真理の御霊 (三輪山より)

2017/03/01(水)17:38

神から人へ ◎神と人との違いについて◎

 神と人との違いについて、今日は申し伝えるなり。神は人に、神の御霊を分け与えし。なれば、人は、神の分け御霊を授かりし、尊い存在のはずなり。そも、この世の初めには、人は神から、多くの許しを得て、神のことばを使い、神の力を使い、神の光を用いて、所によらず、時によらず、何事をもなすこと可になるにより、多くの健、和、富を与えられ、そを持ちて、人はおのが幸せを手に入れし。  人が神に授かり、神にお借りし、神に許されし、数々の恵みが、人から一つ一つ取り上げられし訳は、人の自我、人の我欲、人の自己中心的観念が、人の内に芽生えてからなり。神は、人に、数々の恵みを、人皆が幸福になるためにのみ、分け与えられし。なれば、人が他のため、他の幸せのために、それらの み恵を用いず、己の欲望のみを充足させん、人を支配させん、人を押しのけ、己のみが、他より多くのものを独りの物にし、楽しみ、もちて遊び、己の欲望のみを満たさんとし始めし時より、神は、人から多くの力、能力、才能などを取り上げ、人を一つの肉体のみと、ならしめたまう。それゆえ、人は、欠けたる力を補わんと、心行、体行、霊行、それらをもちて、己の汚れし魂を浄(きよ)め、高め、元の力を神から許されるまでは、続けねばならずなりにし。  人が神に近づくというは、神が初め、元に与えし力を、再び神から許され、再びそれら力を持つこと、あたうような魂にまで、おのが魂を高めんことをいうなり。なれば、人は、己の魂の浄まり、高まりに応じた心行、体行、霊行を課され、そして、おのが魂の昇華(しょうげ)を果たさねばならなくなりし。それは一(いつ)に、魂を元の高さまで、元、神から分けられし魂の高さに戻すまで続く行なり。神とて同じなり。神もまた、人の汚れが浄められ、高められるまで、そのお導きをお続けになり、人が元の姿、魂、心に変えるまでは、人と共に行をせられるなり。神、人、共にあるなれば、神のみが人に行を課し、おのが行は無しということはなかりければ、人は、そをよくよく肝に銘じておきて、神に近づかんの努力精進、怠らず続くべきなり。神は人をこよなく愛し、こよなく慈しむの気持ちを持ちておられるれば、かつて人が神と共に在りしときの、この世の美と、富、幸とを再び人と共に、楽しまんと望まれるなり。なれば、人一人一人、心を入れ替え、神に帰依し、委ね、ただ己の行を行じて、汚れ曇りを 祓い浄めねばならぬことなり。神に伝えられし、ことばの一つ一つを、人の一人一人が、それぞれに応じて理解し、肝に刻みて、おのが励みとすべきなり。神は奥底から、魂の奥底から、絶えず呼びかけ教え導いておられる。  なれど、人に聞こえぬ声なれば、気付き悟る人間少なし。それゆえ神は、人の肉身に聞こえぬ声を人に伝え知らしめるために、宗教を作られ、宗教の祖たちに、神の教えを託せしなり。それゆえ、人は宗教より、多くの知識、英知、この世で積むべき人の行い、人の振る舞い、人の行について、悟り、気付くなるべきを、曇らせ濁らせし魂によりて、聞けども聞こえず見れども見えず。ただ、おのが我欲、利害損得のみを追い求むの性根変わらず。人はおのが主なりて、神は隅に追いやられ、押しやられ、おのが利益のみを優先し、おのが満足のみを求むなり。なれど、その愚の積みし後に残るは、ただただ、腐れ、汚れの積み上げし、おのが魂のみ。ますますの行を残し、前にもまして、積まねばならぬ行に苦しむ哀れなる魂なり。なればあの世に帰りて後に、おのが罪に苦しみ、心より悔いて、魂を浄め、魂を高めんと、幾層倍の行を積まねばならぬこととなりゆく。神は人に、さなる苦しみを与えたくはなし。人の一人一人が、自ら気付き、自ら悟るを待つのみ。  さなれば、人は、心開き、目を開け、耳傾け、おのが深き深奥に眠らせし神を目覚めさせ、その声を聞き、その姿を見出し、おのが導きを得らるるよう、心清らかに、素直に保ちて、心からの祈りを捧げるべし。祈りは意乗り、すなわち、神の意に、おのが意を添わせ、神の御心におのが心を近づけんがための、魂から溢れ出づる神への願いを表すものなり。神は、祈りの声をもちて、人の魂の昇華を認め一段高き昇華を許さる。神、清き祈りの声を聞き、その声をもちて、人一人一人の魂の昇華の程を測り知られる。神に下座し、神に、おのが過ち、おのが罪咎、先ずはお詫びし、許しを乞うべし。そが行の始まり、根本なり。  罪咎(つみとが)なき人、一人もなし。生くれば、日々、罪汚れを作りゆくなり。人を苦しめ、人をうらやみ、人をおとしめ、人をあざむく。それが人の我欲、我執なり。我欲、我執に使われし人は、いつまで経ちても、魂浄まらず。魂汚し、魂曇らせ、魂濁らせ、汚れにまみれるに任せるなり。神に下座し、これまでの罪咎、汚れ、曇り、迷妄の一つ一つを詫び、悔い、おのが魂の浄めの許しを得んと、心よりの祈り、心よりの感謝を神に捧げんと願うべきなり。神が人に求める気持ち、強くば強きほど、人は神の御心に応えんと精進努力、誠をもちて神に向かい、神の御心をわが心に受け入れ、神の御心にまで高めゆかんと、日々行ぜよ。行は行として、神に届き、そをもちて、神は魂の昇華を許さるる。この世に囚われし心では、汚れ取れざるなり。心高く、遠きあの世も見通す気持ちで、魂の永遠の行を捉え、究めるべし。   神の声を伝える人 ひふみともこさん著書 「神から人へ(上)」より抜粋 ひふみともこさんHP http://hifumitomoko.cocolog-nifty.com/blog/

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