2006/08/11(金)22:56
夏の思い出
日本では、お盆の帰省ラッシュが始まったそうだ。
今年は、祖父と祖父が亡くなる数日前になくなった叔父の
初盆である。
私が子供の頃、我が家の夏はとっても賑やかだった。
8月になるとすぐに夏祭り。
その夏祭りには、古くから伝わる山車が出されるのだが、
それに乗ることができるのは、とある町内の若旦那衆だけ。
我が家もその町内で商売をしており、長男である父も
毎年参加していた。
6月からだったか、7月からだったかは覚えていないが、
「今晩は○○屋で」というふうに、1日の商いを終えた後、
何処かの家に集まって練習があった。
練習が行われる家の女性は大忙しだった。
夕食の片付けを済ませると同時に、お座敷の準備、飲み物や
食べ物の準備に追われた。
そうこうしていると、浴衣姿の若旦那衆が、三味線や尺八を
片手に集まってきた。
父はほら貝と独唱担当。
私は、お風呂上りにちょっとだけ冷たいカルピスを飲んで、
部屋に行き、窓から首を出して、中庭を挟んだお座敷の
様子を眺めていたものだった。
夜風、蚊取り線香の香、三味線や尺八の音色、父の声・・・
夏祭り当日は、店先に大きな樽が並べられ、中には大きく
かち割られた氷とビールやジュース類、そしてスイカ。
父の乗った山車がまだかまだかと首を長くして待った。
我が家の前で山車が停まると、祖父母と従業員のおばさん達は、
「ご苦労様ですのぉ」と、山車を引く若者たちや世話役に声を
かけながら、飲み物や切り分けたスイカを勧めた。
山車に乗った半裃姿の父は、玉のような汗を流していた。
神社に続く我が家のある通りは、夜遅くまで、人通りが
絶えることがなかった。
夜店、かき氷屋さん、浴衣に豆絞り、花火の煙・・・
毎年張り切っていた祖父、忙しく切り盛りしていた祖母、
私より若かった父、祖母の手作りの服を着ている私。
時々、タイムスリップしたくなる。
今はもう寂れてしまった町内。
手を合わせに実家を訪れるひとりひとりに、祖父母は嬉しそうに
声をかけているかもしれない。
「ようお越しくださいましたのぉ」と。