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Mrs. Linda@ Re:かいば屋(12/08) New! 伊集院静さんが云っておられますが、お酒…
moto,jc@ Re:かいば屋(12/08) New! こんばんは かいば屋さん残念ですね 誰か…
marnon1104@ Re:かいば屋(12/08) New! 私の母が向島の生まれで 浅草へはよく連れ…
pico5404@ Re:かいば屋(12/08) New! いいお店だったのですね。誰か引き継いで…
marnon1104@ Re:船乗り猫(12/07) New! 最後は幸せな余生をおくられて 良かったけ…

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Oct 21, 2019
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カテゴリ:カテゴリ未分類
ヒトの遺伝子情報は60億個のヌクレオチド(DNAの構成要素)で構成され、母親と父親から半分ずつ受け継いでいきます。
定説では、両親がヌクレオチドにもたらす改変はそれぞれ100~200個程度とされていました。
ところが、カナダ・モントリオール大学の研究チームによると、人類の進化のスピードはこれまで考えられていたよりはるかに遅く、この定説の1/3程度の可能性があるそうです。
モントリオール大学の研究チームが、両親と子ども1人から成る2家族で遺伝子変化を調べたところ、母親と父親がもたらした改変はわずか30個程度ずつだったのです。
これは、進化の速度が定説の1/3程度だということを示しています。

もっと広いサンプルで確認されれば、進化の年代記が書き換えられることになります。
霊長類が現生人類ホモサピエンスに進化するまでの世代の数え方も、変更を迫られることになるかも知れません。
今回の研究は、DNAの改変を父母のどちらから受け継ぎやすいのかという点についても、従来の説に疑問を投げかけています。
DNA改変(変異)は細胞分裂とDNA複製の最中に起こるため、卵子より、数百万個ほどが作られる精子の中で起こりやすいと見られていたため、これまでは、父親からの方が受け継ぎやすいという考え方が主流でした。

しかし、研究チームが調査した2家族のうち、片方は変異の92%が父親に由来していましたが、もう片方では父親由来は36%にとどまっていたのです。
研究チームのアワダラ教授は「変異の確率は個々人で著しく異なっている。あるいは、一部の人間は変異の可能性を下げるメカニズムを持っている」と云ってます。
さて、ティグリス・ユーフラテス川下流のメソポタミア地方南部で都市を形成し、メソポタミア文明の基礎を築いた民族がいます。
「シュメール人」
その民族系統は不明で、紀元前3,000年代終わりごろ、メソポタミア南部に移動してきたと考えられているのです。
メソポタミア(現在のイラク・クウェート)南部を占めるバビロニア南半分の地域に最古の都市文明を築きました。
面白いのは、シュメール語は孤立した言語と云うことです。
たとえば古代メソポタミアで、主にアッシリア人やカルデア人(バビロニア人)などで話されていた言語アッカド語が、アラビア半島を中心とする西アジアおよび北アフリカに分布するアフロ・アジア語族のセム語族に属するような形での近縁関係にある言語をもっていないのです。

シュメールの言語、文化、また、おそらくは外見も周囲のセム系の民族とは異なっていたと考えられています。
しかしシュメールの男子像を見る限り、大きく彫りの深い目、高い鼻、巻き毛で髭が多いなどセム系と変わりないような容貌をした像もあり、民族系統は未だ謎なんです。
アッカド王朝以前の遺跡に見られるシュメール人の容貌は剃髪した彫りの浅い髭のない傾向が多く見られ、アッカド人とはあきらかに違います。
創世記では洪水後シナル(シュメール地方)に住み着いたのは「東からやってきた人々」とされており、言語的また容貌的観点からモンゴロイドである可能性もあります。
シュメール人は広く征服民か移住民であると信じられていますが、そのような移住がいつ行われたのか、またシュメール人の地理的な起源がどこなのかを正確に決定することは謎のままなのです。
シュメール人は、彼らの残した都市、楔形文字、青銅器などその後のメソポタミア、オリエントに大きな影響を残しました。
しかし先ほど述べたように後にこの地方で支配的になるセム語とはちがう言語を用いていました。
それは語幹に語尾をいろいろ変化させて付着させていく日本語にちかい「膠着語」に属する言語だったのです。
例えば「飛ぶ」という動詞だと、「ない」を付着させて「飛ばない」とか、「ます」を付着させて「飛びます」と云う風に。

そのためシュメール人は日本人の先祖だと云う説まで飛び出しました。
日本で古代オリエント研究の先鞭をつけ、1916年(大正5年)にバビロン学会を起こした原田敬吾は、バビロン民族の容貌や宗教、習俗、言語などに日本民族との類似点を多く見出し、過去にバビロン民族の一部が日本に移住してきたという仮説を提唱しました。
関東大震災によってバビロン学会の活動が停止した後、1927年(昭和2年)に大山祇神社の宮司三島敦雄が原田の論を継承発展させ、日本人シュメール起源説を提唱したのです。
第2次世界大戦中には「高天原はバビロニアにあった」とか、天皇呼称の古語「すめらみこと」は「シュメルのみこと」であると云った俗説が横行しました。

1940年(昭和15年)小島威彦と仲小路彰と陸軍軍人 高嶋辰彦の発案で「スメラ学塾」が開講され、その思想に感化されたイタリア料理店「キャンティ」オーナー川添紫郎や建築家の坂倉準三らが「スメラクラブ」という文化サロンを結成しました。
女優の原節子の義兄、映画監督の熊谷久虎もスメラ学塾に参加し、学塾内に劇団太陽座を結成します。
シュメール人は一時バビロニア北部に起こったアッカド人に制圧された後、ウル第3王朝を復興させましたが、紀元前1,800年頃にはアムル人の古バビロニアに征服されました。
以後、メソポタミアの主力はアッカド人やアムル人などセム語族系の民族となり、シュメール人はその中に埋没して消えてしまったのです。
しかし、楔形文字や日乾煉瓦を用い数階層に組み上げて建てられた巨大な聖塔「ジッグラト」、法律などの文化は新バビロニアの時代まで生き続けます。






Last updated  Oct 21, 2019 05:25:24 AM
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Re:忽然と現れ、忽然と消える(10/21)   パパゴリラ! さん
タイムマシーンで、人類の起源や文明の成り立ち、どうやって大きな建造物を造ったのかとか、見てみたいですね。
(Oct 21, 2019 05:42:27 AM)

Re:忽然と現れ、忽然と消える(10/21)   moto,jc さん
こんばんは
新しい研究成果が発表されると当たり前ですが 過去の研究が覆られて議論になることがありますね モントリオール大学の研究成果は今後どうなるでしょう? (Oct 21, 2019 09:47:45 AM)

Re:忽然と現れ、忽然と消える(10/21)   ララキャット さん
「キャンティ」
加賀まりこも通っていたお店ですか?? (Oct 21, 2019 05:42:18 PM)

Re:忽然と現れ、忽然と消える(10/21)   空夢zone さん
日本人も、どこから来て、今の形になったのか、不思議です。
文字も、韓国や、中国からやってきたものが多くて、韓国語は、日本語に似ていると聞きますね。(ハングルを除いて)
並び方も、韓国語は同じとか。
人の名前も、並びが、苗字、名前と続きますしね。あら、中国語も同じですね。
高校の時、世界史を学んでいたので、何だかとっても懐かしいです。 (Oct 21, 2019 05:44:23 PM)


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