2023/12/07(木)21:17
【102】フエルテベントゥーラ島
2023年11月15日 水曜日
去年の結婚記念日はこの寒い月に更に寒いエルツ山地に行きましたが、しかし今年こそまた暖かい国へ行こうと、カナリア諸島の1つ、一昨年火山噴火したラ・パルマ島に行きたかったのですが、ものすごく値上がりしていました。そこで同じカナリア諸島でも適当な値段のフエルテベントゥーラに決めたのでした。
行き先が決まって、さあ荷物をまとめて用意もできました。私達にオーバーな荷物は不必要なのです。
ベルリンからは飛行機で5時間です。
此処は個人の記録なので読む必要なし:しっかりS-Bahn(市電)の時刻表もメモして用意。
ところが突然ベルリンで今日の夜から明日の夜までS-Bahnがストライキに入るとの発表があり、せっかくのメモは無駄に終わり。
明日はこの寒いのに真っ暗な朝の6時半に家を出て臨時に出るバスで予定外の地下鉄の駅まで行き、大幅に時間をかけて空港まで行く。
夫の調べた予定表では歩いて10分のパン屋さんの前に停まる6時16分の809のバスで、S-Bahnなら10分で行けるはずの2つ目の駅に30分も掛けて行く。そこから220のバスに乗り換えてヴィッテナウ(デニス・チェメレンスキーの育った街)で降り、そこから地下鉄の8番でアレキサンダープラッツ駅まで行き、そこから国鉄のRE8に乗り換えて8時15分に飛行場に到着の予定。
明日、実際にどうなるのか、既に頭の中で空港に着くまでの小さな旅行が出来上がっている。
11月16日 木曜日:小雨だがすぐに止む。表はまだ真っ暗。それ程寒くない。
余裕を持って20分も早く出る。夫は直ぐにバス停の椅子に荷物を下ろしたが、こっちは念のためにバスの時刻表を見ると、行き先が反対だとわかった。あわてて向こう側に移動し、そこには椅子が無い事に10分間文句の言いっ放し。バスが予定通りに来た。Sバーンに乗り換え予定通りにアレキサンダープラッツ駅に到着。
駅内をかなり歩き周ってから漸くERのホームを見つける。
かっこいい列車だ‼これがS-Bahnの値段で乗れる❣
ER内。こんな早い時間なのに自転車で通勤している人もいるのだ。
予定通り8時15分に地下にあるBER空港駅に到着。7月に私を訪ねてくれた友人は乗り換えの駅は違ったものの同じルートで日本に帰国。今度はいつ会えるかな。
私達の飛行機は11時15分発のユーロヴィングス。この少し前にウィーン行きの直行便があった。
出国の際にチューブの洗顔石鹼と日焼け止めが引っ掛って没収される。昔と違って飛行機の中では何も出ず、飲み物も食べ物もすべてが購入になっている。
やはり昔はよかった。
11月22日 水曜日 13時40分
雲のない広い青い空、心地よい涼風、誰からも干渉されず自由で、喉の乾きも空腹もなく、静かな空間で心踊る文章に好きなだけのめり込める時間。
何もない場所と聞いていたこのスペインの小さな島で、私は明日帰国する前に今この文字をタブレットでお気に入りのソファーに座って打っています。
プップクンが海から戻って来るまであと1時間20分。それまでにはこのタブレットのバッテリーも切れるでしょう。部屋でまた充電する間はこのバーでコーヒータイムです。
さて、私達は11月16日から23日までフエルトヴェントゥーラ島の南にあるエスキンツォの海岸に行ってきました。
まずは画の上の黒丸が飛行場のある場所でした。もう上から見たらこんな感じ!
なにこれっ!!何にもないじゃん!
わっ、何これ? これが休暇を過ごす島? た、退屈そう!!
ま、来てしまったからしょうがない。
同じEU内だけれど、手荷物だけだったせいか観光の島への入国はまるでバスから降りる様に簡単でした。
表に出たとたん、爽やかで心地よい天候でホッと一息。これだけで来た甲斐があった。
しかし指定された飛行場の停留所には来ているはずのシャトルバスが見えません。
かなりな時間の後、旧式のミニバスがやって来て、その頃には重そうなトランクを引きずりながら同乗の観光客達も集まってきました。そう、衣装の必要な役者でもない限り、大きな荷物なんかで旅行すると時間の無駄です。
約1時間以上、飛行機の上から見た景色を今度は地上で眺めながら目的の地に向かいます。
これはこれで魅力のある風景なのだけれど(プッと吹き出す)此処に住みたいとは思わんわ。でもこの青空の下の心地よい温度は今のドイツでは味わえません。
降ろされた場所で、まず最初に間違って向かい側の高級ホテルに入ってしまい、自分達の宿の入り口を探してウロウロしているのを怪しげに思ったのか、日焼けした短パンのおじんが「なにをしてるんだね」と声を掛けて来ました。
しかし、彼に教えてもらったフロントの入り口は、何と閉まっているではないか!
