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ポムブログ~ポム・スフレの名曲大百科

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80年代洋楽

2008.09.29
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テーマ:洋楽(2568)
カテゴリ:80年代洋楽
ドゥービー・ブラザーズの音楽性は大ざっぱに言って、前期と後期に分けられる。
前期はトム・ジョンストン(Vo,G)をメインとしたR&R、後期はマイケル・マクドナルド(Vo,Key)を中心としたAOR風ポップスだ。
両者にはまったく通じるものがないというわけでもないが、基本的には別の音楽だ。
だから優劣をつける意味はないし、どちらを良しとするかは単純に個人の嗜好による。

で、ある愚か者の場合……もとい自分の場合はというと、聴くことが多いのは前期の方だ。
トム・ジョンストンのおおらかな歌声と豪快で泥臭い演奏は、聴いていてなんとも気持ちいい。
曲は分かりやすくてポップ。時には切なかったりもする。
適度にハードでコーラスもバッチリな彼らは、イーグルスとはまた違った意味での偉大なウェスト・コースト・ロックだ。
浴びるように聴いた3rd『Captain And Me』('73年)なんかは、今でも全曲歌えますぜ(…たぶん)

そんなドゥービーだったが、'74年にはトム・ジョンストンが病気のために離脱
バトンは、代わって加入したマイケル・マクドナルド(スティーリー・ダンのツアー・メンバーだった)に引き継がれることとなる。
以降も'78年の「What A Fool Believes」(全米1位)を頂点として成功をおさめていくが、音楽性の変化に伴うようにメンバーもどんどん入れ替わっていく。
結局、オリジナル・メンバーで最後まで残ったのはパット・シモンズ(G,Vo)だけだった。
そしてバンドは'83年に解散を宣言。
「フェアウェル・ツアー」と銘打った大規模なラスト・コンサートにはトム・ジョンストンもゲスト参加し、盛大に幕を閉じた。

それから六年後の'89年にドゥービーは再結成する。
メンバーはトム・ジョンストンを中心とした前期の面々だった。
当時は、往年のバンドが次々と再結成したり人気を再燃させた時期だったが、ドゥービーもそのひとつと言えよう。
通算十枚目のオリジナル・アルバム『Cycles』(上ジャケット)もこの年に発表された。

「The Doctor」はそこからのシングルで、全米9位を記録したロック・ナンバーだ。
ポップな楽曲、全盛期を思わせる歌と演奏は、往年のファンだけでなく自分のような(当時の)新しいリスナーも魅了するものだった。

イントロの躍動感あふれるピアノとギター・リフでツカミはばっちり。
ツイン・ドラムの音色は重厚で頼もしい。
張りのあるトムの歌声、ダイナミックなバンド・アンサンブルには有無を言わさず引きこまれる。
コーラスを効かせたサビも最高。
むくつけき親父たちの「Music Is The Doctor」というフレーズに心がおどる。
今でも聴くたびに元気をもらえる、パワフルで楽しい一曲ですスマイル

アルバムもそこそこのヒット(全米17位)を記録し、再結成はひとまず成功。
バンドは'89年、'90年と来日も果たし、さらにファンを喜ばせた。
その後もバンドはライヴを中心に活動を続けていく。
21世紀に入ってからはメンバーの死去に見舞われるなどのアクシデントもあったが、現在でもトムとパットを中心にドゥービーは健在のようだ。

彼らの音楽には、ポジティヴな響きと頭の中を駆け抜けるような爽快感がある。
アメリカン・ロックの醍醐味を伝えてくれる、愛すべきマリファナ兄弟たち。

つーコトで「The Doctor」を聴くにはここをクリック!
Music Is The Doctor
いい音楽は、健康にも良いのだ\(´ー`)ノ






Last updated  2008.09.29 08:27:02
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2008.09.26
カテゴリ:80年代洋楽
イエローの地にピンクの文字というジャケット・デザインが印象的な『Big Generator』は、'87年に発表されたイエス12枚目のアルバムだ。
本盤は、大ヒットとなった前作『90125』('83年)と同じメンバー、ほぼ同じコンセプトで制作されている。
ここで鍵を握っているのは、ギタリストのトレヴァー・ラビンだ。
南アフリカ出身のアーティストである彼は、ギターだけでなくヴォーカルもとれる男であり、なによりコンポーザーとして優れていた
前アルバム収録のナンバーであり、全米1位を記録した「Owner Of A Lonely Heart」も、元々はラビンのソロ用の曲だったというのは有名なハナシだ(…と思う)。

『Big Generator』のプロデュースは、元バグルス(※1)にして前作のプロデューサーでもあったトレヴァー・ホーンが引き続き担当するはずだった。
だが、レコーディングの途中でラビンと衝突したホーンは、そのまま降板してしまう。
結果、ラビンがプロデュースも担当することとなり、アルバムは彼の色が非常に強い仕上がりとなった。

「Love Will Find A Way」は、アルバムからの1stシングルとなった曲だ。
作詞、作曲はトレバー・ラビン。
メンバーの共作が大半を占める本盤の中での唯一のラビン単独作で、元々はスティーヴィー・ニックスのために書かれたという信じがたいエピソードを持つ曲だ。
曲調的にはプログレ臭はほとんどなく、産業ハード・ポップと呼ぶにふさわしい出来となっている。
ただし、ただの産業ポップではない。良質で美しい、Yesならではのキャッチー・チューンだ。

