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テーマ:猫のいる生活(135990)
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ホーチミン旅行の記事も今日でお終いにします。
チョット、長すぎましたね。 繰り返しになりますが、ホーチミンの印象第一はとにかく膨大な数のバイクと、その運転マナーの悪さです。 1台のバイクに親子もろとも4人ぐらい乗ってるのも普通です。 日本では高齢者の運転する車が人を撥ねたり、市バスが暴走して人が死んだりしてますが、逆にホーチミンの人は道路を歩くとき、注意に注意を重ねているので事故はあるでしょうが、滞在期間中も見ませんでした。 むしろ日本の歩行者は車に対して無防備かつ無神経すぎますね。 運転してても、事故がおこったら歩行者の過失が指摘されるようなシーンが多々あります。 下のはバイクが歩道を走行してる画像です。 こんなん普通にやってます。 双方向から歩道にバイクがくることもありますから、歩きスマホは皆無です。 こっちはバイクの駐輪場。 膨大な数のバイクです。 ホーチミンを歩いていても、アオザイを着てる人なんてひとりも居ませんでしたね。 ひょっとしたら学生服はそうなのかも知れませんが、滞在期間中に学生さんと出会わなかった。 それとスカート姿も皆無です。 女性はみんなパンツ姿でした。 それとホーチミンでオッサン、オバサンと出会うことはあっても、高齢者を全く見かけないのです。 日本だったら、ショッピングカートを引っ張ったり、電動車イスに乗った高齢者を頻繁に見かけますが、とにかくホーチミンでは見かけなかったです。 ひとりも居ないってなことは無いでしょうから、みんな家に閉じこもっているのですかね? 帰国する日の13日、歩行者天国みたいな広場でイベントやってるのに出くわしました。 ベトナムの民族舞踊です。 こっちは民族楽器の演奏シーン。 画像は「ダン・バウ」と云うベトナム独自の発達をした、1,000年以上の歴史をもつ伝統楽器の代表です。 世界でも珍しい1弦琴。 弦を弾くと同時に、台箱の上に差し込まれた棒をしならせ、糸の張りを調節して曲を奏でます。 吹いているのは「サーオ」と呼ばれる竹フルートです。 ベトナムの人々にとっては極めて身近な楽器らしいです。 こっちは「ダン・チャイン」と云う筝(琴に似た楽器)。 13世紀頃に中国から入ってきた楽器らしく、もともとは16弦でしたが、今は17弦が多いそうです。 王朝のあったフエでは、この筝は街のシンボルとしての意味合いが強いらしい。 それより素人出演者らしきオバサンの方が面白かったですけどね。 「戦争証跡博物館」。 なにも観光に行って、戦禍の記録を見なくても...と云う感情も正直あったのですが、やはりここを訪れないと、ベトナム人の人となりは分からないと思い、結局ホーチミン滞在3日目にヨメ同伴で行きました。 見学者は現地の子供たちと白人ばかりでしたね。 私たちが行ったとき、日本人はおろか、中国人も韓国人もいませんでした。 韓国軍はベトナム戦争のとき、アメリカ以上に残虐極まりない仕方で、ベトナムの市民をものすごい数殺害しているので、逆に今の韓国の若者にぜひ訪れてほしいのですが... 建物の中に入ると...ベトナムがアメリカに勝利した戦意高揚なんて微塵もありません。 そこにあるのは...ただ悲しみだけ。 この施設は特に戦争に対する恐怖を訴えかけたいために建てられたのです。 戦争が本当に無意味であることを国民にも知ってもらうために造られました。 ケネディの暗殺以後、後を継いだジョンソン大統領が北爆を開始しました。 それまで南ベトナムでの解放戦線との限定的な闘いだったものを、ベトナム全土に拡大したのです。 「死の鳥」と云われたボーイングB-52戦略爆撃機を投入して、ハノイやハイフォンなどの大都市のみならず、北ベトナム全土が爆撃と空襲にさらされたのです。 と~ぜん被害者は戦闘員だけではありません。 多くの市民が死の恐怖にさらされました。 ベトナム人の死者と云うのは、戦闘員ではなく一般市民がほとんどと云うので、世界でも稀有な戦争として記録されているのです。 1965年~1972年にかけて韓国では「ベトナム行きのバスに乗り遅れるな」をスローガンに、ベトナム一般市民の犠牲を尻目に官民挙げてのベトナム特需に群がり三星、現代、韓進、大宇などの財閥が誕生しました。 つまり今日の韓国財閥はベトナム特需によって生まれたのです。 アメリカはその見返りとして、韓国が導入した外資40億$の半分、20億$を直接負担しました。 韓国は無関係の第三国に軍事侵攻した事で、貿易外特需(7億4千万$)や軍事援助(1960年代後半の5年間で17億$)など「漢江の奇跡」と呼ばれる高度成長を果たしたのです。 韓国軍はSEATO派兵総数の約4倍規模で、アメリカ以外の国としては最大の兵力を投入しました。 