ガイドの最後のページ、2011/3/15と3/21にどんな行動をしていたか、とあります。
この2日間に東京にもブルームが来た。21日は特に雨だった、と記憶している。
危機を知らせてくれた友人は「雨に当たるな。特に降り始めに注意。」とも言っていた。
アタシは2日とも1日中家にいた。もちろん意図的に。
ただ、事前にブルーム到来日がわかっていたワケではない。
わかんないからひたすら引き籠っていただけの話。
15日は事故前から打合せの予定があり、電車も不通なのでチャリで行かねば
と覚悟を決めていたが、クライアントがメールと電話で何とか済まそう、
と言ってくれた。とてもラッキーだった。
初期被曝をほんの少しだけだろうけど軽減できたのは
助言をくれた友人と配慮してくれたクライアント、間違いなくこのお二人のおかげ。
事故の前年に20年以上暮らした、隙間風が吹き抜ける
渋谷のオンボロマンションから現在の
2重サッシ付きのマンションに越していたことも大きい。
前の住まいではとこちんにも影響が大であっただろう。
「とこちんの住まいは、青山のお外の暮らしから、雨風はしのげる渋谷へ。
そして床暖でヌクヌクの今。次は高級マンションにアップグレードにゃね、ボス!」
コンシェルジュに頼んでもカリカリの増量は無いけどね(-.-)
雨上がりの24日夜、高級レストランで食事した。
少々無謀かとも思ったが、これが事故後初の外出だった。
2011年4月、運悪くか運良くか、未だに判断は付かないけど
人気だった江東区の「プランター菜園講座」に補欠当選してしまった。
震災の関係で、講座は1ヶ月遅れの開始となり、キャンセルが発生した結果だ。
初夏の時点でのアタシの選択は、地に根付いて栽培された
北関東の野菜を食べるより、プランターで育てた野菜の方が安全だろう、
という考えで補欠合格を受け入れた。
【今でこそ、西日本の食材は近隣でも入手出来るが当時は非常に困難であった。】
ずっとベランダで野菜を育ててみたかったので、欲望が勝ってしまった。
これからここで生きて行くのだ、我慢ばかりはしていられない。
不幸な人生にも楽しみは必要。納得して死ねれば良い。
画像は今年の1月17日の「福島民友」という地元新聞。
出身者によるとあちらの家庭では全国紙はあまり読まれず
二大地元紙に人気があり、そのうちの一紙である、とのこと。
掲載の基準が名士だけなのか、角のタバコ屋さんのおばあちゃんまで
載せるものなのか、無償or有償なのか、など全く不明。
何にせよ、紙面の下半分がお悔やみ欄で埋め尽くされているのは事実。