イントロのギター・フレーズ(※2)からして力がみなぎっている。
続くAメロは、いきなりジョン・アンダースン、クリス・スクワイア、そしてラビンの三声で歌われるという豪華さ。
サビへ向かうBメロ部分はジョンのハイトーン・ヴォイスが目立ち、高揚感を掻きたてる
対して、サビの部分ではラビンの声が目立っているのが面白い。
単に声質の問題で振り分けただけかもしれないが、この当時のバンドの政治関係を象徴した一節にも思える。
ブリッジ部(1:39~)でアンダースンの透明な歌声が響き、最後にラビンが「Away」と歌い継ぐ(1:55)という作りも絶妙だ。
ポップでドラマティックなメロディはもちろん、コンパクトな構成、考え抜かれたアレンジも文句なし。
全米30位とチャート的には振るわなかったが、「Owner Of A Lonely Heart」に勝るとも劣らない最高の一曲だと思う。
この曲と、'94年の『Talk』に収録の「The Calling」、そして「Owner Of A Lonely heart」と合わせて"90125イエス三大名曲"と勝手に位置づけているワタシです。

『Big Generator』はアルバム全体としても素晴らしい出来だったが、前作ほどのヒットにはならなかった。
現在でも世間的な評価は高いとは言えず、ファンの間でも賛否が分かれる作品である。
音楽的に「プログレっぽくない」というのも理由のひとつだろう。
もうひとつは、(前述のように)ラビン色がことさら強いというのがあったのかもしれない。
実際、このアルバムを最後にアンダースンはグループを脱退している(その直後にABWHを結成)。
こうした事実は、人によっては「ラビンがYesをのっとった」というふうに映るかもしれない。
だが、90125イエスは元々ラビンのグループとしてスタートする予定だった(※3)し、彼の指向した「コンテンポラリーなポップ・ロック」は、"プログレ"と呼ばれたバンドが時代を生き抜く方法論として正しかったはずだ。
バンドに新しい活力を吹き込み、80年代以降も延命させたラビンの功績はきちんと評価されるべきだと思う。
"イエスの顔"と呼ぶにふさわしい人物はジョン・アンダースンだろう。
だが、トレバー・ラビンもまたイエスなのだ。

『Big Generator』はプログレではないかもしれないが、Yesというバンドが作った素晴らしいポップ・ロック・アルバムだ、と断言したい。
実のところ、定番の『危機~Close To The Edge』(過去ログ参照)を別格とすれば、個人的にもっとも好きなイエスの作品がこのアルバムなのである。


つーコトで「Love Will Find A Way」を聴くにはここをクリック。
トレヴァー・ラビンに愛の手を!\(´ー`)ノ


※1 一時的にイエスのメンバーでもあった

※2 アルバム・ヴァージョンでは、ギターの前に大仰なチェロが挿入されている。

※3 元々はトレヴァー・ラビン、クリス・スクワイア、アラン・ホワイトのトリオによる"Cinema"というバンドが予定されていた。
そこにトニー・ケイやジョン・アンダースンが加わって新生イエスの誕生となった。






Last updated  2008.10.09 07:58:46
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2008.09.25
テーマ:洋楽(2568)
カテゴリ:80年代洋楽
僕がリアルタイムではじめて聴いたヴァン・ヘイレンのアルバムは『5150』('86年)である。
つまりヴォーカリストがサミー・ヘイガーに代わった頃だ。
それまでは、ラジオで流れていた「Jump」(過去ログ参照)以外ヴァン・ヘイレンをほとんど知らなかった僕は、「へ~、ヴァン・ヘイレンてこんな感じなの」と思いながら『5150』を聴いていた。


デヴィッド・リー・ロスのアルバム『Eat 'Em and Smile』が発売されたのは、それからほんの数ヵ月後(というかほぼ同時期)だったと思う。
Eat Em And Smile

↑すごいジャケット……(笑
ヴァン・ヘイレンの前ヴォーカリストだった彼にとって初の本格的ソロとなる本盤は当時大きな話題となり、「ヴァン・ヘイレンに対する挑戦状」みたいな言われ方もしていた。
ラジオでは、シングル・カットされた「Yankee Rose」がかかりまくっており、あるDJなどは「こっちの方がヴァン・ヘイレンらしい」みたいなことを言っていた。
バックを固めるのはスティーヴ・ヴァイ(G)ビリー・シーン(B)という途方もないメンツである。
当時のデヴィッド・リー・ロス・バンドは、演奏力という意味では、本家にも決して劣っていなかった。

ハード・ロック好きだった僕の先輩も「絶対にデイヴ時代の方がいい。サミーはクソ」などと断言していた。
クソですか先輩。そいつぁヒドイ。
と言いつつ、サミーには悪いが、僕も65%くらい同感だ(笑
デイヴは技術的にうまいヴォーカリストではないが、ヴァン・ヘイレンのサウンドや音楽性にぴったりだった。
ワイルドでアクの強いダミ声とエンターテイメント性あふれるキャラは、エディのギターと合わさって唯一無比の"バンド・マジック"を生み出していたと思う。
サミーのヴァン・ヘイレンも決して悪くはない。
彼は歌は上手いしギターも弾ける。
だが、サミー時代のヴァン・ヘイレンは、商業的には大成功したものの、デイヴ時代にくらべて音楽的な面白みは低下していたというのが僕の意見だ。

ヴァン・ヘイレンは基本的にエディのバンドだ。
だが、デイヴという男がいてこそ、このバンドは輝きを増すのだと思う。
大股を広げてジャンプをするのが得意な彼の愛称は"ダイヤモンド・デイヴ"だ。


