2017/04/21(金)10:00
神から人へ ◎仏教とキリスト教について◎
神から人へ。人から神へ。神から人へのお伝えは、無事に広がり伝わりゆかん。神の導き、み恵みを、残さず頂き使い切れ。この世に別るるその前に、余さず使いて、果たしきれ。さにて本日何を問うや。
(仏教とキリスト教をこの世に出されたご意図をお教え下さい)では答えん。人類始めの教えの意味を。人の知り得ぬ神のご意図を。神は人にこの地上に、物質世界を作らせられき。なれど人には知性あり。理性もありて、徳もあり。さなる神の思惑はずれ、人は魂汚(けが)しぬる。さにてこの世は物質のみの、魂入らぬ地獄の如し。なれば神はブッダを降ろし、この世の過ち改めさせん。物が主となる過ちを人に気付かせ、心を重視し、心の尊さ、清さ、高さを、その大切なるを教えんとさる。なれど人には広まりにくく、かえりて物質繁栄 極めり。人の主要の関心は、心にあらず。物質ばかり。なれば人は諌(いさ)めも聞かず、ただに物のみ求め追う。さにて神はあきらめて、次なる聖人キリスト降ろせり。人の罪のあがないを、キリスト負いて、人類救わん。なれば二人は、人類のため。一人はこの世の繁栄と、そこに隠れし心を救わん。一人は人の罪のため。人の作りし全ての罪を、身を持ち、捧げて償(つぐな)わんとせり。なれど人はその後も、二人の貴人に感謝を忘れ、ついには今の腐れる現実。人の罪はますますに、深まり、重く、汚れを強めり。 (仏教は物質の繁栄に寄与するための教えと聞きましたが、その意味は何でしょうか)人には執着、強欲あらん。物への執着、支配欲、消えることなきあくなき欲望。さなる心の汚れを抑え、戒(いまし)めんための教えなり。物のあふれし地上には、心の入る余地はなし。行き着く先は、破滅のみ。さなる未来を憂いなば、神はブッダに教えを託せし。なれど人には理解されず。理解は表層、表面のみ。ついには人は形式のみ、入れ物のみの信仰となる。ブッダの教えは心の救い。魂浄める悟りのあり方。輪廻転生、人の宿命、魂浄める修行と精進。肉体行の厳しくあれば、なかなか人には理解されず。 そを怠(おこた)りて、人の世は、さらに深めし汚れと腐敗よ。ブッダの過ち、誤りなし。人の迷いと迷妄の、神の予想を超えぬればなり。人には多くの迷いあらん。欲望あらん。執着あらん。心の低き者程に、己の不足に気づかぬものなり。神も仏も信じずなりて、物質のみに幸を見出す。さなれば人は物の不足を、欠乏のみを、探し恨みぬ。なれど神には感謝せず、己の修行も打ち捨てて、真の教えに救いを求めず。幾多の苦難や困難を、避けることにて、浄化を妨(さまた)ぐ。
(では、仏教は、物質社会の繁栄を促すためではないのですね)さにあらず。真の神意は、心の浄化。物質のみでは汚れを増さん。そを憂いての、神の計らい。よく戒めて、汲み取りて、神のご意図を過つなかれ、二つの宗教、役の差異。今ではそれも過去のこと。衰え朽ち果つ、精神の富。なれば、今の世、立て替え直さん。今再びの始まりとせん。人の始めの真心を、真の奉仕と献身を。思い出すよう、気付かすように、神の願いを届けてくれよ。全ての人の救済を、人が代わりて、働けよ。最期の誓いを、今ここにて、新たに約せよ。誓いを立てよ。神の手伝い、全うさせよ。途中に投げ出し逃げ出すなかれ。神の仕組みし流れに乗りて、神に任せて、行えばよし。人間心の判断、決断、案じる気持ちは捨ててゆけ。ただに祈りて、魂高め、神の仕組みの出会いに任せて、己のなすべきこと読み取れよ。さにて本日、気持ちを励まし高めんとせし。よく行いて精進あれよ。
神の声を伝える人
ひふみともこさん著書 「続神誥記」より抜粋
ひふみともこさんHP
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