「ここのフロントは16時までしか人がいないのですよ」ですって‼️
一体この安ホテルはどうなっているんだろう!
親切にくっついて来てくれた短パンのディーターおじいさん(大して私と年は離れていないのだろうけれど)から鍵の入った名前の封筒が幾つかガラスのドアに貼り付けてあるのを指摘され、そこにはプップクンの名前もあった。このホテル、ますますどうなってるんだろう! これじゃ誰でも封筒を剥がして鍵を手に入れて無料で一晩宿泊出来ちゃうじゃんか。
つまり、この島は昔の日本みたいにのんびりしてるって事かいな。だろうな、お客を放って帰宅しちゃうんだからなぁ。
笑いたいけれど、呆れる方が大きくて笑えんわ。
私達のホテルは結構大規模な宿泊施設で、ここはもう6度目だというディーターさんが部屋の前まで道案内をしてくれました。やはり言葉の解る宿泊客が集まるホテルじゃないとこうはいきません‼️
清潔なお部屋には小さなキッチンがついていて、まぁ一様は満足。
しかしまたもや驚いた事に部屋にはWiFiもクーラーも無かったのです!
それに蚊がいた!!
真夜中に暑さで寝苦しくなってテラスに出ると、コスタリカやクルーズやスリランカで見たような満面の星空が見えました(下のはイラストです)
ここまで見えたわけではないけれど、直ぐに分かるのはオリオン座。最近ゲオルクさんの本にはまってしまっていて、23章の北アメリカに演奏旅行に行く飛行機の中から見えた素晴らしい星空のお話を思い浮かべました。その後その飛行機が緊急着陸してしまうのですよ。
私達のホテルの夕食はこれと言って別に大騒ぎするほどのものでもなかったので写真には撮りませんでしたが、やはり朝食の時に思い出としてカメラを向けました。
オーストリアのサンクト・ヨハン・ポンガウの朝食とは比べものになりませんが、どうせ口は一つ、胃も一つなのですからこんなもので十分では?
ガザのパレスチ(ハマスはどうでもいい!)の事を考えたらこんな食事は大ご馳走ですよね。これをウクライナの兵士たち(ロシア兵はどうでもいい!)に持って行ってあげたいと思いました。
フエルトヴェントゥーラの島にはヌーディストが多いと昔人から聞いたことがありました。本当でした! 裸の爺さん婆さんがちらほら目に入りましたが・・・・・見たくもない風景でした、ぎゃはは。
さて、私はヌーディストのいるこの海で泳いだのですが、波が荒くて溺れそうになりました。6歳ぐらいの時、湘南の海で波に足をさらわれて立てなくなってやはり溺れそうになった恐怖を思い出して、その結果、泳ぐのはプールだけに留めておくことにしました。
この島は火山島のせいで泉や池と言うものが無く、海水を浄水して使っているせいか、プールの水は塩気を含んでいました。それで水道の水もそうなのかと思って口に含んだら、これには塩気がありませんでしたが何とも美味しい味はしませんでした。
と言う事で次の二日間は近くのマーケットに行ったり、レンタカーでもっと賑やかな街を訪ねました。上の地図で南の赤丸のモロハ-ブレと言う小さな港街です。
それにしても緑のない丘は侘しいです。
この港には大きなエイがやって来て目の前で泳ぐので有名です。
手前の黒い影がそうです。2mはありましたよ。
72年組の通訳だったgillmanさんがスペインに行った時に食べたガリシアのタコが最高だったと言っていられたので、その港でその料理を出しているレストランを見つけました。
私のタコに対して、プップクンはイカを注文。
滅多に口にできない料理なので、この時間は最高に幸せでした。(ドイツの家に帰ると何とスーパーマーケットのLidlで冷凍のタコが9.90ユーロと、スペインよりも安価で売っていました。タコなどは滅多に入荷してくれません。そこで2パックも買って来ました。
勿論ネットで調べ、パプリカを使ってガリシア風にして美味しくいただきましたが、どうも見た目がうまく出来上がらなかったので写真は控えました。でも結構誰でも出来そうです。)
カラカラに干からびたスペインの島の道端で咲く花も控え目な色でした。
もう一つの赤い丸の西側の海岸まで行ってみましたが、ガソリンが少なくなってきたのでホテルに戻りました。
もう1つ嬉しかったのは、ホテルのすぐちかくに野良猫の溜まり場があって、猫好きのボランティアが餌の面倒をみていました。
この子達を訪問するのも此処にいる間の日課になりました。
野良猫と言ってもまるで血統書付きのネコちゃん達のように綺麗に手入れがなされていました。
やはりドイツ人が多い観光地の野良ちゃんたちは動物愛護されているような気がしました。
こんなきれいで若い猫ちゃんたちが放置されているなんて考えられません。住民が持って行ってもいいよと言っていました。
ここにはちゃんとドイツ人観光客のサインが入った観察日記のようなノートまで置いてありましたから。