『Skyscraper』は、そんなデイヴの2ndアルバムである。
発表は'88年。これもまたヴァン・ヘイレンの『OU812』の発表と同じ年だった。
バックのメンバーは前作と同じ。
違うのは、前作に比べてポップ性がより増したこと、サウンド自体もやや丸くなったことだろうか。
ただし全体的なインパクトはもうひとつ。
ポップなのはいいんだけど、曲自体の出来がイマイチなんだよねぇ。中途半端というか。
ビリー・シーンのベースがおとなしめ(デイヴの指示だったらしい)なのも不満が残る。
これじゃ超絶テクのベーシストをやとった意味がないやん、という感じ犬
ビリーが本作を最後に脱退するのもよく分かる仕上がりです。

「Just Like Paradise」は、そんな本盤の中でも突出した一曲だ。
シングル・カットされて全米6位を記録。
デイヴとブレット・タグルという人物の共作で、「まるっきりパラダイス」というおバカな邦題も納得のパーティー・チューンに仕上がっている。
80年代アメリカっぽいカラリとしたイントロが気持ちいい。
スティーヴ・ヴァイのギターも快調に唸りをあげる。
デイヴの悪ガキのような歌声は"うまいヘタ"を越えてロックだ
輪郭のくっきりしたサビメロは一緒に歌うのに最適。
後ろできらびやかに鳴るシンセの音もイイっすグッド

あの時代に量産された産業ポップ・ロックのひとつといえばそれまでだが、デイヴらしさは充分に出ている。
ブレイクでの「Ho!」という雄叫びも気持ちいいこの曲は、彼がまだダイヤモンドの輝きをはなっていた時代の名作と言いたい。
PVと合わせて見ると楽しさ倍増ですぜスマイル
そういえば当時のデイヴは、東芝のCM(これね)なんかにも出ていましたね。

このシングルと共にアルバム『Skyscraper』も全米6位まで上昇。
一応の成功をおさめたデイヴだったが、この直後にはスティーヴ・ヴァイにも逃げられてしまい、以後は音楽的にも商業的にも失速してしまう。
21世紀に入ってからはカバー・アルバムを出したのみ。
すっかり"過去の人"という印象がついてしまった彼だったが、なんと2007年にはまさかのヴァン・ヘイレン復帰(※1)。
ベーシストとしてバンドに加入(※2)したエディの息子、ヴォルフガング・ヴァン・ヘイレンを「黙れクソガキ」と罵倒するなど、ロックな精神も忘れないデイヴ親父でした。

また日本に来るのかな~? ヴァン・ヘイレンとして……


つーコトで「Just Like Paradise」を聴くにはここをクリック!


「黙れクソガキ」発言の映像はこちら
'08年1月26日のライヴ。
この日はエディの誕生日で、突然「Happy Birthday」を歌いだしたエディの息子にデイヴが「shut ur f***in mouth wolfie」と言っている(00:15あたりに注目)。
エディはうろたえて演奏を中断し、場の空気も凍ったが、4:58あたりの所でデイヴが一応フォローのコメントを入れている。


※1 サミー・ヘイガーは'96年にバンドを脱退。三代目ヴォーカリストのゲイリー・シェローンもアルバム一枚のみで脱退した。

※2 ヴァン・ヘイレン結成時からのベーシスト、マイケル・アンソニーは2002年に解雇。2004年のツアーにも参加しているが、"雇われベーシスト"扱いだったとか。






Last updated  2008.09.26 00:47:34
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テーマ:洋楽(2568)
カテゴリ:80年代洋楽
スクイーズは、同時期にデビューしたXTCと並んでニュー・ウェイヴ以降のブリティッシュ・ポップを代表するバンドだ。
英国的ではあるが、XTCやエルヴィス・コステロほど毒気の強くないメロディ・センスは個人的にもビンゴだったりする。
キーボードを軸とした演奏もスマートで聴きやすい。
グルーヴィーなビート・ポップとでも言おうか。
クリス・ディフォードとグレン・ティルブルックによる低音高音ヴォーカルも抜群のコンビーネションだ。
ソングライター・チームとしても評価の高い二人は"小粒なレノン/マッカートニー"といってもいいかも。

そんな彼らだが、日本における知名度はどうもイマイチ
なんせ代表曲として挙げられることが多いのが、ワン・ショット参加だったポール・キャラックの作、ヴォーカルによる「Tempted」だもんなぁ(たしかCMでも使われていた)。
他にもいい曲はい~っぱいあるのにね、このバンド熱帯魚
まあ、確かに華やかさには欠けるワケですが(笑


'87年にリリースされたシングル「Hourglass」は、このバンドの代表曲のひとつだ。
アルバム『Babylon And On』(上ジャケット)に収録のナンバーで、僕が初めて聴いたスクイーズの曲でもある。
ストレンジなビデオ・クリップがMTVで大ウケしたこともあり、イギリスのみならずアメリカでも15位まで上がるヒットを記録。
アメリカでの成功とはあまり縁のない彼らにとって、唯一のTOP20ヒットとなった。

ビートルズ的センスに微妙なヒネリを加えたメロディが印象的。
ポップだが口ずさみにくいサビは、クセになりそうな味わいがある(笑
グレンの歌声は個性には欠けるものの、人懐っこい響きがあり好感がもてる。
すき間を埋めるシンセ・ビート、どこか垢抜けないホーンの音色もステキ。
ブレイクでのチャカポコした打楽器の音も実に楽しい。
「Up The Junction」、「Cool For Cats」、「Another Nail In My Heart」と並ぶスクイーズ流ポップ・ソングとしてオススメです。

