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テーマ:障害児と生きる日常(4431)
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昨日はのんが学童の女の子をひっかいたと聞いて落ち込んで、今日はそのもやもやを引きずって仕事をしてました。 幸い今日は私一人だったので仕事に影響はなかったですが。 深い海の底に沈んでいた私ですが、いきいきに(土曜日は学童は人が足りないので手がかかるのんは学校内にある「いきいき活動」です。)迎えにいくと、とってもご機嫌。出勤していた校長先生に話しかけてもらっていて、一緒に待っていた指導員に満面の笑顔でちょっかい出してました。「さようなら」と頭を下げて、にこにこ歩いて帰ります その笑顔を見ると、それまでのいらいらもやもやが吹き飛びました。 でも、忘れたわけではないんです。 なんで今回はこんなにひっかかるのかと考えました。 それは、指導員の言葉。 「きょう、のんくん、○○ちゃんの顔をひっかいたんです。私にもよくしてきますが、それは私がなにかしたからだと思うんですが、家でもしますか?」と深刻そうに聞いてきたこと。 よほどひどい傷なのか聞いたら、すーっと一筋傷があるくらいで、後に残るようなものではない。その後もその子はのんと遊んでいた。その子のお母さんに報告したら、「そんなこともあるとは思ってます」とのこと。 学童に入ったばかりのときにも髪をひっぱったりしてたし、最初にそういうこともあると話していて、「大丈夫、気にしないで」と言われてたのに、どうして今頃そんなに深刻そうに言われないといけないのか。 よくよく聞くと、別にヒステリーを起こしてと言うわけでなく、遊んでいる感覚だったよう。いや、もしかすると何か本人はわからなくても、のんが嫌がることをしたのかもしれない。 それはわからない。ただ、1日中ひっかいたり暴れたりしたのならともかく、少しいつもと違うことをしたら、それがすべてになる言い方にひっかかったのかもしれない。 親だって、教師だってのんをどう指導していったらいいか試行錯誤しているのに、経験の無い20歳そこそこの指導員にまかせっきりでいいのだろうかと少し不安になっていたから余計かもしれません。 ああ、そんな考え方をする自分もおかしいかな。うまく説明できません。 のんが機嫌のいいときだよりもむしろ機嫌の悪いときほど、どうして機嫌が悪いのかを見て欲しい、必ず理由があるのだからと思いながら言えない自分も腹立たしい。 学校も、養護学校のほうがそういった気を使わないでいい分だけ楽かとも思いました。 でも、小学校に養護学級が無くなるかもしれないと、養護学校に行った保育所でいっしょだったT君や、学校が受け入れてくれなかったり、学校の都合で養護学校へ移らざるを得なかったりする人たちに、ちゃんと受け入れてもらえてるくせに単に楽になるからだけで移るのかと、と叱られそうです。 今日も時間が遅くなって、頭が働かず、結局支離滅裂な文章になってしまいました。申し訳ありません。 まだまだ先は長い。こんなことで落ち込んでてはいけませんね。過保護にするつもりはありませんが、自立する日までは、せめて子供のうちは、あの無邪気な、回りの人を幸せな気持ちにしてくれるのんの笑顔を、守らなければと思います。 そうするためには、今回のこと、やはり学童と話したほうがいいのかもしれませんね。
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