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耳(ミミ)とチャッピの布団

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Jan 19, 2026
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植民地支配を一度も受けたこと無い私たち日本人には理解しがたいことですが、いったい支配する側とされる側にどのような精神的、文化的交流があったのか?
また名目上は独立国ですが、実質的に植民地と同等の状態にある地域を指す「半植民地」と云う国もあります。
もっとも端的なのが冷戦終結までのポーランドやハンガリー、チェコスロヴァキア、ルーマニア、ブルガリア、そして東ドイツなどはソ連の衛星国とも云われました。


日本に近い東南アジアでも第2次大戦終了までほとんどの国が欧米の植民地でした。
唯一、ずっと独立を保ってたのはタイだけで、タイを境にイギリスとフランスが植民地支配すると云う形にしてたのです。
これはイギリスとフランスが条約を結んでタイは両国とも支配しないと云うことを決めたからですが、そこはタイ王朝の敏腕な外交が大きく影響したのですね。
このように大国の間やその植民地間にあって、衝突を防ぐ役割をする国を「緩衝国」と云います。

1941年12月8日に日本軍によるタイ侵攻が始まりましたが、同年12月中旬にタイと日本帝国の間で休戦および軍事同盟条約が結ばれました。
これによって、タイはイギリスとアメリカに宣戦布告し、逆に周辺諸国の地域を併合して北、南、東へと国を拡大していったのです。
東南アジアの主な旧植民地宗主国は、イギリス、フランス、オランダ、アメリカ、ポルトガルです。
イギリスはミャンマー、マレーシア、シンガポール、ブルネイ。
フランスはベトナム、カンボジア、ラオス(仏領インドシナ)。
オランダはインドネシア(蘭領東インド)。
アメリカはフィリピン。
ポルトガルは東ティモールを支配していました。
これらの国は第2次大戦後、独立して程度の差はあれど今では発展途上国とは云えないほど栄えてる国もあります。
しかし、これらの国で唯一発展もしなければ、行くのが東南アジアでもっとも危険として知れ渡ってる国があります。
16世紀、ポルトガルによって植民地化された東ティモールです。
1975年にポルトガルからの独立が宣言されましたが、その年のうちにこの国は隣国インドネシアに侵略・占領され、翌年インドネシアの27番目の州として編入されました。
そして23年後の1999年になって国連の後援による民族自決法に従い、インドネシアは領土の支配を放棄し、2002年にやっと東ティモールは21世紀初の新たな主権国家となったのです。

しかし現状は惨憺たるありさまで、貧困や失業を背景に強盗・窃盗などの犯罪やテロも多発。
マーシャルアーツグループと云う若者グループ間の抗争が発生するし、無免許運転や交通法規無視による事故が多発。
さらに停電は頻繁に発生し、暗闇での犯罪や事故を誘発してます。
南方特有のデング熱やマラリアなどの感染症、狂犬病も多発しており、そのくせ医療インフラは劣悪な状態なんですね。
イギリスの植民地だったシンガポール、アメリカの植民地だったフィリピン、両国とも宗主国の影響で公用語が英語となっています。
両国はこれをいかしてITや国際金融ビジネスを伸ばしているのですね。
フィリピンはそれ以前にスペインに、そして先程述べた東ティモールはポルトガルに支配された期間が長かったことからカトリック教徒が非常に多いです。
フィリピンのカトリック教徒は8,000万人以上で、世界で3番目に多いカトリック教徒の人口を抱えています。
東アジアのカトリック教徒の大多数はフィリピン人です。
カトリックは離婚できないので、日本人男性でフィリピンのお姉ちゃんと結婚して「しまった!」と後悔しても離婚できない人が多いのです。
マレーシアやインドネシア、フィリピンで行われているプランテーションは、植民地時代に強制栽培制度によって定着したもので、インドネシアのコーヒー、マレーシアの天然ゴムなど地場産業の発展に貢献しました。
ベトナムやラオスでは、フランス支配の影響で今もフランスパンが日常的に食べられてる他、ベトナム民族衣装のアオザイもフランス支配の時代に、シャツのウエストを締めて女性の体の曲線に沿って肩を上げ、衣装を長くする改良がなされて現在の形になっているのですね。
こうして植民地政策はもちろん悪なんですが、反面、伝統的な文化に西欧の文化が融合して新しい価値観が生まれる温床にもなりました。
それも宗主国、それぞれの個性にあわせて。
きのう述べましたようにベトナム戦争集結まで、ベトナム人のハイソサエティが海外留学する先はパリであり、学ぶ外国語も英語ではなくフランス語でした。
英語はむしろ中産階級以下、庶民の外国語で、これは米軍の影響ですが、恐らく米軍影響化になかったハノイなんかでは英語はやはりマイナーだったと思います。
ベトナム戦争の最中、バンコクに赴任してた私はよく隣国ラオスを訪れてました。
まだ現政権の共産主義が牛耳る前で、曲がりなりにも自由主義だった時代。
まだタイとベトナム国境のメコン川に橋が掛けられる以前の話しです。

広い川幅のメコン川を渡船で渡ると、もうそこはラオス領。
車がたちまち右ハンドルから左ハンドルに変わります。
戦争中なので首都ビエンチャンに続く道路のあちこちにラオス軍の検問があるのですが、装甲車の上に設置された重機関銃の銃口はみんなこっち向いてる。
銃手のラオス兵がクシャミでもして、うっかり引き金ひいてしまったら...私の身体はバラバラ。
毎回、そんな危ういビエンチャン入りでした。
そうして首都ビエンチャンに入ると、普段生活してるバンコクとは大違い。
住民は貧しいけど、なんともノンビリで、みんな人当たりがいい。
まるで日本の戦後前半のような居心地の良さが実感できるのです。

売られてる密輸の服はフランスの「ラコステ」オンリー。
煙草ブランドもバンコクで先ずお目にかかれない「ジタン」や「ゴロワーズ」などフランスものが。
ベイトナムの「バインミー」と同じく、ラオスでもフランスパンを使ったサンドイッチ「カオチー」が屋台レベルで売ってます。
そして、どんなチンケな食堂でも赤ワインがボトルで黙ってても出てくる。
それより何より、このノンビリした雰囲気は英語圏ではなく、フランス語圏の国がもってる特性かも知れません。
フランスのタヒチやボラボラ島が、アメリカのハワイやプエルトリコなどと全く違うのと同じように。
そんな宗主国の影も急速に失われてますね。
Instagram やX、FacebookなどのスマホによるSNSとYouTube などソーシャルメディアの発達によって、世界中の垣根がとりはらわれてる。
低開発国ほど通信回線インフラが脆弱なので、却って日本よりスマホの普及が急速だったのです。
こうしたITによる国境を超えたコミニュケーションの発達によって、旧宗主国がどこだったかなてこと誰も気にしない。
考えてみれば日本のポツダム宣言受諾によって、太平洋戦争が1945年に終結したので、昨年が終戦から80年目。
人ひとりの人生くらいの時間が経ってるのですから、旧植民地だ宗主国だと云っても知らない世代の方が多いでしょう。
それと地球規模のネットワークの影響で国ごとの特性が徐々に失われていってしまってるのですね。





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Last updated  Jan 19, 2026 05:24:32 AM
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