ぽたまのつぶやき

2006/02/22(水)22:10

言い方ひとつ

先日、ある方のブログに熱くなり(?) 「試練は越えられる人にしか与えられないんだ」 という思想は嫌いです。 みたいなことを(その方のブログに)書きました。 (なんてヤツだ) まぁ、前にもここに書いたと思いますが・・・。 これって、一見正論で、褒め言葉(慰める時に使う)で、ポジティブ的に捉えられるかもしれないけど、 あんまり良い「言い方」ではないと思う。 あぁ・・・そうか。 言い方、なんですよ、言い方。 思想じゃなくて。 「乗り越えられる人にしか与えられない」 なら、与えられないような軟弱者の方がいいじゃないですか。 試練に対して果敢に立ち向かうことができればいいですけど、 もし、耐えられなくて心が病んでしまった場合、それでも乗り越えることを求められるのでしょうか。 そんな「選ばれし者」なんか、なりたくないですよね。 じゃあ、選ばれた自分は、その先に何があるの?って思ってしまいませんか? 知らないなら、知らない方が良い。 「あぁ、あの人、知らなくて可哀想だね」と哀れみをかけられたとしても、 当の本人はわからないから、それはそれで幸せだと私は思う。 知らないから、感じることもないし、気づくこともない。 わからないなら、何もわからなくて済むんだから。 だから、わざわざ「選ばれし者」になる必要はないと思う。 そんなことを冷ややかに思っていた私ですが、 言い方を変えることで、納得してしまった自分がいました。 ある本(浅見帆帆子さんという方)の受け売りではありますが、 「与えられた試練は、乗り越えられる」 思想的には同じですが、言い方が違うんですよね。 (卵と鶏どっちが先?と同じだと思いますが) 与えられた試練は、乗り越えられる・・・・だから、与えられてしまったんだ。 (という発想ができると思う・・・そして、「だから、大丈夫」と思える) 冒頭の場合、 試練は乗り越えられる人にしか与えられない・・・だから、与えられてしまったんだ。 (という発想もできるかもしれないけど、なんか重くないですか?  凹んでるのに、無理矢理「だから、頑張れよ」と背中を押される感じ) 言い方一つで、ものすごく変わるんだなぁ、と思いました。 (あくまでも私の主観ですが) 良い言葉を使えるようになりたい、と思う今日この頃です。

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