雑筆の部屋♡♡此処に青春の灯あり

2024/06/28(金)18:48

【110】ランク隊の訃報

「小さな歌」1958~60年代元団員の回想禄(9)

2024年4月27日、土曜日の午後11時、映画「青きドナウ」の1961年来日組の指揮者だったゲルハルト・ランク指揮者が虹の国にお発ちになりました。94歳でした。 ゲオルクさんの本の去年の出版記念の祝賀会ではランク隊の元団員達の多くが集まっていました。その中心には元気そうなランク先生のお姿も交じって見られました。 私がまだ女子学生だった頃に、雑誌の切り抜きでフロシャウワー隊に夢中になった時のように、「小さな歌」の本を読みながら心の中では若いランク先生の隊の1員になった気分だった為、突然の訃報にはライニーさんやekさんの時のようにしばらくは何も手に付きませんでした。 せめて先生がお元気なうちに「小さな歌」の本を手にされて、もう一度あの懐かしい時代の思い出に心を宿されたと思う事で自分を慰めています。 後から送られてきたゲオルクさんの追悼の言葉には目頭が熱くなるようなランク先生への心温まる想いの文章が書いてありました。 ​青春の憧れのすべてがウィーン少年合唱団だった私には最後の旅立ちには私達の為の特別に素晴らしい場所があって、そこへは虹の橋が架かっているのだと決め込んでいます。​人生を全うされたランク先生は先に逝かれたゲオルクさんの道化仲間のパイラー君や天才ソプラノソリストのリナス君と虹の橋の国で再会なさっていられることと思います。私にはそこに集まった元団員達の優しく懐かしい顔が沢山見えているのです。 ウィーン少年合唱団ならず​リベラの歌声​(←クリック)ですが心が休まります。 2024年5月23日 木曜日 この日、11時30分よりホーフブルク宮廷礼拝堂でゲルハルト・ランク氏の告別式が行われます。ミサにはランク隊の現在の後継合唱団であるハイドンコアが聖歌を歌います。私も既に心の中で参加しています。 ハイドンコアと書いたら、今の団員達が懐かしい​昔の舞台姿​(←クリック)で立った写真を思い出して読み返し、改めてekさんのいないポン子ブログに寂しさを感じてしまいました。 2024年5月9日 木曜日 プップクンの誕生日でまたバルト海の街に行ってきましたが、携帯を持っていないので家に戻ってからパソコンを付けると、ゲオルクさんからのメールが入っていました。 23日の追悼式ではオルトナーさんの指揮でランク先生の故郷のオーバーオーストリアの歌​「Hoamatlaund」​が歌われると知りましたが、その前に前から予定していたウィーンのレストランでの元ランク隊の集会があって、そこでランク先生とペーター・コレッコさんを偲ぶ会が開かれると聞いて腰を抜かしています。何と、ペーターさんまでお亡くなりになっていたなんて‼ 三月にあった不幸な事故が原因だそうですが、去年のランク先生との写真ではお元気そうなお顔でにこやかに笑っていました。ペーターさんは「小さな歌」の中にも何度か出てきて、「青きドナウ」の映画の中の顔を思い浮かべ親しみを感じながら読んでいました。 彼にも心から追悼の意を表します。 ペーターさんの弟、つまりヴォルフガング・コレッコさん(ココ)が「小さな歌」の本を注文したかったのですが、目下売り切れて手に入らないみたいです。 5月13日 カナダにいるココが近いうちに弟さんと会うそうですが、それまでに著者のゲオルクさんが本を手配してくれるそうな。 あれから3時間後・・・・ココから連絡があって、弟さんがゲオルクさんから受け取った答えは、何と「小さな歌」の初版は売り切れてしまい、秋に第2版が出版されるまで待たなくてはならないと言う事だったそうです。 誰かに質問される前に・・・・ココの弟さんはウィー少年合唱団員ではありませんでした。 日本のブロ友さんから「去年のハイドンコアのコンサートはみんな腕を後ろに組んでいませんでした」と言う事を聞きましたが、​そのランク隊の後続の合唱団の今年のイギリス公演​(←クリック)を見ると、何とこの通りです。​バーミンガムの舞台​(←クリック)は此処でも見られます。 やっぱり、去年の5月に出版されたゲオルクさんの本のせいかなぁ。まるで歌声も舞台姿も20世紀のウィーン少年合唱団ではないですか~。 確かに本の43章にはハイドンコアの指揮者のジミー・チャン先生の名前が出ているんですものね。 2024年6月27日木曜日 今日の夜遅く、ランク先生の追悼式の動画のリンクが届きました。        ​ 元ランク隊の皆さん、もうかなりの高齢でいらっしゃるのにまだしっかりした歌声で演奏会のお得意の曲「我が故郷」を聞かせてくれました。​ 秋に出版されるゲオルクさんの「小さな歌」の第二版には彼の追悼文が載っています。 ゲルハルト・ランク氏を偲ぶ 私達の隊の指揮者だったゲルハルト・ランク氏(1931 – 2024)は2024年4月27日午後11時、ウィーンのバルムヘルツィゲンシュベスタ―病院にて93歳の生涯を閉じられました。 既に前から恐れ、覚悟をしていたとは言え、この訃報は私達全員にとってやはり衝撃的なものでした。 私達は自らも高齢になっているものの、自分の家族よりも多くを一緒に体験した少年期での父親を突然失ったのです。  彼は皆にとって友人であり、教師であり、同時に兄でもありました。私達は彼の軽妙なユーモアのセンス、知識、根気強さ、忍耐力が大好きでした。  本の中でも読み取れるように、家を何マイルも離れていた私達は常に変化する演奏旅行のプロセスに意気消沈し、疲労し、不平を洩らしながらもそれを受け入れなければならない状況がかなりありましたが、そんな時にもランク指揮者は彼の輝ける人生の喜びを以ってその波を静めたのでした。 親愛なるゲルハルト、1人のひょろひょろに痩せた少年を、たとえ小さな脇役であったとしても、目標に達しステージで拍手を浴びる自信に満ちた若者に変えてくれた事に本当に感謝しています。 私の中で内部バッテリーのようなものが充電され、この蓄えられたエネルギーを私は生涯を通じて利用してきました。 あなたが去った今でも、私達の中にあの頃の炎が残っています。そしてあの頃いつも舞台でしていたように、私たちはあなたの素晴らしい個性にお辞儀をするのです。  愛を込めて、ゲオルク、又は シュールリ ​​

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