真理の御霊 (三輪山より)

2016/11/05(土)15:49

神から人へ ◎自我・個性について◎

  (自我について、或いは、個、個性について)人には人に、それぞれのみ役もあらば、個性もあり。人の全ては神の子なれば、皆等しく、神に仕えて役立つべけれ。神に背きて、己の我執を、個性と誤る愚かな考え、誤解多かるこの日頃。勝手の独断、偏見にて、少しも変えぬ己のあやまち。ただに己の我欲を尊重、人の諌(いさ)め耳傾けず、ただひたすらに己第一。好きか嫌いか、その二つのみ。中間なくて、ただ浅薄な、感情、感覚、直感ばかり。ことばを持ちても、そも無駄の如。ただに頼るが己の感性。個性と誇る、それさえも、神には愚かな身勝手、傲慢(ごうまん)。くだらぬ差異のみ個性と威張り、示して強調、思考の低さよ。個性というも、我(が)というも、今のこの世に違いのなければ、かつての自我なる光も失せて、迷妄、妄執、深めゆくのみ。  神は人の一 人一人に、個性を与えて備わせて、それぞれ個性を活かし得るよう、み役も霊行、能力も、それに見合いしものを与えき。なれば、人は己の個性を、正しく見極め、見定めて、己に適いし霊行を、み役を果たしてこそ悔いなかれ。己の我執に曇りし目にて、己の本質、見誤らば、かえりて苦しみ悩みも増えて、要らぬ困難増しゆくばかり。真の素直さ持つ者ならば、人は謙虚に己を見つめ、課せられし行を素直に歓ぶ。我執の強く傲慢なるは、必ず己を見失い、さらに深めん迷妄を。自我なるものも、本来は、正しく使わば、益なるを。今の浅はか、愚妹(ぐまい)の衆は、他人押しのけ、押し付ける、卑しき人品、性癖の謂(い)い。  真の個性は人をも包み、人にも譲(ゆず)るが真の個性。個性強きは、人を助けて、さらに高めゆくなれば、人を苦しめ不快に落とすは、ただに浅ましき、卑しき性分。人を許して、人を救い、人歓ばすが、真の個性。神の授けし天性なれば、そを伸ばしゆけ。高めゆけ。人の迷惑省みぬ、己本位の蒙昧(もうまい)は、必ず正され、滅び、潰(つい)えん。真の個性は柔軟なもの。たとえ打たれて叩かれようとも、耐えて忍ぶが個性なり。人の非難や糾弾に、反発反撃、逆上するは、ただの臆病、卑怯の性(さが)なり。揺るがぬ信念、自信を基礎に、穏やかになるが真の個性。吠えて猛(たけ)るは、偽り、虚勢。すぐにも崩れて馬脚現す。穏やかにして、静かに醒めし、己見つめる目を養えよ。血迷い雲れる目には映らぬ。神の神意も、恩愛も。己の低き度量に測るは、低き損得、計算のみなれ。哀れな世界に住める者ども、救い難きは承知の上にて、尚も救えよ、望みをかけて。無駄に終わるも徒労にあらず。神の本懐、手伝いなれば。さにて本日、個性と自我と、多少の戒(いまし)め含めて伝えき。   神の声を伝える人 ひふみともこさん著書  「続神誥記」より抜粋 ひふみともこさんHP http://hifumitomoko.cocolog-nifty.com/blog/

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