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ペット喜怒哀楽

ホジュン

書名 : ホジュン
著者 : 李恩成
出版社:ランダムハウス講談社 2007.3.1第1刷 上550ページ ¥997 中456ページ ¥924 下481ページ ¥945
感想 : 2007.5.4~5日記に記載
気になった文章
* 両班、常民、賤民
3年ごとに続案で身元がしら得られる。身分は生涯確認される。
(DPRKのを異常だと思っていたけれど、朝鮮文化にあるわけね)
最下層の賤民:棺かつぎ、人夫、僧侶、家畜の解体処理をする白丁(ぺくちょん)、巫堂、広大、工匠、妓生、私奴婢を八般私賤

* 三十三種類の水 (・・・) 腫瘍の毒気を消すためには梅雨水、心身の虚弱を治すためには甘爛水、かゆみを治すには碧海水、これをわかして身体を洗う(アトピーの海水浴療法ってある!)(上201)

* ホジュンが妻に向って言う言葉
「そなたはこの厳しい世間についていちいち知る必要はありません。そなたはそなたが信じているように、世間のすべての人間は皆心根が優しい人たちだと思いながら生きればそれでいいのです」
(この発想、男性ってするらしい? 危険なんだわね。妻がそれでいられるような社会ってほとんどなくて、結局は社会の荒波にもまれるわけで、男として女を守りたいと思うのはありがたいのだけれど、実際にはね、夢物語。こう思われて結婚されたらそりゃ辛いでしょうよ。両方とも。でもいるんだよなぁ。いつまでもそこから抜け出せない妻、妻が抜け出して困る夫)

* 人が医員たらんとするための勉強は、1592種の薬剤の名前を覚えること、辛かん苦甘酸の五味の味とそれが身体に及ぼす影響とか喜怒憂思悲驚恐の七情の精神における状態と作用について、その全部をわかったとしても、最後の一つを知っていなくては本当の医員たりえない。(・・・)
最後の一つは「愛(サラン)だ」

* 八種類の医者のうち、その
第一を心医とする。(相対する人の心を常に安らかにさせる人格の持ち主、病人を真心からいたわる心がけがある)
二番目は食医(真心が不足し、病人が話す症状だけを聞いて、薬を調剤するばかり)
三番目は薬医(病人の声音を聞いて判断し病状の軽重を見出そうとはしない。具合が悪いとするその部位の薬だけを服用させる)
四番目は昏医(病人が危篤だと自分もうろうろする。高価な薬の売り込みの手管のみを考える)
五番目は狂医(病人とは普通、自分の苦痛を誇張して訴える、その訴えだけを聞き、やたらにきつい薬を飲ませる)
六番目は妄医(病人の苦痛を癒すどころか、病人の衣装を見ながら薬代を多くだせるかに関心、高価な薬こそよく効くと強弁する)
七番目は詐医(恰好だけは医者、診察するふり、いいかげんな調剤)
八番目は殺医(病気で苦しむものを持てもともに苦しみ合う心がない。他人の調剤した処方について、いちいちうるさく、売名)
(ははは、今時、いない? いえいえいます、あちこちに)

* 女子にとって、心がけが良く、腕前が良く、器量よしであれば三良し。
(女も男に三高なんてのを言うわけでね、目くじらたてるのもばからしい。でもなぁ、ひっかかる)

* 華だ(後漢時代の名医)の伝説の一つ、五禽之戯
  虎鹿猿熊鳥の姿勢と動作を真似て創案した独特な体操。これを実行した弟子たちは年が九十になっても青年のように若々しい気力に溢れていた。(太極拳とかヨガと似ている)

