2024/07/01(月)05:14
アメリカン・アイコン
私のヨメはそれに関連した仕事に関わった経験なしに胸膜中皮腫を患い左肺の全摘手術を受けました。
そして残った右肺に今回、旅行直前の肺炎が見つかって入院となったワケです。
普段でも片肺だけの生活なので、すぐ息切れしたり脆弱だったのが肺炎ですから入院も2週間に及んだのですね。
今は完治して普段どおりの生活に戻りました。
入院中は寝たきりだったので、足の筋力が衰えてるため、少しずつリハビリに励んでます。
胸膜中皮腫は悪性腫瘍で、その原因は「アスベスト(石綿)」です。
胸膜中皮腫は治療困難な病気のひとつで、診断されてからの生存期間は7~17カ月と云われてますが、治療してくれたお医者さまが優秀だったのか手術後11年になってもヨメは普通に生活できてます。
1960年代~1970年代にかけてトップ俳優だった男優がいます。
この人も胸膜中皮腫が判明したのですが、俳優になる前、海兵隊に入隊してて兵員輸送船のパイプからアスベストを除去する際に大量に曝露したのが病気の原因と考えられました。
彼の最後は1980年、お医者さまから心臓が手術に耐えられないと警告されてたにも関わらず、肝臓の腫瘍摘出手術を受け、手術中に寝たまま息絶えました。
享年50歳の若さ。
遺体はアメリカでは珍しく、火葬にされて太平洋に散骨されました。
彼の名前は「スティーブ・マックイーン」。
今の若い人には馴染ないでしょうが、身長177cm のマックイーンは最盛期「アメリカの象徴(American Icon)」と呼ばれるハリウッドを代表する映画俳優でした。
まさに私の世代が彼の最盛期と重なって、デビュー作とも云うべきTVドラマ「拳銃無宿」から1974年にポール・ニューマン、フェイ・ダナウェイと共演した映画「タワーリング・インフェルノ」までハリウッドのアクション俳優と云えばスティーブ・マックイーンと云うのが定番でした。
彼の名前をもっとも有名にしたのは次の2作品でしょう。
1960年に黒澤明監督の映画「七人の侍」をもとに西部劇に置き直して、ユル・ブリンナーやチャールズ・ブロンソン、ジェームズ・コバーンと共演した映画「荒野の七人」。
そして1963年にドイツ軍捕虜収容所に囚われてたヒルツと云う「独房王」と異名をもつアメリカ陸軍航空隊大尉をやった映画「大脱走」。
映画「大脱走」ではマックイーンがドイツ軍から奪ったバイクで国境の鉄条網柵をジャンプするシーンが有名ですが、このシーンはあまりにキケンなため保険の関係で映画会社の許可がおりず、バイク仲間のバド・イーキンズがスタントやってます。
それでもバイクの運転は名人級のマックイーン、その他のシーンはすべて自身がこなしてました。
なをマックイーンが絡まった鉄条網はゴム製なのでご安心を。
The Great Escape (10/11) Movie CLIP - Motorcycle Escape (1963)
とにかくマックイーンはどの作品でも文句なしにカッコよかった。
そして後に妻となるアリ・マッグローと共演した1972年の映画「ゲッタウェイ」公開時まで世界で最も高給取りの俳優でした。
マックイーンは熱心なバイクとレースカー狂でした。
映画で車を運転するシーンがあったら、必ずと云っていいほど自身がスタントをやってた。
あのカーチェイスで有名な1968年の映画「ブリット」でフォード・マスタングGT390を駆って敵を追跡するシーンのほとんどはマックイーン自ら運転してます。
まさに現在のトム・クルーズの先駆けと云っていいでしょう。
イヤ、CGやSFXの無い時代の作品ばかりですから、マックイーンの方が上をいってたかも知れません。
マックイーンはプロのレースカー・ドライバーになることを真剣に考えてて、いくつものカーレースに参戦してます。
それとともにオフロードのオートバイレースにも参加してます。
マックイーンが所有してたスポーツカーは次の通りです。
・ポルシェ917、ポルシェ908、フェラーリ512
・1963年型フェラーリ250ルッソ・ベルリネッタ
・ジャガー・Dタイプ XKSS
・ポルシェ356スピードスター
・1962年型コブラ
またマックイーンは飛行機も操縦し、何機かを所有してました。
これらの機は、ハリウッド北西にあるサンタポーラ空港に駐機されていたのです。
マックイーンのカーレースへの愛情がいかんなく発揮されたのが1971年に公開されたポルシェとフェラーリが接戦する映画「栄光のル・マン」でしょう。
ル・マン24時間レースをドキュメンタリータッチで描いたこの作品は、日本では大ヒットしたけど、世界的な興行では失敗作に終わりました。
しかし、作品の内容はまさに手に汗握る接戦の連続。
私のマックイーン物、イチオシ作品のひとつです。
マックイーンの作品数あれど1973年の映画「パピヨン」は特異な作品ですね。
ダスティン・ホフマンが共演した、ケチな金庫破りで捕まった男が南米ギアナのデビルズ島と云う難攻不落の島から脱走する物語。
この物語は無実を叫びながら終身刑になったものの脱獄に成功し、後にベネズエラ市民権を取得した男の実話がベースになってます。
マックイーンは映画「タワーリング・インフェルノ」に出演した後、突如としてスクリーンから姿を消します。
もっぱらオートバイレースに熱中し、映画など眼中になかったのです。
彼がスクリーンに復帰したのは1978年の映画「民衆の敵」からです。
この作品でマックイーン=アクション作品のタフガイと云うイメージと真逆のまさに演技派俳優として要求に答えたのです。
映画「民衆の敵」出演後のマックイーン出演作品は1980年の映画「トム・ホーン」と「ハンター」の2作品だけです。
マックイーンの胸膜中皮腫から広範囲にわたる転移が発見されたのがまさに1980年だったのですね。
マックイーンは病気を秘密にしようとしましたが、ある雑誌が「末期癌」だと報じたために表にでてしまったのです。
そして、同年11月、帰らぬ人となりました。