2017/02/16(木)09:33
神から人へ ◎罪の償いについて◎
神から人へ。人から神へ。教え伝えて、残してゆけよ。救い広げて、助けてゆけよ。神の手伝い、続けてゆけよ。全ての人の精進を、心の浄めを手伝いてやれ。さにて本日、何を問いたき。 (罪の償いを、どうすべきでしょうか。 例えば、人を殺した人は、現世では何を以て償うべきでしょうか。また死刑を始めとする、人が人を罰することを、神はお許しになるでしょうか) では、答えん。人の世界のいさかい、争い、いつの世にてもなくならぬもの。なれどさりとて、人の常、人の本能、本性ならず。人とは本来、神に近く、尊き霊性持ちしもの。なれど曇りて、汚れぬれば、禊(みそ)ぎも苦難も必要となる。人の犯せし罪科(つみとが)は、本来ならば人の世にて、人の力で償うべきもの。なれど適わず、償い切れぬは、あの世の行とし、残し持ち来る。なれば人の世、現世での、なすべき償い、贖(あがな)いとは、罪を犯して傷つけし、被害者のために、祈ること。謝り、悔い、詫び、悟ること。なれど帰らぬ人ならば、残され苦しむ家族に詫びて、罪の重さと、何故なせしか、そを省み、謙虚に見つめ、さらなる精進誓うこと。なれどさにては報われぬ。残りし家族の悲嘆、愁嘆。 何故殺され、傷つけられ、かくなる憎き犯人を、許し生かして受け入れるのか。家族の苦悩懊悩こそが、神の与えし禊ぎなり。なれど気付かず。悟り得ず。己の被害の悔しさのみにて、執着苦悶、憎悪怨恨。かくなる地獄に落とされぬること。その意味読み解く救いのなくば、加害者よりも被害者こそが、あの世に戻りて地獄に堕ちなん。神の仕組みし罪にはあらず。その被害者の招きし罪なり。加害者とても同じこと。双方共に欠けたる者なれ、罪は互いの結果なり。なれど人が人を罰する、そもまた神のご意図に反する。神は許さず、死刑極刑。暴力、体罰、そもまた同じ。人の体も神の授けし、慈愛の表れ、恵みなり。そを傷めるは神への冒涜、反逆、不遜の行いならずや。神の許せし人への罰は、罪を購うことにはあらず。犯せし罪の原因なるを、よく振り返り、正してゆくこと。結果の罪が、全てにあらず。さらに大きな基盤から、直せ正せの意図なれば。 (被害者にも原因があるから、双方共に反省し、相手を恨んではいけないということですか) さなり。なれど誤り、あやまつなかれ。双方共に原因なれど、その罪許しし神のご意図を。神の禊ぎは、禊がれし者の、独りの禊ぎにあらざれば。なれば人が人を犯し、罪を作るは、神の警告。なれば当事者のみになく、周囲の者もそこから学べよ。全てが一つの調和にあれば、ただ独りのみを禊ぐにあらず。 (人から恨まれることなどしたこともない善人が、ときに殺されたり、病気になったり、 事故に遭ったりします。それも、禊ぎであり、その当事者に原因があり、被害者当人の招いた結果なのでしょうか) さなり。なれどそもまた誤解されなん。独りの禊ぎにあらざれば、全ての者への禊ぎなり。いかなる善人聖人とても、必ず日々に罪を積み、人を傷つけ、生きてゆくもの。なれば日々に神に謝り、神への帰依と感謝を高めよ。なれば善人、悪人とても、同じ神の子、光を与えん。 (実際には、罪を犯すまでの経緯は複雑で、個人により様々です。犯罪の原因も昔とずいぶん変わってきました。中には、時代の流れの中で、罪を犯す人もいると思います。そうした人たちは、時代の中の犠牲者なのではないでしょうか。犯罪を防ぎ、減らしてゆくにはどうすればよいでしょうか。あるいは、犯罪も神の御心、禊ぎなのだから、減らす必要はなく、減らすこと自体不可能ということでしょうか) さにあらず。一人一人一人の努力は尊く、神の望まる営みならん。 神の嫌わる現代の、地球を覆う風潮は、己中心、自己中心。その最たるものが戦争なり。さにて今の世、一つ一つの、犯罪、そもまた戦争ならずや。人の作りし原因の、結果を受けるも人間ならば、そを忘れずに問い直し、謙虚に立て替え直しを進めよ。神は望むぞ、人の全ての、改心悔悟と感謝の高まり。人が心を取り戻すとき、犯罪もまたなくなり絶えなん。なれど今の世、このままにては、人の心に悟りもあらず。繰り返しなん、罪と冒涜。神は人へと望むなり。人の救いと精進を。なればこその禊ぎなり。罪の中から、気付きてくれよ。何が原因、足らざるかを。人の償い、そもまた同じ。罰金牢獄、人には要らぬ。真の改悛、そがなくば、人を処刑し懲役課すとも、何の意味なし、変化なし。まして死刑は罪を深めん。人の驕(おご)りと不遜なり。償うことは非を認むこと、素直に悔いて、下座する心。人や時代に責を求むな。己の心の欠陥なれば、早くに気付きて、神に近づけ。さにて己の罪の深さを、謙虚に恥じて畏るるとき、自ずと神を求めてゆかん。神の許しを、心の救いを、魂の底より求めてゆかん。さなる心の目覚めしときこそ、被害者、加害者、共に救われ、罪の神意を悟りなん。償い、贖い、本来あり得ず。あるは神への誠の帰依と、精進望む、それのみなり。さにて、本日、罪の意味と、償いの法を教えたり。心の葛藤、煩悶(はんもん)越えよ。生きる尊さ、意味を見つけよ。そこにて神は待ちておられん。解脱の心を、無我の境地を。さにて。
神の声を伝える人
ひふみともこさん著書 「続神誥記」より抜粋
ひふみともこさんHP
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