真理の探求に関しての姿勢人それぞれ真理の探究をする理由があると思います。ただ、何か満たされない思いを埋めるため・心の拠り所とするためにスピリチュアルであろうとすると、苦しくなってしまいます。それは結局、「こうでなければならない」という囚われを作ってしまうからです。 僕はこの真理の探求を始める際に自分自身に約束したことがあります。 それは「どんなにスゴイ人、尊敬する人の言うことであっても、鵜呑みにしないで自分で考える」ということです。 そうすることで、教えそのものに囚われるのではなく、教えが指し示す真理を個人の体験として知ることができると思うからです。 自分自身を誤魔化さずに探求して行けば、例え答えが見つからずとも、人生の最後の瞬間に最高に満足した人生だったと思えるかなと思います。 |