テーマ:超低出生体児出産(491)
カテゴリ:お子ちゃまのこと
切迫早産で緊急入院したのが去年のホワイトデー
いつものように妊婦健診に行ったら子宮頸管が7ミリしかなく 即入院!(このとき22週) そして1週間後にNICUのある病院へ転院が決定 救急車でピーポーピーポーと運ばれました 1年前の今日はMFICU(母子集中治療室)で貼り付けになってたんだなぁ と、時間の流れの速さを実感 去年の3月のホワイトデーから、本当にこの1年は早かったです 入院中にメモ帳に 産まれても障害の残らない最低週数(これは病院の設備や実績によって違う)の26週突破 までのカウントダウン&日記、治療記録等をつけていて、それによると 1年前の今日は 破水したかも、胎胞脱出(赤ちゃんの入っている袋が子宮口から出ること)の経過も変わらず 子宮口が開いてきた、入院して体重が2キロ減った などと書いてあって、日記の内容はカナリ暗い 妊娠で不安定なうえ、上の子の心配 お腹の子供も大事だけど入院生活は人間の尊厳が失われていくような・・・ そんな毎日で、日記が暗いのは仕方ないですけどね 暗いことや愚痴を吐き出したかったので あえてブログとかじゃなくメモ帳に書いてたって訳です 1番酷い時期には 右手:子宮収縮抑制剤と筋弛緩剤の点滴 左手:生命維持の栄養の点滴(↑薬があわず嘔吐、食事がとれなくなったので) 胸:心電図 指:サチュレーション 腹:分娩監視装置 そして尿バック 筋弛緩剤は小さな点滴が5つセットになったものだったので 右手の点滴台にはシャンデリアのように沢山ぶら下がっていて 見た目はカナリ凄かったです もう本当に全身管だらけでした その状態が耐え難く しばらく主人に面会にはこないで欲しいと言ったことがあります<苦笑 そして、面会に来た私の親もその姿にはカナリのショックを受けていました さらに、そのときに初めて本格的な「患者」になって もう看護士なんて絶対にしない!!!!!と主人に愚痴ったり<苦笑 本当に沢山の人に支えられ&迷惑をかけ&ヤツアタリしながら出産まですごしました 産後は産後で問題の山積みでしたけど 何だか書いてみると、書きたいことが沢山あるような 一生、胸にしまっておきたい気もするような 何ともいえない感じですが いつか、こんな感じで思い出したかのように書く日がくるのかもしれない まぁ、メモ帳日記は残しておくと思います、多分 最近、PCを触る時間を持てるようになり ここに「超低出生体重児」など書いてあるので 足跡などから、たまたま飛んでいった先で 現在進行形で頑張っている母子の日記を読ませていただくことが ポツポツあって そのたびにPCの前で涙、涙、しております 折角、来ていただいても出産前後の事はなにも書いていないので 参考にならず、申し訳ないですね 心から無事をお祈りしております!! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2008.03.22 18:15:37
コメント(0) | コメントを書く |