|
テーマ:猫のいる生活(135922)
カテゴリ:カテゴリ未分類
「空の星の数よりも多いスターたちがいる」と云うのは映画会社メトロ・ゴールドウィン・メイヤー(MGM)全盛期のキャッチフレーズでした。
そのMGMも2010年には米連邦倒産法第11章の適用を申請。 投資会社サーベラス・キャピタル・マネジメント傘下の新興映画制作会社スパイグラス・エンターテインメントの支援で再建を行いました。 ところがこの時になって映画「007スカイフォール」と「ホビット 思いがけない冒険」の2作が世界的な大ヒットを記録して、MGMはかろうじて破産状態から脱却したのです。 MGMは素晴らしいスターを多数輩出して、1930年代には「芸術のための芸術」をモットーに、巨額の費用を駆使し、大作映画を次々と世に産み出しました。 ところが、この「大作主義」は次第に時代の流れに折り合わなくなります。 それに加えてTVの普及が災いして、1950年代半ば辺りから次第に衰退し始めたのです。 1973年にはチャールズ・チャップリン、メアリー・ピックフォード、ダグラス・フェアバンクス、監督のD・W・グリフィスによって創立されたユナイテッド・アーティスツに配給権を乗っ取られる事態にまで発展します。 では、MGMの全盛期はどんなだったでしょう。 MGMが砕石だったころのスターにはジーン・ハーロウやロバート・テイラー、グレタ・ガルボ、ノーマ・シアラー、ジョーン・クロフォード、クラーク・ゲーブルやジミー・デュランテなど、まさに「空の星の数よりも多いスターたちがいる」と云う表現そのもの大スターのるつぼと化してました。 ジーン・ハーロウは「プラチナ・ブロンド」と云うニックネームで活躍した1930年代のセックスシンボルです。 バットマンの執筆家は、バットマンの敵であり、同時にロマンチックな関係でもあるキャットウーマンのモデルとしてジーン・ハロウをイメージしてました。 ロバート・テイラーは、当時ハリウッドでピカ一の二枚目男優でした。 その水際立った美男子ぶりから、グレタ・ガルボ、ジョーン・クロフォード、バーバラ・スタンウィックなど当時第一線で活躍してた女優たちからの希望で、彼女たちの相手役をつとめたほどです。 作品でも1940年にヴィヴィアン・リーと共演した名作「哀愁」(MGM作品)が決定打になり、ハリウッドに確固たる地位を築いてます。 ハリウッドのサイレント映画期~トーキー初期の伝説的スター"グレタ・ガルボ"は、映画ファンだったらお馴染みの名前。 スウェーデン生まれのガルボは1924年のスウェーデン映画 「イエスタ・ベルリングの伝説」の準主役で、女優としての活動を始めたのですが、この作品でのガルボの演技が、MGM副社長のルイス・B・メイヤーに認められ、ハリウッドへと招聘されたのです。 ハリウッドに到着した翌年、1926年にハリウッドでの1作目となるサイレント映画「イバニエスの激流」でたちまち注目を集めます。 そして3作目の「肉体と悪魔」で国際女優としての地位を築くことになるのです。 ノーマ・シアラーは、1930年に「結婚双紙」でアカデミー主演女優賞を受賞した女優です。 映画史の初期に活躍し「天才少年 The Boy Wonder」と呼ばれたMGMの映画プロデューサー、アーヴィング・タルバーグをして、ノーマ・シアラーの気品ある美しさを絶賛させたほどの女優さんです。 ジョーン・クロフォードはアメリカの「シンデレラ・ストーリー」を具現化した女優です。 最初は各地を巡業する演劇一座のダンサーだったのです。 1925年にMGMと出演契約を結びますが、割り当てられた役柄は端役で、つまらない役が多かったのです。 それを自身を売り込むことに成功し始め、1920年代の終わりには流行の最先端をいく「新しい」若い女性を指すスラング「フラッパー」を代表する女優として世界的に有名になっていったのです。 やがて彼女はノーマ・シアラーやグレタ・ガルボと並び賞されるハリウッドで最も有名な女優の一人になると同時に、出演料も女優の中で最高額を受け取るまでになりました。 映画ファンで「キング・オブ・ハリウッド」クラーク・ゲーブルを知らない人はいないでしょう。 彼の代表作と云えば1939年にヴィヴィアン・リーと共演した「風と共に去りぬ」。 しかし、それに先立つ1934年の「或る夜の出来事」でアカデミー主演男優賞を受賞して、日本やヨーロッパ諸国まで名前を知られるようになりました。 MGMでは、フランク・シナトラやビング・クロスビー、フレッド・アステアなどとの共演が多い男優さんです。 全盛期のMGMは子役スターの育成にも力を入れ、ミッキー・ルーニーやジュディ・ガーランドなどの子役を発掘、育成し、スターに育て上げました。 ミッキー・ルーニーは、子役とした活躍した後、性格俳優として花ひらき、とりわけオードリー・ヘプバーンが主演した映画「ティファニーで朝食を」(パラマウント作品)では、"ユニオシ"と云う日系アメリカ人を演じ、アメリカ社会におけるステレオタイプな悪意に満ちた日本人像=黒ぶち眼鏡、出っ歯、低身長で描かれていましたが、彼の演技は際立つものでした。 ジュディ・ガーランドはご存じですよね? 1939年にミュージカル映画「オズの魔法使」で主役ドロシーに大抜擢されたラッキーガールで、ミッキー・ルーニーともよく共演してました。 この女優の娘さんが歌手で女優のライザ・ミネリです。 ハンク・ウィリアムスやコニー・フランシス、ハーマンズ・ハーミッツなどスターを生み出すのですが、ロックンロール全盛の波に乗れず結局ポリグラムへ売却してしまいます。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
|