それ以外の時間は、先の陣取った場所でゲオルクさんの本の世界に没頭していました。
2023年の今はどうかわかりませんが、青きドナウのファーディの声のトニー君が歌う「きよしこの夜」が1960年にレコードに録音され、60年もの間、クリスマスイブの午後5時と午後8時にORFラジオから流れてきていました。ラジオ局の「radio klassik Stephansdom」も毎年クリスマスイブに同じ録音を使用しています。・・・・と48章に書かれていました。ラジオクラシック・シュテファンスドームですって ⁉このページを編集している最中にmaaさんがウィーン少年合唱団の"音楽のアドヴェントカレンダー"の記事を載せているのを読んで、彼らのホームページを開いたらラジオシュテファンスドームのリンクにヒットしました。525周年記念のCDボックスが出るそうですが、maaさんのお部屋にはYouTubeのリンクが載せてあって、現役の団員達の歌声が聞かれます。私はトニー君の声が聴けるかもしれないというラジオの方にも興味が沸いてリンクを開いてみました。こっちの方は現役は最初の1つと最後の3曲ぐらいでした。
525周年記念ボックス(←クリック)には21枚のCDが収まっているそうです。聞きたい方は写真の下の2023の右にある(Sendung nachhören)をクリックすると解説が始まります。
一番目のCDはまず合唱団の創設されたころの作曲家、ハインリッヒ・イザークの2曲の作品から始まるそうです。
このラジオ放送ではボックスの中の曲の幾つかがすっかり聞け、最初はCDのナンバー13番の紹介から始まります。
02:35~06:16ー 2023年録音、メンデルスゾーンのveni Domine
指揮:マヌエル・フーバー・・・モーツアルトコアですね。
その間の解説では実に簡単に言うと、世界で最も有名なこの合唱団は過去100年間に1000回以上の演奏旅行をして100ヶ国もの国を周り29000以上のコンサートを行った、とか、声は体の楽器だ、とか、変声する前の少年の声は消滅してしまう事が確実なだけに一番心を打たれる、とか云々言っておりまする。私達オールドにはすでにお決まりになっているそんな解説を訳して書いていると時間が掛かるのでこれでやめましょう(本当はめんどくさいだけです)。
09:24~14:30ー 1963年録音、ハインリッヒ・イザーク。曲名はラテン語でサンクティ・スピリトゥス・アスィット・ノービス・グラティアと第2部インぺリイプロツェレスですって!コルスヴィエネンシスとの共演で指揮はニコラス・アーノンクール。ウィーン少年合唱団がこの指揮者の下で歌ったのはこれが最初だそうです。
18:11~19:47ー 1907年6月録音、モーツァルトのアべ・ベルム・コルプス。これは歴史的録音の部に入っていて、チリチリがひどいけれどレコード録音の一番初めの曲です。
22:13~27:13ー 1961年録音、モーツァルトのエクスルターテユピラーテ。
独唱:フェルディナント・シルハネック。これには余談があって、合唱団が楽友協会での幾つかの録音を済ませた後、テープにはまだ15分ほどの空きがあったそうで、少年達がまだ何か歌いたいかと聞かれたフルトモーザ指揮者はフェルディナントなら、と自分が持っていたタバコの箱にカデンツァを書き入れて(音楽家ではないので勝手に想像してください)、フェルディナント君はそれを手にしてこの曲をうたい上げたそうです。
31:18~43:22ー 1962年録音、シューベルトのグロリア。
指揮は愛すべきグロスマン教授
合唱:コルスヴィエネンシスとウィーン少年合唱団(マイヤー隊:ソプラノは故フランツ・シュロッサー(元WSK理事長)、アルトティル・ポラ)
45:34~48:54-ラウル・ゲーリンガー作曲、愛は死よりも強く。指揮はマノロ・カニーン。
51:16~54:00チリ民謡、アベマリアプリッシマ。
56:05~58:06ニーダーオーストリア民謡、楽しい冬。指揮者はゲラルト・ヴィルト。
2023年11月24日にドイツに戻りましたが、しばらくして雪が降り、12月6日の今日もまだこんなです。
フエルトヴェントゥーラの蚊のいる天気が懐かしい~。
でも12月24日の午後5時と8時に今でもトニー君の声がラジオシュテファンスドームから流れて来るか、ものすごく気に掛かっています。もうカレンダーには赤丸とをばっちり書き込んで見逃さないようにしてあります。
12月初めに「小さな歌」の本への祝辞がオーストリア大統領から直々にゲオルクさんに届いたのですよ。
💕 お詫び:コメントを入れる時、何度も数字の打ち直しを要求されるのですが、スパム予防の為だと思います。貴方の失敗ではないのでどうぞお気を悪くなさいませんように。それでもコメントをくださる方には心から感謝したします。