ちなみに、現時点における彼らの最後のオリジナル・アルバムは'98年の『Domino』。
21世紀以降は、クリスとグレンの仲たがいで活動を停止してた時期もあったようだが、現在はふたたびライヴを行っているとのこと('09年1月にはグレンが単独で来日の予定)。
去年('07年)はライヴ盤も出たことだし、ここらで久々の新作を期待したいトコロですね。

なお、'79年の2nd『Cool For Cats』はブリティッシュ・ポップを代表する名盤としてイチオシの一枚です(解説はこちら)。
このグループに興味を持った方は迷わず購入されることをオススメしますウィンク

つーコトでとりあえず「Hourglass」を聴いてみよう。
ここをクリック!
『Cool For Cats』に収録の名曲「Up The Junction」はこちら






Last updated  2008.09.25 05:40:16
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2008.09.10
テーマ:洋楽(2568)
カテゴリ:80年代洋楽
アラン・パーソンズは、後期ビートルズのエンジニアとしてキャリアをスタートさせた人物だ。
その後は、ポール・マッカートニーのソロ、ホリーズ、アル・スチュワート、パイロットなどのセッションにエンジニア、プロデューサーとして参加。
有名なピンク・フロイドの『The Dark Side Of The Moon(狂気)』のエンジニアリングを手掛けたのもアランで、あの驚異的なサウンド・クオリティは彼の力による所が大きい、というのはよく知られているだろう。

アラン・パーソンズ・プロジェクト(以下APP)は、そのアランが、シンガーソングライター兼ピアニストだったエリック・ウルフソンと組んだユニットである。
"プロジェクト"という名義が示すようにはっきりした実体を持たず、曲ごとに様々なヴォーカリストを迎えるという形をとっており、その中にはスティーヴ・ハーレー、デヴィッド・ペイトン(パイロット)、クリス・レインボウ、コリン・ブランストーン(元ゾンビーズ)、レスリー・ダンカンなど、通好みのファンが泣いてよろこぶ泣き笑い名前がいくつも見られた。
1stアルバムには、『市民ケーン』や『第三の男』などで知られる俳優/映画監督のオーソン・ウェルズが参加しているのだから驚きだ。
ライヴをやらないという姿勢も"匿名ユニット"的な神秘性を強めていた。

そんなAPPのデビューは'76年。
当初はプログレ色の濃い音楽性だったが、アルバムを重ねていくごとに大衆的ポップ感覚を押し出していく。
スケール感を持ちながらもアクの少ないサウンドは、プログレとポップの両方のファンに受け入れられるものだった。
エンジニア出身のアランが中心だけあって、(当時としては)非常にクリアな音作りも魅力だった。

「Time」は、五枚目のアルバム『The Turn of a Friendly Card(運命の切り札)』に収録の美しいバラードである。
邦題、「時は川の流れに」。
恋人との別れというシチュエーションを通してこの世の無常観を歌ったものだ。
エリック・ウルフソンとアラン・パーソンズの共作であるこの曲は'81年に全米15位を記録。
同アルバムからの「Games People Play」(全米16位)に続くヒット・シングルとなり、のちの「Eyes In The Sky」(全米3位)、「Don't Answer Me」(同15位)と並ぶコンパクト・ポップ路線の代表作となった。

イントロで聴けるピアノは、文字通り川を流れるよう。
シンプルで気品にあふれたサウンド、ゆるやかな演奏がなんともいえない。
エリック・ウルフソンの消え入りそうな歌声は、淡々とした曲展開にハマっている。特に「Till it's gone forever...Gone Forever」という、高音を強調した部分の気持ちよさは吸いこまれそうになるほど。
バック・ヴォーカルにはアラン・パーソンズ自らも参加。意外(?)なことに、彼自身の声が聴ける数少ない曲のひとつとなっている。

また、空間的な音処理の仕方が絶妙で、透き通るような美しさを感じさせる仕上がりは絶品。
はかなげなストリングスの音色にも溜息がもれる。
エリック・ウルフソンのポップ・センスと、サウンド職人アラン・パーソンズの力量ががっぷり組み合った名トラックですな。

この曲の他にも、アルバム『The Turn of a Friendly Card』は全篇が聴き所といえる傑作。
プログレ・ファンにもポップ・ファンにも自信をもってオススメできる一枚です。
というか、'86年までに残された10枚のオリジナル・アルバムはどれもが名盤

ベスト盤を聴いてポップなシングル曲から入っていくのもよし。
『The Turn of a Friendly Card』や『Eyes In The Sky』などの定番アルバムから入っていくのもよし。
職人たちによって作り上げられた、美しきAPPワールドに酔いしれろ!


