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ペット喜怒哀楽

逃げる百姓、追う大名

逃げる百姓、追う大名

書名 : 逃げる百姓、追う大名
著者 : 宮崎克則
出版社: 中公新書1629 2002.2.25初版 218ページ \756

感想 : 
みみずくさんおすすめの「武士の家計簿」で紹介されていた本です。百姓が決して大名の言いなりになっていた、支配されきっていたってものでもない、ということが古文書、統計から立証されている。主に細川家と黒田家のが実例としてあげられている。

気になった表現 :
* 政治関係の悪さから鎖国間の商人往来、通行を禁止していたが、これによって民衆レベルの生活圏も分断せしめられていたわけではない。大名領国の固定は統一政権成立後のことであって、戦国期から商品の流通や婚姻などを通じて形成されていた経済圏・生活圏は、新たな大名領国の設定によってすぐに崩壊してしまうものではなく、江戸前期には領国を越える形で存在していた。

* 走り者にとっては単なる移住であっても、知行権・大名領国を限定された領主たちにとっては、領地外への移動は生産車農民の減少であり、領主は彼らを走り者とそて把握した。

* 帰国したら罪を免じる、年貢率を引き下げる
   入ってきたら新田開発権を与える

* 江戸時代の人口増加は、かつて大経営のもとにいた隷属農民が自律し、有配偶者率が高くなり、出生率が上昇した結果であると言われるが、そうした自然増加とともに、余所者の招致によっても。  1600年頃の全国人口は1千万人1.4千万人  1721年 2605万人 

* それより以前

* 1550年、武蔵品川の走り者発生に対し、退転した百姓が帰ってきた場合は、借銭・借米の返済免除 (後北条氏)

*1641年 幕府は各領での帰国推進に対して、数年他領にいた者の呼び戻しを禁止

* 江戸中期の走り者が、商品経済の展開による農民層分解の結果析出され、その多くが都市部へ流入したのに対し、前期の走り者は、開発経済に誘発された労働力移動現象だった。

* 走り者の続出による不安定な村落状況のなかで、比較的安定する有力な農民は庄屋・肝煎として村政の運営を握り、領主はそうした庄屋層を介して村を支配していたが、17世紀後半、小農民の経営が確立してくると、かれらは村方騒動などをとおして、村政運営を自らの手に握るようになり、領主支配のあり方も農民の村に依拠しつつ、これを把握。管理する方式へ変わっていく。

* 走りより、訴。

* どうも、小中高と習ってきた農村農民とは違う...結構組織化されていた、だから明治でころっとひっくりかえっても、上の首がすげかわっただけ、だったのかも?




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