真理の御霊 (三輪山より)

2016/12/23(金)13:37

神から人へ ◎不思議な船との遭遇の意味◎

◆想念・霊力◆(10)

 神から人へ、人から神へ。多くのこの世の現実、現象、全てに意味あり、偶然はなし。人はそこより意味を汲み、神のご意図を、宇宙の意思を、見えない力を 読み取るべし。さにて本日、そなたの問いは。  (富岡興永宮司様が、以前八丈島に行かれた時、船体に「オセアニアン・グレイシス」と書かれた船が沖で二、三日停泊していたそうです。煙突もなく、また地元でそのような船は見たことがない、また人影も無かったそうです。この船との遭遇にはどのような意味があるのでしょうか)さにても小さな出来事なれど、人は己の思い込み、己の心の持ち方にて、大切なことをば見落として、無駄な事には気をかけるもの。この世の出来事一つ一つ、全てに意味なきものはなし。なれど全てに神の意図、天の意向が働くになし。人間界の行い、営み、それらに人の意思も混ざりて、現実界にて現われるとき、始めの意図は大きく変わりぬ。なればこの世の現象全てを、そのまま神の意図として、そこから意味を読み取るは、人の知能を超えしことなり。人は己の関心、興味、そに縛られて逃れ得ぬ。純なる無垢の心にあらねば、全てを均等、公平に、見通す力は持ち得ぬもの。気にする心に囚われず、しばしの時を経た後に、その持つ意味を考えるべし。そのとき見えぬ、何らかの意味、わからぬことも、見えてこむ。真に意味あることならば、必ず一度や二度になく、神は必ず、意味を伝えむ。伝わるまでに、幾度(いくたび)も、形を変えて、時を変え、場所を変えても、伝えぬはなし。心に疑問や不信の念が、広がる心を納めるべし。  心の波を平らかに、鎮めて浄化し、穏やかなれ。心は静朗、雲ひとつなく、心は平らに、波 静かなれ。人は心の曇りに囚われ、波の形に拘(こだわ)りて、自(みずか)ら鎮める術(すべ)を持たざる。波の形は刻一刻と、変わりて留まることはなし。波の形の一つ一つ、そこに意味を求めるになく、元なる海に、意識を向けよ。波は瞬時に移りてゆけど、海は変わらず、命を育(はぐく)む。全ての事象は波の如(ごと)。人の一生、人生も、立ちては消える波の如。人は海を見ることなく、波に囚われ、日を送る。気づきしときには、己の生も、海に帰りて、抱(いだ)かれむ。この世に起こる事象の奥の、元なる意味を、見出せよ。人はそれぞれこの世に生まれ、海に気づかず、果てるが多し。短きこの世の束(つか)の間を、小さきことに拘ることなく、大なる意味を求めてゆけよ。この世の生は独りにあらず。人類全てが向上すべく、一人ひとりの霊性を、高めることに、傾注(けいちゅう)すべし。この世で学びし御魂の知恵は、海に戻りて、尚 消えず。さらなる富を、もたらさむ。一人の命は短けれども、悠久の中にて、繰り返され、積み重なりて、豊かに富まむ。無駄なる学びは一つもなし。そもまた生きる糧(かて)なれよ。さにて終わる。   平成21年(2009年)7月16日 不思議な船との遭遇の意味 神の声を伝える人 ひふみともこさんHP http://hifumitomoko.cocolog-nifty.com/blog/

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