2020/05/05(火)05:48
ルーマニア
ルーマニアって、私の印象は吸血鬼ドラキュラと古い話ですが、1976年のモントリオールオリンピックで体操競技史上初の「10点満点」を獲得し「白い妖精」と呼ばれたナディア・コマネチしかありません。
だいたいの位置は分かっているようで、ぢゃあ正確に地図でどこ?と問われても・・?
ルーマニアの正しい位置ってこんなとこだったのですね。
南西にセルビア、北西にハンガリー、北にウクライナ、北東にモルドバ、南にブルガリアがあり、東は黒海に面しています。
ちなみに吸血鬼ドラキュラの居城があったトランシルヴァニアはルーマニア国内でこの位置にあります。
ずいぶん広い地域ですが、全ての市町村にルーマニア語とは別にハンガリー語の名前もあり、ドイツ人も移住したため、ドイツ語の名前を持つ市町村も多いそうです。
まぁドラキュラの話は終生ルーマニアに行ってないアイルランドの作家ストーカーの小説から来ていて、モデルになってるのは、15世紀のルーマニアのワラキア公ヴラド3世とされてるだけでなんの根拠もないのですね。
ヴラド3世のニックネームがたまたまドラキュラだったのです。
この人物はオスマン帝国からの侵略を守るために戦った英雄としてルーマニアでは評価されています。
しかし、ルーマニアには現在でも「魔女」や「まじない師」「占い師」として生計を立ててる人が多く存在しています。
ルーマニアはウィッチクラフト(魔女文化)が数世紀の歴史を持ってる珍しい地域なんです。
北インドのロマニ系のジプシー「ロマ」が全国民の2%を占めているので、この人たちが占い師なんかかも知れません。
ほとんどの住民はロムニと呼ばれるルーマニア人です。
モンゴル系遊牧民だったマジャル人、つまりハンガリー人も少数居住してますが、そのほとんどはハンガリーとの領有権問題を抱えるトランシルヴァニアに居住しています。
そんなルーマニアの料理は、他のバルカン諸国の料理と比べ、トルコ料理の影響が小さいのが特徴です。
中世にはオスマン帝国の支配下にあったとされてるのに珍しいですね。
ルーマニアはハンガリー王国の一部になったり、かと思うとオスマン帝国の属国にされたり、他国に翻弄される状態が第1次大戦の終わる1918年まで続いた国です。
しかも第2次大戦が始まると、こんどはソ連に占領されて、国民は1989年のルーマニア革命で民主化されるまで泥炭の苦しみを味わったのですね。
ルーマニアでは小麦の生産が最も多く、トウモロコシがそれに続いています。
小麦はパンに加工されますが、トウモロコシは粗く挽いて粉にし、粥のように煮てから牛乳とバターを混ぜ込み「ママリガ」にして食べられます。
ママリガはルーマニアの主食として最も多用される料理で、小説「ドラキュラ」に登場するほどルーマニアの国民食と云えます。
ママリガはイタリアのポレンタやクロアチアのジュガンツィ、ハンガリーのプリスカに似た料理で、見かけは多少黄色味の強いマッシュポテトに似ています。
このママリガにサワークリーム「スムントゥナ」とチーズを併せた「ママリガ・ク・ブルンザ・シ・スムントゥナ」はルーマニアの主食ともいうべき料理です。
また、豚肉やソーセージとママリガを併せた「ママリガ・ク・オウ・オキ」と云う料理もあります。
ルーマニアの肉料理の代表と云えば「サルマーレ」。
ロールキャベツの一種ですが、ザワークラウトに似た酢漬けのキャベツで巻きます。
中に入れるのはお米入りの挽肉と刻みタマネギを混ぜ合わせて、ベーコンなどで風味だしを取ります。
サルマーレと並んで重要なのが、豚肉や羊肉を使った挽肉団子の「ミティテイ」。
ハーブを混ぜ込み、楕円形に成形します。
ルーマニアのビアガーデンの定番です。
アメリカの「パストラミ」のもとになったのが、羊肉や豚肉を香辛料と塩で漬け込んだ「パストラマ」です。
これはトルコのパストゥルマが起源ですね。
たいていのレストランでは炭火用のグリルも備えているので、ただ単に焼いた肉だけでも美味しそう。
ルーマニアのスープは具沢山のが多いです。
具の少ないスープはスパ。
具の多い煮込み料理に近いスープのことはトルコと同じで「チョルバ」と呼びます。
ふすまを発酵させて作る「ボルシュ」と云う調味料を入れて、酸味をつけるのが特徴です。
チョルバは中に入れる具によって「何々のチョルバ」と呼びます。
牛肉のチョルバは「チョルバ・デ・バクツァ」、鶏肉のチョルバは「チョルバ・デ・プイ」、牛のトライプ(胃)のチョルバは「チョルバ・デ・ブルタ」と呼びます。