つーコトで「Time」を聴くにはここをクリック。
メランコリックなポップ・ソング「Don't Answer Me」(ここを参照)も聴こう。ここをクリック。






Last updated  2008.09.10 15:09:01
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2008.08.22
テーマ:洋楽(2568)
カテゴリ:80年代洋楽
自分の中でのTOTOは、「好きだけど、あまり聴かないバンド」という位置づけである。
曲はポップで分かりやすい。演奏もしっかりしている。
けどその分、どこか予定調和的で、ガツンとくるようなインパクトは少ないような気もする。
そのくせ、歌える曲はそれなりにあるんだよなぁ犬
「Hold The Line」、「Georgy Porgy」、「99」、「Rosana」、「Africa」、「Pamela」などなど……。

そんな自分にとってTOTO初体験となったのが、'86年発表の「I'll Be Over You」である。
六枚目のアルバム『Fahrenheit』(上ジャケット)からの先行シングルとして切られたこの曲は、同年に全米11位を記録。
当時は日本でもなかなかの話題となっており、ラジオの洋楽番組でしょっちゅうコレが流れていたと記憶している。
産業ロック……もといAORグループとして括られることの多いTOTOだが、この曲はそれを証明するかのような手堅いロック・バラードに仕上がっている。

この時TOTOは、グループに新しいヴォーカリストを迎えていた。
新メンバーの名前は、ジョセフ・ウィリアムス。『Jaws』、『Star Wars』などで有名な映画音楽の巨匠、ジョン・ウィリアムスの息子である、
サラブレッドなうえに、伸びやかなハイトーン・ヴォイスと甘いマスクを持ったジョセフの加入が話題にならないはずもなく、メディアはことあるごとにそれを強調していた
おかげで、当時まだTOTOのことをよく知らなかった僕は、「I'll Be Over You」もジョセフが歌っているものだと信じて疑わなかった。
が、この曲でリード・ヴォーカルをとっているのは、ギタリスト兼ソングライターのスティーヴ・ルカサーである。後続シングルである「Without Your Love」も、ヴォーカルをとっているのはルカサーだった。
なんじゃ、ややこしい。っていうか、それじゃ何かと話題にされたジョセフの立場がないやんぶた
かなり後になってこの事実に気付いた僕は、そんなことを思ったのでした。

曲の作者は、ルカサー本人と職業作曲家として知られるロバート・グッドラム。
イントロはなく、いきなりルカサーの歌からはじまるという作りになっており、出だしのところで彼のブレス音が聞こえるのが、なんとも生々しい。
ルカサーのヴォーカルは、線は細いが、ジェントルでなめらかだ。
楽曲、アレンジにもソツがなく、派手さはないながらも、しっとりした歌と演奏はなかなか胸にシミるものがある。
哲学的な深さを持つ歌詞も素晴らしく、まさに"大人のロック"という感じだ。

バック・ヴォーカルには、ゲストとしてマイケル・マクドナルドが参加。
後期ドゥービー・ブラザーズをAORバンドとして引っ張っていった彼は、ここでも透明感ある歌声を聴かせ、曲の完成度に貢献している。
さらには、本人が望んだのかどうかはともかく、PVにもしっかりと出演。濃いおヒゲにつつまれたダンディなマスクを見せてくれます。

間奏とエンディングにおける、短いギター・ソロにしても注目したい。
ここでのルカサーは、テクニック的に特別むずかしいことはやっていないが、輪郭のくっきりした音色による良い演奏を聴かせており、「さすが元スタジオ・ミュージシャン」と思わせるものがある。
そういえばマイケル・ジャクソンの「Beat It」は、ソロを弾いているエディ・ヴァン・ヘイレンばかりが注目されるけど、ベースとサイド・ギターを弾いてるのはルカサーなんだよね。
ちなみにその「Beat It」でドラムを叩いてるのは、これまたTOTOのメンバーであるジェフ・ポーカロ
ポップ・クリエイターであると同時に職人さんなんですね、この人達は(ちょっと脱線)。


「I'll Be Over You」はそこそこのヒットとなったが、アルバム『Fahrenheit』自体は商業的に良い結果を残せなかった。
その二年後に発表した『The Seventh One』('88年)はさらにセールスを下回り、世間的な意味でのTOTOは"過去のバンド"になってしまった。
ジョセフ・ウィリアムスは'89年に脱退。
'92年にはジェフ・ポーカロの急死という危機にも直面するが、バンドはルカサーを中心として存続。
ドラマーにサイモン・フィリップスを迎えるなどをして頑張ってきたTOTOだが、とうとう'08年の6月に解散宣言が出された。
同年4月5日の韓国公演が彼らにとって最後のライヴとなった。
なお、同年3月のボズ・スキャッグスとのジョイント来日公演にはジョセフ・ウィリアムスも参加している。


ひと昔前は「産業ロック」などと言われていたTOTOだが、ロックやAORのほかにも、プログレやフュージョンなどの幅広い要素を持ったバンドであり、日本でのファンも多かったという。
ファンとはいえない僕ですが、あらためて"解散"という言葉を聞くと、やはりサビシイものがありますね。
三十年以上にわたる活動、お疲れさまでしたスマイル

つーコトで今日はTOTOの名曲「I'll Be Over You」を聴こう。
ここをクリック!(演奏がはじまるのは00:30あたりから)






Last updated  2008.08.22 03:17:43
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2008.07.30
テーマ:洋楽(2568)
カテゴリ:80年代洋楽
"Retrofest 2008"出演者の中で、もうひとり気になった人を取り上げてみる。
ハワード・ジョーンズだ。
"エレポップ"の代表選手として、80年代の数年間に人気を博したあの人である。
アルバム『かくれんぼ』と聞いて、「なつかし~泣き笑い」と頬をゆるませる方もいるだろう。

