真理の御霊 (三輪山より)

2017/07/19(水)20:05

神から人へ ◎神界・霊界・現界について◎

  (神界、霊界で起きたことが、現界でも起こるということですが、そのことについてお教えください。また、神様にも明日のことはお分かりにならないとのことでしたが、本当でしょうか)では教えん。そなたもようやく進歩して、なかなかよき問い、準備せり。まず始め、神界霊界、そこにて起こり、終わりしことの地上に起こる、そもまた一つの事実なれど、神界、霊界、現界と、次元も仕組みも、異なる世界。現界、この世を司るは、原因結果、循環、陰陽。それらがこの世を回し動かし、さにて事象は現れて、この世の物質世界に現わる。なれど神界、霊界は、物質なくて、魂のみの、想念のみの世界にあれば、あの世に起こることの全てと、この世に現わることの差異は、自ずと生じ、同じにあらず。なれば、あの世に起こりても、この世に起こらぬことも多し。また逆に、あの世に起こらずこの世に現わる、そもまた多き現象世界よ。この世に起こる物質現象、全ては神の仕組みにあるなり。なれど、あやまち間違うなかれ。あの世を動かす仕組みと異なり、あの世の全てを定めらるるは、スの神一人の神なれど、この世の現象、事象を回すは、スの神一人の力にあらず。四十八(よとや)の神々それぞれが、任され、託され、預けられ、その神々の思いに委ねて、この世を動かすものなれば。   なれど仕組みは一つなり。法則一つ、原理は一つ、真理は一つ、スの神のみ。なれば、明日のこの世に起こる、現象事象は、神にも分からず。全ての神の総意によりて、決められ、定まり、動いてゆかん。なれど人にもいろいろありて、そを導くも多くの神々。神の思いもそれぞれなれば、根本大本一つにあれど、時に狂いも乱れも生じん。神の願わぬことも起こらん。神の計らぬ間違いあるらん。なれど、全ては仕組み、法則。神とてそれを破る、能(あた)わず。なれば神にも苦悩あり。苦悩の末に決めし結論。そが今の立て替え直しよ。全てを戻して浄め直し、再び零から始めるべきか。それともこの世を残し続けて、同じ魂、神々使い、始めの清き魂残して使いてゆくか。苦しき選択、結論は出ず。ただ守りて、この後決めん。しばしの猶予と、決断伸ばされ、人の努力を待ちておらるる。   なれば今、この時を逃すなよ。一人を救えよ、一人を助けよ。人の努力と純なる奉仕。それにて神は安らげん。一人の清き魂に、全てを委ねて、任せゆかん。一人なれども一人にあらず。一人はやがて万人に、全人類にも及びてゆきなん。神は希望を捨てざるを。一人の昇華に全てを賭さん。切なるまでの想い、祈りよ。そを聞け。受け取れ。読み取れよ。人の明日の世、未来世界は、神にも決められ、定める能わず。全ては人の努力と精進。そに委ねて、見守るなれば、休まず働き、助けてゆけよ。独り己の精進になし。全てを救う道と通じん。神の御心よく汲み取りて、明日の世界を拓(ひら)いてゆけよ。それのみ祈る神の心よ。   神は無能の神ならず。なれど、全てを人に委ねて、それにて向上進歩を待つなり。そが神の愛、神意ならずや。神の力で、光で救い、この世を変えるに意味ありや。人の努力で浄めゆくこそ、人の務めよ、喜びなれよ。神の御心一つで決まり、全てが決まり、進みゆくなら、人の努力に意味ありや。神の思いの深さを知れよ。人へ預ける愛の深さよ。神は見捨てず守りておらるる。心安らげ、努力に励めよ。真の魂救いてゆかん。神の仕組みは非情にあらず。救うべき霊、消すべき霊と、自ずと分かたれ、保たれゆかん。神の経綸、間違いあらず。なれど狂うもときにあり。この世の物質、文明、科学、何が災い、心を乱すか。なれどもそもまた正されゆかん。人の救いは、悟りのみ。不幸災難、そこから悟らば、必ず仕組みは働き助けん。神の経綸、絶対なれど、早い遅いの違いはあるらん。なれど違いに意味もなし。大切なるは、最期の経綸、この世の立て替え直しの程度よ。きつき禊(みそ)ぎか、軽き禊ぎか。あるいは全てを滅ぼすか。神にも明日は読めぬもの。なれど、神にはどちらも同じ。すべての統合、総合なれば。全てで一つの宇宙なれば、一つ一つの些事(さじ)に意味なし。それのみ囚わる狭さは捨てよ。   (かつての大予言者は、どのようにして予言を可能にしたのですか。ご経綸は、何ゆえ狂うことはないのですか)先にも伝えしように、神の経綸狂うことなし。時期の遅れや、程度の如何、さなる差異のみ、違いのみ。厳しき禊ぎの必要なれば、大きな不幸も起こるもの。戦争、公害、天変地異。なれど、それも、結果の表れ。神の定める事象にあらず。神は定めぬ、些細な事象を。全ては仕組みよ、原因結果の(法則)。なれば読み取れ、不幸の意味を。神のご意図を、己の罪を。大なる禊ぎも結果なり。そこから神意を読み取らば、神の経綸進むは早し。なれど気づかず、悟らずは、再び禊ぎや警告もあり。経綸成就の時も遅れん。なれど意味なし、遅い早いに。神の目からは同じこと。あの世の次元に時はなければ。  (神界で一日先に起こったことを、教えて頂けないでしょうか。そうすることで、今の窮状に苦しんでいる人たちに、どう生きれば救われるのかを、具体的に示すことができると思うのです) さても尊き人の心よ。人を救い愛する者は、必ず自ら救わるる者。神の世界に起こりしことは、いつか必ず現界にも、表れ生じて、現象化せん。なれど起こる時期期限、それらは常に変化せん。なれば神の世界の事象は、なかなか教えど役には立たず。なれどそにても役立つものなら、神は教えて示してゆかん。なれどそもまた無駄ならざるや。人はすぐにも忘れゆくもの。幾度見せれどその都度忘れ、己の災い避けるため。災難過ぎなば、たちまち忘れ、同じ憂き目を繰り返すもの。愚かな人の迷い悩みは、幾度見せても変わらざる。一度の願いは叶えてやらん。なれど再び繰り返しなば、神との縁も薄れ切れなん。よくわきまえて心得て、その後神に問わばよからん。なれど忘れて繰り返すなよ。二度や三度の過ちは、神との縁を弱めゆきなん。 さにて本日、そなたの問いは嬉しくもあり。なれど実現実行は難し。人は自ら変わらざらば、幾度周りが案ずれど、何を起こせど、元の黙阿弥。神の世界は厳しきものなり。忍耐強き神なれど、慈愛の深き神なれど、人の過ち誤りは、許すに限りのあるものなれば。さにても神は救いたければ、最期の時の訪れまで、辛抱強く見守り待たん。 最期の闘い、最期の祈りを、神は待ちて焦がれたり。よく闘えよ。人のため。神の手伝い、助けてゆけよ。よく働けよ。行えよ。ことばに表し、広げてゆけよ。何にも勝る報恩感謝を。何より尊き神の使いを。 神のめでたき祝福を、あの世に戻りて身に受けよ。    神の声を伝える人 ひふみともこさん著書 「神誥記」「続神誥記」より抜粋 ひふみともこさんHP http://hifumitomoko.cocolog-nifty.com/blog/   

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