これは、米韓の協定により、派兵規模に応じた補助金と対米移民枠を得られたこと、韓国兵が現地人に何をしても黙認するという密約が理由だからです。 そして日本からも11億$調達しています。 こうした韓国軍の暴挙は枚挙ありません。 ただ、ほとんどの日本人が知らないだけです。 ベトナムに上陸した韓国軍は多くの村で化学兵器を使い、村によっては女性市民も殺害しました。 また市民の財産を略奪したり、仏教寺院から数トンの貨幣を横領したりもしました. 女性、老人、子供を防空壕のなかへ押し込め、化学薬で殺害したり、目を潰したこともありますし、ベトナム市民の結婚の行列を襲撃し、花嫁を含めた参列女性を暴行し、宝石を奪うこともしました。 韓国軍兵士によって暴行され生まれたライダンハン(ベトナム人女性の間に生まれた子供)は2~3万人と云われています。 とにかく韓国軍による虐殺、暴行事件の生存者の証言に共通する点として、婦女に対する暴行がトップに挙げられているのです。 そして「枯葉剤」。 今はバイエルによって買収された「モンサント」や「ダウ・ケミカル」によって製造されたダイオキシン系の化学薬品です。 これを戦闘員、一般市民に関わらず、大量に使用されたのです。 これは、れっきとした化学兵器です。 確認できるだけで8万3,600kl の枯葉剤が散布され、400万人のベトナム人が枯葉剤に曝露したとしています。 それはベトナム人だけの被害にとどまらず、アメリカ軍のベトナム帰還兵の間で枯葉剤への接触を原因とする健康被害や出産異常が発生したのです。 来場していた、ほとんどの白人女性は涙を流しながら見学していました。 そこには、どんな残虐な戦争映画でも描けない凄惨な地獄絵図が展開されていたからです。 ベトナム戦争終結から44年目。 まったく状況は変わってません。 今もアラブのどこかで、アフリカのどこかで、中南米のどこかで戦争がおこなわれている。 ヨーロッパと云わず、アジアでも、北アフリカでもテロの脅威が延々と続いている。 そんな卓上の理論より、世界中の指導者はこぞってここに訪れて、戦争の痛ましさと無意味さを実感すべきです。 日本の全国会議員と地方議員も、物見遊山の外遊などせず、しっかりと自分の目に焼き付けるべきです。 「戦争証跡博物館」の見学は見終わった後、必ず痛みを伴う行為です。 しかし、ここを見ずして戦争云々は論じられないとつくづく思いました。 どうか、いつの日かこの地球から「戦争」と云う二文字が消えますように。 (かなりの数の写真を撮ってきましたが、あまりに凄惨で載せることができません) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
ベトナム入ったことがなかったので、楽しく拝見しておりました。
しかし、人混みの嫌いなパパゴリラ!はオートバイが多数行きかうような雑多ところは、やはりちょっと苦手かな。 最後にベトナム戦争の戦禍の記録ですね。 戦争は悲惨なものですが、枯葉剤など、化学兵器は本当に恐ろしいです。 韓国は、やたらに日本軍の行いを責めますが、自分たちはベトナムに対してもっとひどい行為をしていたことなど、おくびにも出しませんね。 (Apr 25, 2019 06:14:24 AM)
混沌とした東南アジアの街はちょっぴり苦手かな・・・
然しバイタリティーに溢れた街ですねえ。若い人が多いですねえ。 ソ連にそそのかされたホーチンミンが南下政策を取って、始まったのが ヴェトナム戦争ですが、共産主義が怖いアメリカが戦闘を拡大して とんでもない方向にいってしまい、大失敗でした。 (Apr 25, 2019 08:53:05 AM)
まず、韓国軍がベトナム戦争に加わっていたのは知らなかったです。
日本にばかり、戦争責任を問う韓国、ベトナムに賠償をしないといけないんじゃないかな。 戦争はもう懲り懲りですね。 でも、どこかで、戦争があっている、いつか戦争がない時代が来るのかな~?? アメリカは、また戦争をしようとしていますね。 何故にって思います。 バイクに乗っているのは、車が高いから手が出せないからでしょうか。 自転車はないのですね。 お年寄りは、あまりいないのかも。若い子が多い国、そのうちに、かなり繁栄するのかもしれませんね。 日本は衰退する一方ですね。 (Apr 25, 2019 04:38:52 PM)
私のベトナムのイメージは
以前テレビで見たのでしょう、長い髪を風になびかせ アオザイ姿でバイクに乗る女性たち 格好良いなぁ~って思ったのですが、今はジーパン姿に 変わったかもしれませんね^^ ベトナムと韓国の関係は全く知りませんでした。 ひどい事をしていたのですね。 ps:私の書き方がまずかったのですが 250軒というのは、私の住む町内会の世帯数で 班の数が17位あり私の家がその1つの班長になったのです。 (Apr 26, 2019 06:29:57 AM)
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