自分の場合、ハワード・ジョーンズといえば思い出すのが高校の時の同級生だ。
洋楽にはまるで興味のないヤツだったが、顔のつくりといい、逆立てたヘアー・スタイルといい、どっからどうみても"ハワード・ジョーンズ"な男がいたなぁ。
当初は「現役で東大に受かる」とか言っていたが、最終的には一浪して駒沢大学に行ったというアイツだ。
大仲、元気か~?スマイル


'55年生まれ、イギリスはサザンプトン出身であるハワードは、'83年にシングル「New Song」でデビュー。
それまでプログレやパンクなどをやっていたという彼は、デビュー時にはすでに28歳になっていたという遅咲き型である。
彼の作る親しみやすいメロディとお手軽エレポップ・サウンドは時代の波にのり、1stアルバム『Human's Lib(かくれんぼ)』からは先述の「New Song」をはじめとして、「What Is Love」、「Pearl In The Shell」、「Hide And Seek」などが次々とイギリスでヒットする。
シンセをひとりで演奏するハワードと、パントマイムのダンサー(これもひとり)だけで繰り広げられるというステージも話題を呼んだ。
'85年発表の2nd『Dream Into Action』はアメリカでも好セールスを記録し、そこからは「Things Can Only Get Better」(全米5位、全英6位)、「Life In One Day」(米19位、英14位)というヒットも生まれている。

「No One Is To Blame(悲しき願い)」は、その2ndアルバムに収められていた曲である。
オリジナルは、ハワードの歌とキーボードを中心とした非常にシンプルなサウンドだったが、それにリミックスを施してシングル発売されることとなった。
プロデュースをまかされたのはフィル・コリンズである。

イントロのチャカポコしたビートからしてフィル色全開
そこにオルゴールのようなシンセが重なるとこなどは、なかなかにシミる。
メロディはやさしくて切ない。ハワードのジェントルな歌声、やわらかなピアノにも好感が持てる。

そして、ツー・コーラス目からはフィルのタイトなドラムとコーラスがおもいっきり重なり、"With Phil Collins"状態に(笑
この辺は好みが分かれる所だろうが、個人的には"許せる範囲"のプロデュースだし、シングル用に加工するならこれで正解だと思う。

このシングル・バージョンは、ビルボードで最高4位を記録し、ハワードにとってアメリカでの最大のヒット曲となった。
また、米Radio&Record誌では1位を記録したため、同誌を基準とした「ベストヒットUSA」では"This Week's No.1"(←小林克也の声)としてこの曲が紹介されていた。
当時それを見ていた僕は、「おお!びっくりハワード1位になりやがった!」と驚いたことを覚えている。

が、彼の全盛期はここまでだった。
その後に出したシングル「You Know I Love You」はなかなかの佳曲だったが、a~haの「Take On Me」そっくりのPVが災いしたのか(笑)、思ったほどの成績は残せなかった(米17位、英43位)。
アリフ・マーディンがプロデュースした3rd『One To One』(上ジャケット)もアメリカでのセールスは惨敗。同時に、本国イギリスでの人気にも陰りが見えはじめていた。
'89年に出した4th『Cross That Line』からは「Everlasting Love」(全米12位)というヒットも生まれているものの、その頃にはすでに"過去の人"という印象になってしまっていた。
そして'93年に出したベスト盤を最後にハワードはメジャー契約を失ってしまい、そのまま現在にいたる(以降の作品は自主レーベルから)。


私論を言うなら、この人の本質は"エレポップ"である以上に"優れたシンガーソングライター"だと思う。
だが、その部分を強調しようとした3rd以降、それと反比例するように人気が低迷していったのは皮肉だった。
ハワード・ジョーンズというと、ピコピコしたシンセが愛らしい1stが代表作というイメージがあり、それはそれで間違ってないと思う。
だが、「No One Is To Blame」のシングル・バージョンが入っている3rd『One To One』も捨てがたい一枚だし、4th『Cross That Line』もスルメ的味わいを持った名盤としてオススメしたいところだ。
もちろん1stかベスト盤から入るのが無難だけどね。近年CMでつかわれた「New Song」なんかは若い人も知ってるだろうし。

とりあえず、「No One Is To Blame」はホロリとくる名曲。
つーコトでここをクリックだ。

大仲ぁ、元気か~?スマイル






Last updated  2008.07.30 04:41:20
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2008.07.29
テーマ:洋楽(2568)
カテゴリ:80年代洋楽
"Retrofest 2008"まであと一ヶ月となりましたね(8月30、31日)。
このブログの読者で、行かれる方はいるのかな?

Retrofestとは、英国で開催されるフェスティバル形式のイベントで、80年代に活躍したアーティストが集うのが特徴となっている。
今年の主演者はバングルス、ボーイ・ジョージ、ポール・ヤング、キム・ワイルド、 10cc、ハワード・ジョーンズ、ミッジ・ユーロ、ニック・カーショウ……などなど。
その中にまじって、オリジナル・メンバーで再結成されたカジャ・グーグーやブロウ・モンキーズなんて名前があったりする。ほっほう犬
懐かしく、そして微妙にソソられますなぁ。特に後者。

ブロウ・モンキーズは、Dr.ロバートことブルース・ロバート・ハワードを中心に結成されたブリティッシュ・ポップ・グループである。
デビューは'84年。音楽的にはいわゆる"ブルー・アイド・ソウル"に分類されるもので、黒人音楽の影響をあらわにしたオシャレなポップ・ソングは、同時期に活躍していたスタイル・カウンシルと並べて語られることが多かったようだ。
この当時は、彼らの他にもWham! カルチャー・クラブ、スパンダー・バレエ、シンプリー・レッドなど、黒人音楽をベースにしたポップ・グループが多く存在していた。
その中でも、デヴィッド・ボウイ似のルックスを持つDr.ロバートは、ブラック系のレコードを三万枚所有するコレクターだそうで、そのキザったらしい雰囲気とは裏腹(?)にソウル、R&Bへのこだわりは並々ならぬものがあったとみえる。

