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fwkk8446@ Re:史上最低のパニック映画(09/18) New! 追記・・・・  「monmoegyさん」が紹介…
fwkk8446@ Re:史上最低のパニック映画(09/18) New! そうそう・・・・  「ポセイドン・アド…

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Feb 16, 2019
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「肥後の虎」は加藤清正、「鬼柴田」は柴田勝家、「井伊の赤鬼」は井伊直政、「独眼龍」は伊達政宗と、戦国大名には勇ましいあだ名が目白押し。
なんとも猛々しいですね。
しかし、そんな勇猛果敢なあだ名ばかりではありません。


長宗我部元親と云えば土佐の国の大名で、「野の虎」と云うあだ名が有名ですが、少年時代は外に出て活発な活動をせず、女の子みたいな人物であったことから姫若子(ひめわこ)と陰口を叩かれていました。
後に土佐国を完全統一した人物とは思えないあだ名です。
最上義光は伊達政宗の母義姫の実兄で、伊達政宗の叔父にあたる人物です。
伊達政宗が当主を務める伊達家とは父親の代から東北地方の覇権を争うライバル大名でした。

その最上義光のあだ名が「鮭様」です。
文字通り「とにかく鮭が大好物」だったからです。

最上義光は大宝寺氏との争いの末に日本海に臨む現 山形県庄内地方を手に入れます。
そこで鮭が獲れると大いに喜んだそうです。

そして最上義光は伊達政宗と文通をしており、「妹のために鮭を贈る」「伊達政宗の送った手紙の返礼として鮭を贈る」「徳川家康への献上品として鮭を持参する」「手紙を書いてくれた家臣への返礼として鮭を贈る」と、とにかく鮭、鮭、鮭と鮭づくしな大名でした。
織田信長の長男、織田信忠は幼名を「奇妙」といいます。
もちろん名付け親は信長です。
どう云うセンスなんでしょうねぇ。

さらに信長は信忠のひょうきんな性格から「しゃもじ」というあだ名をつけました。
その由来はみんなを楽しませるためになくてはならない存在ということのようです。

ごはんを食べることは幸せなこと。
それをとりわけるために使うしゃもじは必須アイテムと云うことらしいです。
信長がつけたあだ名はもっとあります。
有名なのは秀吉と明智光秀ですね。

信長がつけたとされる秀吉のあだ名と云えば「サル」が有名なのですが、実は信長が秀吉のことを「サル」と呼んでた証拠はありません。
しかし別のあだ名が文書として残されています。
それは「ハゲネズミ」です。
豊臣秀吉は顎が細くて目がパッチリ、さらに額が広かったため、織田信長はその容貌から「ハゲネズミ」というあだ名をつけました。

「ハゲネズミ」が書かれている文書は豊臣秀吉の妻である寧々に宛てた手紙に登場します。
「この度は私のハゲネズミがあなたに対して不敬を働き、大変遺憾に思う。
私の監督がきちんと行き届いていなかったので申し訳ない。
しかし、あなたも武士の妻ならば旦那が妾のひとりやふたり作ってもいちいち目くじらを立ててはいけない。
私のほうからもハゲネズミを叱っておくので、今回はこれで終わりにしてあげて欲しい。」
よ~するに秀吉の女好きが原因で起こった夫婦喧嘩を仲裁する手紙なんですな。
もうひとりの明智光秀はハゲでした。
それで信長がつけたあだ名が「きんかん頭」。

夏場になると汗をかいた光秀の頭はテカテカしていたらしく、信長はみんなの前で光秀をバカにする一言を放ちます。
「光秀よ、お前の頭はテラテラとよう光る。眩しくてかなわんわぁ」
戦国大名がでてきたら、後は幕末大名ですね。
その間は目立った大名が思い当たらない。

こっちは爆笑モンです。
なんせヒドイあだ名ばかりなり。
みんな親しい間柄の大名で呼び合ってたもの。
いわゆる雅号や戯号と呼ばれるものです。
福井藩の藩主だった松平家(水戸・尾張・紀州の御三家に次ぐ大名)に関する史料「松平文庫」には、当時の手紙の写し42冊、2,500通以上が保管されています。
その中で、福井藩主の松平春嶽が1863年~67年に大名たちとやりとりした手紙にあだ名が登場するのです。

「幕末の四賢候」のうちの1人として称された福井藩主 松平春嶽。
実際の福井入りは16歳の時ですが、家督を継いだ江戸住まいの時から藩の財政難を知っており、自らの藩主手許金を半減とし、食事も副菜は漬物か汁のみと倹約を率先しました。
側近である中根雪江ら家臣達はいたく感激したと云います。
16歳で福井の地元に入国してからは、自らの足で領地を視察し、時には民に声を掛け、同じ食べものを食べて民の苦難を実感しました。
何としても財政改革をすると強く心に決めて実行していきます。

春嶽の藩政改革は着実かつ強固に行われ、人材の登用と藩政の刷新に努め、西洋砲術などの軍事力の強化、藩校明道館の設立などを実行します。
また、医学にも力を入れて、種痘の導入など洋学の導入も推進しました。
松平春嶽は、自分の鼻が高いことを自虐して「鼻」「鼻高」「鋭鼻(えいび)」「鼻公(びこう)」という署名を使い、徳川慶喜や宇和島藩の伊達宗城からの手紙には、宛名として「鼻」の字が使われています。

手紙であだ名が使われるのは親しい間柄だったからこそ。
相手の容姿や性格の難点からも名前をつけているのは「失礼なことを云い合っても平気な間柄だったから」だといいます。

春嶽は幕末期、敵対していた攘夷派から「朝敵」と批判されていました。
春嶽はそれを逆手にとり、同じ読みで「暢迪」「長笛」などと署名したこともありました。


同じく幕末の四賢候の一人、宇和島藩主 伊達宗城。
3人の賢候とともに将軍継嗣問題では一橋慶喜を押す一橋派として、伊井大老により蟄居させられた人物です。
しかしその後は親友である山内容堂とともに大政奉還にも寄与し、新政府では議定、外国官知事、大蔵卿の重責を務めました。
宗城は面長だったため、春嶽からの手紙には、宛名に「長面」の文字。
他には「弄鏃(ろうぞく)長面公」とか、伊予守から「いよ」なんてのも。
宗城は提灯屋であった前原巧山を見出し、日本初の蒸気船の建造を行った人物でもあります。
巧山はミシンの製作にも成功し藩の技術革新に大いに貢献しました。
最後は島津久光です。
島津久光のあだ名は「芋」「大芋老公」など。

NHKのドラマでは青木崇高さん演じる役どころ。
渡辺謙さん扮する島津斉彬の異母弟でしたね。

「大奸(非常な悪だくみをする人)」との悪口から、音が通ずる「大簡(非常に大まかなこと)」を自称。
薩摩芋から「大芋」にと云うのがあだ名の由来です。








Last updated  Feb 16, 2019 04:57:35 AM
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