カテゴリ:地震・雷・火事・台風
12年の歳月が経ちました
今までの日記を振り返ってみると、地震の記録書いてないんですね~。 なぜしょうね~。 他の方のブログとかにはコメント入れてたようなんですけど・・・。 あの日の前日、残業が終わっての帰り道、夜空を見上げると、月が赤かった。 何となく嫌な感じがしたのを覚えてます。 そして、あの日。 1995年1月17日午前5時46分 ドーン!と下から突き上げられた次の瞬間、ゴゴォーーーと言う音と共に揺れ始めました。 しかし、揺れる・・・なんて生半可もんじゃなかったです。 揺さぶられるってか、洗濯機の中に放り込まれた様な感じでしょうか。 立ち上がることも出来ず、何とか四つんばいにはなれたけど、動けたもんじゃ無かった。 私の部屋のドアは衝撃で開いたのか、リビングが見えたのですが、目の前では あらゆる物が飛んでる・・・ 初めは地震と理解出来ず、飛んでる電子レンジや、1mくらい前進する冷蔵庫を見て 私の頭に浮かんだのは(これがポルターガイスト?!) 地震と理解するまで少し時間がかかりました。 よく地震が来たら、元栓を切って、避難用にドアを開けて・・・とか言いますけど・・・・・ 大震災では無理です!!! んな事出来まへん!!! 揺れに翻弄されながら、踏ん張ってるのが精一杯です! で、地震やーって声を出そうにも出ないんですよ。 やっと出た声が「ぉわぁーーーーー!!!!」でした・・・・・ それで我に返って、隣の部屋の母ちゃんの元へ行こうと、四つんばいのままズリズリと部屋をでて 隣を覗くと、仏壇の前で寝てた母ちゃんの頭の位置と足の位置にタンスなどが倒れてる! 母ちゃんは両タンスの間に有った仏壇を必死になって押さえてました。 後で聞くと、ドーン!と突き上げられた瞬間に、寝てた布団の胸元に父ちゃんの位牌が飛んできた! 慌てて仏壇を押さえた瞬間に、ダーン!ダーン!ってタンスが倒れたそうです。 そのまま寝てたら・・・・・・・怖っ 父ちゃんが助けてくれたんだと信じてます。 最初の揺れがおさまった時は、部屋の惨状をボーっと眺めながら、放心状態でした。 でも、ハッと気がついて、この地震は半端じゃないと思って、まずした事は電話。 北海道に居る弟へ電話しました。 私「今、大きな地震が有ったけど、私も母ちゃんも生きてるから!」 弟「はぁ~~? 地震? ふーん。」 その時の弟は、東京で働いてた時に地震慣れしてて、大した事ないやろ・・・って 思ってたそうです。 その後、出勤してから昼休みにテレビを見て、見慣れた阪神高速が倒れてる映像を見て ビックリし電話をかけて来たそうですけど、1週間程つながらず焦ったらしい。 (だから、生きてるって言ったやろ・・・) 私は、1週間ほどは眠れない、ご飯が喉を通らない日々を過しました。 近所では、神社が全壊し土の塊状態だし、橋は20cm程離れ80cm程落差が出来ました。 うちのマンションは、至るところにクラックが入り、角や継ぎ目に隙間が出来て 外が見えました。 やっぱ、地盤によって揺れや被害が違うんですね。 次の日には、得意先のSOS要請で、自転車で3時間かけて神戸に入りましたが 高校のときの同級生の家や、見慣れた風景の変わりように、涙が出ていました。 同僚の女性は、神戸の3階建マンションに住んでたのですが、激しい上下の揺れで トランポリンの様にベッドと天井にぶつかり、あちこち打撲だらけでした。 揺れがおさまって、階段で逃げようと一歩出たら、そこは地面だったそうです。 1階と2階が押しつぶされてたのです。 この震災では多くの方が犠牲になられ、至るところに被害が出た事は、忘れてはいけない。 そして、いまだに電気が点いてないと寝られない私は、忘れられないのです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2007.01.18 12:44:41
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