「Digging Your Scene」は彼らの2nd『Animal Magic』に収録のナンバーで、'86年に全米14位、全英12位を記録。
ブロウ・モンキーズといったらコレを思い浮かべる……というかコレしか知らないという人も少なくないだろう。
実際、本国イギリスはともかく、アメリカにおけるTOP40ヒットはこれだけ
その昔、洋楽デビューしたばかりだった当時の自分は、アルバム『Animal Magic』をレンタ&テープ・コピーして、この曲ばかりを聴いていた覚えがある。
浅はかなビルボード至上主義だったあの頃が懐かしいなぁひよこ

弾むようなギター・カッティングではじまるこの曲。
ロバートの黒人音楽に対する憧憬をダンサブルに昇華した仕上がりで、華やかに舞うストリングス、いかがわしい音色のホーンが強烈な印象を残す。
何より耳をとらえるのはそのメロディ・ラインか。特に、女性コーラスが賑やかに「べぇえいべい!」とキメる部分などは無駄にキャッチーで、思わず一緒に歌いたくなってしまう。
ロバートのヌメヌメした歌声、全篇にただよう下世話な雰囲気もタマりませんです。
"あだ花"と紙一重のインパクトも魅力的な、ミドル'80sの名曲のひとつだと思う。

その後も彼らは、よりダンサブルな「it dosent have to be that way」、メロウな「Out With Her」、そしてハウスに接近した「Wait」などの佳曲を発表。
当時の英国首相だったサッチャーを(作品を通して)攻撃したり、カーティス・メイフィールドとの共演シングルを作るなど、アグレッシヴな創作姿勢を見せていくが、80年代の終わりとともに解散してしまう。
Dr.ロバートはその後ソロとして活動。が、ソロ作までフォローする気になれなかった僕は、時々思い出したようにブロウ・モンキーズのアルバムを引っ張り出すだけだった。
時は流れて2008年。「そういえばブロウ・モンキーズの人って、今ナニやってんだろう?」などと思っていた矢先に飛び込んできたのが、バンド再結成と"Retrofest 2008"の報なのでしたスマイル

同時期の80'sアーティストに比べるとどうも忘れ去られている感も強いが、彼らの音楽は本物だったと思う。
今度のフェスティバルでも「Digging Your Scene」で盛り上がるんだろうなぁ(´ー`)

つーコトで、ここをクリックしてブロウ・モンキーズの魅力を再確認しよう。
いえーい、べぇえいべい!ぐー






Last updated  2008.07.30 02:34:50
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2008.07.19
テーマ:洋楽(2568)
カテゴリ:80年代洋楽
今年で五十の齢(よわい)を迎え、先日は新作『22 Dreams』を発表したポール・ウェラー。
彼のキャリアは、大別して三つに分けられる。
90年代以降のソロ、スタイル・カウンシル、そしてThe Jamだ。
どの時期のウェラーにも違った良さがあるが、あえて言うなら「ジャムが一番いい」という人も少なくないだろう。
実際ジャムの曲は、今聴いても単純に「カッコいい!」と言いたくなるものが多い。
ワタシなんかも「Eton Rifles」や「Going Underground」を聴いてひとりでヘッド・バンキングしたものです。ハイッ!スマイル

にも関わらず、ウェラー兄貴のソロ・ライヴでジャムの曲が演奏される割合はあまり多くない
ソロの曲だけでも充分なステージが出来るという自負からだろうか。
あるいは、今の自分の立ち位置(年齢?)からしてジャムの曲は似つかわしくない、ということだろうか。
それはソレでごもっともなのだが、あれだけ名曲があるのにもったいないねひよことも思う。

そんな中で「Town Called Malice」は兄貴のライヴ・レパートリーとして演奏され続けている、数少ないジャムの曲のひとつだ。
邦題「悪意という名の街」。'82年のラスト・アルバム『The Gift』(上ジャケット)に収録。
同年の1月に先行シングルとしてリリースされ、全英1位を記録した後期の代表作である。

作詞、作曲はもちろんウェラー。
よく知られているように、この曲はシュープリームスの「You Can't Hurry Love(恋はあせらず)」のリズム・パターンが下敷きとなっている。
お約束だと分かっていても、イントロを聴いて腰がムズムズしてしまうのは僕だけではなかろう。
ちなみに、同じ'82年にはフィル・コリンズがずばり「You Can't Hurry Love」をカバーしてヒットさせていたり(全米10位、全英1位)、さらにはホール&オーツの「Maneater」(過去ログ参照)がヒットするなど、このリズム・パターンがちょっとしたブーム(?)となっている。

この時期のジャムはよく「スタカンの予行演習」みたいな言い方をされ、多様化するウェラーの音楽性にリズム隊がついていけてないという指摘もされる。
だが、この曲での力強い演奏を聴くと、とてもそんなコトを言う気になれない。
オルガンで味付けはされているものの、パンク的な荒々しさを残したこの躍動感はまぎれもなくジャムだ。特にリック・バックラーのタイトなドラミングは素晴らしい。

