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「野球ソムリエ」 キャッチャーズ・アイ

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2008.08.26
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カテゴリ:北京オリンピック
『 選手たちがストライクゾーンに不信感を持ってしまった。 』
『 あまりにも審判ごとの差がありすぎる。 』
今は何を聞いても言い訳にしか聞こえない。
実際に映像で見ていても、確かに日本のストライクゾーンとは大きく違ったし、
各試合を担当する球審ごとに差があったのも事実だ。
だが、そんな事は今に始まったことではない。
すでに行く前から分かっていたことだし、それに対する心構えをする時間はあった。

一番の問題は選手自身がストライクゾーンを掌っているという勘違いだ。
ストライクゾーンを掌るのはあくまでも球審だ。
ゲームを最終的にコントロールするのは審判なのである。
もちろんプロの選手たちである以上、
ピッチャーもバッターも自分のストライクゾーンというものを確立していると思う。
頭ではなく、すでに身体が覚えているだろう。
特にバッターの場合、頭ではここまではストライクに取られると分かっていても、
身体が打ちに行くのを拒否することがあるだろう。
そのためにワンテンポ、誤差が生じる事は充分に起こりうるだろう。
だが、最終的な判定をするのは審判であって選手たちではない。
いつからか、ストライク、ボールの判定はもちろん、
アウト、セーフの判定まで選手たちが当然のように抗議するようになってしまった。
野球規則には、審判の下した判定は最終的、絶対的なものであって
抗議権は監督にしか与えられていない旨が記されている。
日本の場合、近年確かに不可解な判定や誤審が多い。
そのために選手たち、監督たちも不信感が募っているから起きる抗議なのだろうが、
それにしても、最近は選手たちの審判に対する態度があまりにも不遜になっている。
そう感じるのは私だけだろうか?
プロの選手たちがそんな態度を見せるから、
最近は高校野球でも平気で審判の判定に不満の態度を表す
選手、指導者が目に余るようになってきた。

毎試合、毎試合、見ない事がないくらいに最近のプロ選手は
ストライク、ボールの判定にあからさまに打席やマウンドで不平、不満を表す。
その態度は抗議というよりもふて腐れているようにさえ見えることがある。
MLBでは、審判の判定に意義を唱える事は即、退場となる。
そのために、審判と眼を合わせずにバットを放り投げたり、
ヘルメットを叩きつけたりして、憂さを晴らしているのを良く見かける。
そんなMLBの悪いところまで、いつしか日本は真似てしまった。
攻守交替のスピードやバッターの全力疾走など、見習うべき事が出来ていないのに、
悪いところのみ真似てしまっているのである。

普段からそのような態度でプレーしているから、
国際大会の意義を唱えられない判定に対応できないのではないのか。
選手たちの気持ちの問題だと思うのだ。
突然に審判に意義を唱えられない試合に放り込まれて、気持ちが整理できないまま
その判定に惑わされて、自分を見失っているのではないのか。
本当に優れている選手であれば、対応能力にだって優れているはずだろう。
特にピッチャーは自分が投げるという主導権を持っている。
ストライクと思って投げた球がボールと言われれば、
それは内心穏やかでは済まないだろうが、それで取り乱すのも未熟だろう。
バッターたちだって多少ゾーンを広げて打っていく事ができるだろう。
北京での戦いを見ている限りでは、
ピッチャーがそんなに厳しくストライクをボールと取られているようには思わなかった。
むしろ、思ったような戦いができない中で、日本のピッチャーたちが
どんどん意識過剰になっていったような印象すら受ける。
自分たちが苦しい状況に追い込まれて、余裕が無くなっていくごとに
ストライクゾーンへの不平、不満が多くなったように見えるのだ。

バッターたちは、ストライクゾーン云々以前の問題だと思う。
国際大会であろうとなかろうと、
ピッチャーが一番ストライクを投げてくるのは初球の確立が一番高い。
ファーストストライクが一番甘いところに来る確立が高いのは世界共通のはずである。
それなのに、日本のバッターたちがどれくらい初球の甘いストライクを、
ファーストストライクを見逃したか。
甘いストライクを見逃し、難しい球を打たされる。
打っていくのではなく、打たされていく。
そんな場面を何度となく、今回の北京の戦いでは見させられた。
自分たちの気持ちの問題だろう。
積極的に打っていけない自分たちの気持ちの持ちように問題があるのではないのか。

私は北京五輪が始まる前に、審判の判定に不満を表すのは絶対にするべきでないとした。
ピッチャーもしかり、バッターもしかり、キャッチャーもしかりである。
だが、いきなり初戦のキューバ戦から不満は表すし、
キャッチャーはミットを動かすしで、審判の気分を損ねるシーンの連続であった。
国際大会で審判は絶対の存在なのだ。
審判を見方に付けるか、敵にするかで、どれだけ違うかは国内の比ではない。
日本の選手たちの普段から審判への不遜な態度がいけないのである。

今回の結果は、組織や監督コーチなどの責任が大きいのは確かだが
選手たちにも覚悟が足りなかったのだと思う。
もちろん、すべての選手たちではないが、
全然足りてなかった選手が多かったのも確かである。
それを表すのが、北京へ経つ前、国内合宿の時の選手たちの過ごし方である。
合宿中である。それもわずか2週間かそこいらだ。
合宿中に夜出かける選手たちの姿が多かったと聞く。
都内にいれば、世話になっている人や後援会がらみで誘われる事も多いだろう。
だが、五輪本番直前の合宿である。 
普通、外出は控えるだろう。
そんな時間があれば五輪の事を考えるのが常識だろう。
もちろん誘う方も悪いのだが、それに出て行く選手たちはもっと悪い。
そこまで管理しなければならないような選手たちの集まりではないはずだ。
日の丸を背負う選手たちなのだ。
時間が足りないとか言う以前の心構えの問題だ。
それだけの心構えでしかなかったのである。
とても覚悟などと言えるものではない。

北京での戦いでは、キューバ、韓国などのスピードとパワーにやられた。
だが、パワーはムリとしてもスピードでは日本も引けをとらないレベルのはずである。
今回はそのスピードを生かせる選手に故障が相次ぎ、
日本はスピードのある攻撃を展開できなかった。
だが、そのスピード溢れる野球を相手にした時の脅威は充分に感じたはずである。
ランナー時のベースランニング、1塁への全力疾走と
そのスピード感に焦り、ミスをする事になったのは自分たちである。
ならば、その事を肝に叩き込んで、その経験を日本の選手たちに伝えて
自らが普段から実践し、他の選手たちの範となる責任があると思うのだが、
少なくとも昨日からベイスターズに復帰した村田選手には
そのような態度は見えなかった。
相変わらずの1塁への流した走り方。
ヒットを打っても、凡打でも同じであった。
捉え方の違い、感じ方の違い、表し方の違いと言ってしまえばそれまでだが、
手痛い守備をした選手、打てずに貢献できなかった選手が
帰って来てすぐの試合でするプレーとは思えなかった。
日の丸を背負う選手を選ぶには、過去の実績や現在の調子はもちろんだが、
その選手の精神的な面の強さ、弱さや野球に対する取り組み方が真摯かどうかも
充分に加味されるべきだと改めて思った。
日本野球を背負い、子供たちの範となり、夢を与える
その覚悟が充分でない選手には、日の丸の野球ユニフォームを着て欲しくない。





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最終更新日  2008.08.26 09:54:16
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