦だったら来年(2018年)の1月29日がそれにあたります。 江戸時代、今でいう大掃除は「煤払い」「煤取り」「煤掃き」「煤納め」などと呼ばれていました。 12月13日に江戸城大奥で「御煤納御祝儀」という煤払いの行事が行われたことから、それに合わせ大名屋敷から長屋までみ~んな一斉に煤払いをしたのです。 この時代の大掃除は物質的、衛生的な「汚れ」だけでなく、霊的な「穢れ」を祓う、大切な神事でした。 その起源は古く、平安時代とされています。 正月になると、氏神を祭る神社でご利益のあるお札(神札)をいただきますね。 このお札を、神棚や天井裏などに安置して、家を見守っていただくワケです。 しかしお札は、1年経つころには、霊的な穢れを受け止めて効力を失いつつあります。 そこで年末、神社でおこなわれる焼納祭とか、どんど祭と呼ばれる儀式にお札を持ち、浄化の火によって燃やすのですな。 もしお札をそのままにしておけば、たまった穢れによって不幸が起きると恐れられました。 とくに火難に見舞われると伝えられたのですが、冬場の乾燥などで実際に火災が多かったためでしょうね。 お札に由来する年末の儀式は「年越しの祓」とあわさり、大掃除の習慣に結びついていったのです。 旧暦12月13日は事始め(正月の準備を始める日)。 なので大掃除日でもあったのですね。 しっかりと掃除をして祓い清め、浄化された家は、新年を迎えられる態勢が整ったことになります。 こうして、晴れて歳神さまを迎えることができるワケです。 歳神さまと云うのは、毎年正月に各家にやってくる来方神です。 地方によってはお歳徳(とんど)さん、正月さま、恵方神、大年神(大歳神)、年殿、トシドン、年爺さん、若年さんなどとも呼ばれています。 正月の飾り物は、元々歳神さまを迎えるためのものだったのですね。 門松は歳神さまが来訪するための依代であり、鏡餅は歳神さまへの供え物でした。 これは熱田神宮で執り行われている「御煤納神事」です。 江戸時代の商家の煤払い作業後では、「鯨汁(クジラ汁)」が日本各地で食されたことが記録に残されてます。 冬の時節と重労働を加味して滋養強壮と長寿を願ってのことですね。 また煤払いのあとに蕎麦を食べるのも定番でした。 大奥で煤払いのあとに「煤払い蕎麦」を食べるのが行事化して、それが武家や庶民にも広まり定着したのです。 庶民はご近所さんや知人に「煤見舞い」と称して蕎麦を贈りあったそうです。 胃腸を整えてくれる蕎麦は「身体を清浄にしてくれる食べ物」とも考えられていたので、煤払いで汚れた身体を蕎麦で中から清めようと考えたのでしょう。 現代では大掃除のリーダー役は大抵奥さんですが、江戸時代の商家では煤払い担当は、奉公人や若い衆、日頃出入りしている鳶職人など体力のある者がメインでした。 画像左下には煤払いの合間に食べられるようにと用意された握り飯や煮しめが見えます。 おやつには甘いお餅も出されたそうです。 江戸城大奥では煤払いのあと、たくさんの畳師たちによる畳替えが行われました。 大奥だけでなく武家屋敷でも煤払いのあと畳が新品に敷きかえられました。 ここで江戸時代特有のユニークな習慣。 この時代、煤払いが終わると「胴上げ」をするのが恒例だったのです! なぜだか分かりません。 かくし芸までして楽しんだようです。

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