ウェラー兄貴の歌唱もアグレッシヴだ。それでいて初期のような硬さがとれて聴きやすくなっている。
反面、メロディの輪郭が思いのほかボヤけており、楽曲自体は若干弱い印象があるのが難点か。
が、それも演奏の勢いで帳消しにされているし、「ぱっぱっぱらっぱ~」というスキャットには胸おどるキャッチーさがある。
ブルース・フォクストンによるベース・ラインもごきげんオーケー 彼のコーラスも含め、ジャムならではの名ポップ・ソングに仕上がっていると思う。

ジャムは一般的に"パンク"のカテゴリーに入れられることが多く、当時から"ロンドン五大パンク・バンド"のひとつに入れられていた。
だがそれは、ウェラーの世に出るタイミングがその時のムーヴメントと重なっていただけであって、彼の才能はパンクにとどまるものではなかった。
「Town Called Malice」発表当時の「14歳の頃からモータウンをやっていた、そこに戻ったんだ」という発言はそれを裏付けるものだ。後期のライヴではカーティス・メイフィールドの「Move On Up」をカバーしている。
彼の行き着く先がスタイル・カウンシルというのも当然だったのだろう。

かく言う自分も昔はビート信仰みたいなものがあったため、ジャムといったら1stから4thあたりまでの曲をよく聴いており、後期の作品はスルー気味だった。だが、歳を重ねるにしたがってこの時期の曲が好きになってきている。
アルバム『Gift』は若干チグハクな部分も見られるものの、充分いい出来だと思うし、「もうちょっとこの三人でやってもよかったんじゃないの~?」なんてことも思ってしまうが、それを言うのは野暮というもの。
ここでやめておいたからこそ、ジャムは美しい伝説となったのでしょう。

直球パンク・バンドから出発し、紆余曲折を経て自分流のソウル・ミュージックを作り上げたウェラー兄貴。
「Town Called Malice」は、彼の過去と現在を結ぶ忘れがたい一曲だ。
今年のサマーソニックでも、コレを演奏してくれるのかな?

つーコトで「Town Called Malice」を聴くにはここをクリック!
ぱっぱっぱらっぱ~♪スマイル






Last updated  2008.07.19 11:25:17
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2008.07.10
テーマ:洋楽(2568)
カテゴリ:80年代洋楽
70年代も明けたころ、それまで五年間音楽活動を停止していたジョン・レノンは新作アルバムのレコーディング(=Double Fantasy)を開始する。
B-'52sは、そのきっかけのひとつとなったグループらしい。
彼らのデビュー曲「Rock Lobster」('79年)での女性ヴォーカルの声は、オノ・ヨーコそっくりだ。
それを聴いたジョンは、ヨーコに向かって「世間は君の音楽を受け入れる準備ができたようだ」と言ったという。
もっとも、自分がその逸話を知ったのは90年代に入ってからのことで、80年代の終わりにB-52'sの「Roam」や「Deadbeat Club」を聴いた時には単純に「いい曲だなぁ」と思ったものだった。

B-52'sの結成は'76年。
ケイトとシンディという女性ヴォーカルふたりと男性ヴォーカルひとりをフロントに据えた編成で、バンド名は女性メンバーの髪形の俗称からつけられたという。
奇抜なファッション、50~60年代音楽をエキセントリックに再構築したサウンドが特徴の彼らは、いわゆる"ニューウェイヴ"のカテゴリーに分類された。
'79年のデビュー以降、本国アメリカよりもイギリスの方で人気が高く、商業的には中堅クラスながらも順調にアルバムを発表していく。

自分が初めて聴いたB-52'sのアルバムは、5枚目(ミニ・アルバムを入れると6枚目)にあたる『Cosmic Thing』(上ジャケット)だった。
'89年発表。メンバーの急死(リッキー・ウィルソン)を経て制作された作品である。
プロデューサーにナイル・ロジャースドン・ウォズを迎えたこのアルバムは、全米4位、全英8位とグループにとって最大のヒット作となった。
彼ら本来のキテレツな味わいを微妙に残した上で"フツーに良質なポップ・ソングでまとめた"感じの内容となっており、チャートでトップ3に入るシングルも二曲生まれた。
「Roam」はそのひとつ('90年、全米3位)で、自分がもっとも好きなB-52'sの曲である。

ハッピー&キッチュ晴れな響きに満ちたイントロからして、もうタマりません。
リヴァーブを効かせたギター・サウンドと軽快なビートに乗っかって、ケイトとシンディが陽気にチャーミングに歌う。
メロディは分かりやすく、サビの部分などは思わず一緒に口ずさんでしまうくらいのポップ度の高さ。後ろで鳴る手拍子も能天気でヒジョーによろしい。

ビデオ・クリップが輪をかけて楽しいこの曲は、まさしくB-52's印のポップ・ソング。
シンプルでトボけた味わいも素敵じゃありませんか。
パーティーな気分になりたい時、あるいはイヤなことを忘れたい時に最適な一曲ですスマイル


この後、グループからシンディが脱退するも'98年に復帰。
日本での人気はイマイチながら、向こうではアリーナ・クラスのライヴ・バンドだという。
今年の三月には16年振りのオリジナル・アルバム『Funplex』を発表して、健在ぶりを示すB-52'sなのでした。
"生涯ダンスバンド"を自認する彼らの姿勢が大好きなワタシです。

つーコトで「Roam」のPVはここをクリック!
なぜか日本の特撮ヒーローが出てきます(分かるかな~?)。






Last updated  2008.07.10 06:03:25
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