* 生きるか死ぬか、あれやこれやのすべての岐路で、生きることを選んだが、つらい暮らしに疲れ、あげくの果て、倒れた人を目の前にしても、二三度ばかり肩を揺さぶってみるだけの惨い人情の世の中である。それでもたまに人々は、自分のなしえなかった人情が、誰かによって代わって表わされることを望む。そして自分がそっぽを向いたことを誰かが代わりにてを尽くしてくれると、人々はその主人公が誰であるかをかえりみて、ようやくかすかな廉恥心を覚えるのだった。
 正しいこととは知りながらも、それを行いえない悔みと恥じらい。こうあってはならず、人間ならそうありたいものと、生きることの価値と徳目を熟知していながら行動が伴わないのである。それにたいし、世間が自分にたいしとりたて非難しているわけでもない。そのために、見過ごしてきた数多い記憶の中のはじらいの一つをホジュンという人間が黙々と雪いでくれたのだという噂がたった。
貧しい隣人を助け、弱き者を助けおこしたという余りにも単純な人間の一コマ。
 そんなことは自分もできたはずだし、あなたもやれたことだ。およそ人の面をかぶっている者なら誰もが為しうる行為であって、それを彼が行っただけのことなのだ。ただそれだけのことなのだ。見ず知らずの人間にたいしてはあれほど苛酷で利己的であり、惨い人情なのだが、ある瞬間にまた、隣人への余りにも当然な、好ましい行為一つにたいし、かくも熱狂してやまないというのも、人情の不可解さである。
(これねぇ、時々マスコミがとりあげるパターンね。そして、確かに私でも、相手によって行動を起こす起こさないあるしなぁ。かかわり方次第だし)

* 人間が自分以外の他人のために、特定の誰かでない世間のあらゆる病苦にしん吟している人々のためん、ためらいなく自分の生き身を八つ裂きの鋭刃の下に横たえることができるその姿(実話?)

* 尊い人命を扱う、この上なく気高い仕事ではあるが、それは施したことへの代価を求める商行為であるということで、医を賤業とみなす朝鮮の風俗。(・・・)医員選抜の資格からして中人以下の身分の者に限ると銘打っているのである。手に金銭を握るのがけがらわしいと思う(特に両班、だから朝鮮では医学書ができなかった)

* 朝鮮が中国に送る使節
定期的なものとしては、敏が暮れる前に皇帝に見える冬至使、新年が明ける年初に訪ねる正朝使、皇帝の誕生日を祝うための聖節使、皇室の枢要な祭祀に合わせて訊ねる千秋使・・・その他、謝礼を表すための謝恩使、なにか請願があるときに訪ねる奏請使、お祝いのために参る進賀使、そして慰労のために訪ねる進慰使など。それぞれ正使、副使、書状官など毎度200人前後。金儲けや高価品搬入の絶好の機会にする、ただし食糧飼料も自前、人夫も必要。医者は一人のみ。(たいへんだわ、日本はここまでやっていたのだろうか・・・)

* 狛犬 ← 高句麗の犬? 高麗狗の石像の群れ 対になっている 漢族が高麗犬と卑称する怪獣の石造が中国との国境から錦州までの間にたくさんある。華やかな模様で彫刻された石台を敷き、両型の下へ延びて頑強な力を感じさせる二本の前脚をでんと踏まえている異様な怪獣。それは一時、漢族が長城を築いてまで襲来を恐れた、恐怖の対象であった高句麗の象徴でもあるのだ。それは今なお海岸や丘陵や山脈の要所要所に、その飛び出しそうな目をむいて、漢族らの拠点である西方、中原の方を睨みつけているようだ。その猛々しい気骨は、この大陸の古の主人公が誰であるかを今なお叫び怒号している気勢にも見えた。 海駝(ヘエテ)に似て海駝ではない。獅子に似て獅子でもない。智恵を象徴する、整った額とその犬歯は怪獣の前姿であり、松笠のような形をし、堅くぎっしりと結わえつけている毛髪の下にひろがる、無限な生産の力を感じさせる厚い腰はその後ろ姿である。また、今にも咆哮しそうな頑丈な顎からはじまる横向きの姿において、その彫刻の痕は生命感に溢れている。その体面の襞襞に青い苔を生えさせている彫り手の腕前は、一体いかなる叡智、いかなる想像力によって彫りあげたために、かくも酷寒のこの地で二千年もの試練の時空を超え、今なお熱い息づかいで呼吸しつづけている高句麗の聖獣たらしめているのだろうか。

* お金を取らぬ医者の家、薬を教えてはくれるが、薬を売らない医者の家。

*倭を野蛮の族とみなし自らは文弱に流れた朝鮮だが、ともかくも、二百年近くは平和な時代を享受していた。 「兵可百年不用 不可一日不備」(軍隊は百年にただの一度だって使われなくてよいが、ただの一日たりとも備えに抜かりがあっては国が危うい)(う~ん・・・ 一見正しいような、でも、一度国防が始まると、仮想敵国の国防力を常に上まらないと気が気じゃなくなるわけで)


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