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2009/12/12(土)22:31

集団N39の展覧会見に行きました

たびゆき(旅行)(59)

大学ん時の指導教官のM先生が若い頃に参加していた「集団N39」の展覧会が開かれている、という情報を地元の新聞の文化コラムで知り、「若干遠いが、行かずばなるまい。1000円高速で」と今日で最終回のドラマのサムライ風に考え、行ってきました。 天気は、全くよろしくなく、雨と風の中の移動でした。 2時間半ほどで到着し、美術館に隣接する幼稚園かなんかの発表会があるらしく、車が多く、駐車場捜してうろうろしてやっと入館。600円。 40分ほどかけて、じっくりとみました。 M先生が20代の頃の作品と対面する機会は、県美やら田中屋やらあるのですが、花巻の土沢でみるとまた一段とじっくりとみることができました。 「構成」という作品には、「東京五輪」とか当時の新聞で使った版下がそのまま貼られており、反転した記事が判読できそうなのですが、ちらりとサザエさんの4コマが見えてました。 M先生からは、「それが何かわかるのは、あからさまでかっこう悪いね」とよく言われて制作したものですが、先生の若い頃の作品には、接着された円盤がソノシート(曲名は不明)だったり、あちこち悩みながらも逃げ道というか、ユーモアの部分、いや多分、当時の先生はエスプリだとか言うつもりなのでしょうが、そんな部分をたくさん発見できました。 2006年の石神でも先生の作品たくさんみましたが、これほど細かにみませんでした。 N39のお仲間の作品も興味深く、今、この方々はどのように生きておられるのか、そして、それぞれの芸術の抱える方向性が異なるという理由で発展的に解消したとは言いながら、当時の運動がそれぞれに何をもたらしたのか、知りたいと素朴に思いました。 M先生は生前よく「アクリルの絵画の保存性について未だ確立されていない。未だ100年も経ってない画材だ。自分の作った作品が油絵のように長い期間保存されるかどうかがわからない」と、語ってました。それ故、画材の性質にも時間をかけて研究しておられたと思います。 しかし、今回みた初期の作品の厚く塗り込んだポリエステルは、40年の時を経て、ひび割れ、はがれ、退色劣化し、鮮やかさが失われつつありました。ゴールズワージーのように、その時だけ作品が存在するという作家や、自然の中で朽ちていくことを前提に制作する作家もいますが、自分の作品が、朽ちていくのをみたときはどんな気分だったのかな、と思います。 かつて存在した童話や子守歌が、郷愁というフォルダにのみ残り、ある唄は失われ、ある唄はヒトビトに語り継がれてきたように、戦後の日本に生まれた前衛美術たちも、しっかりとファイリングされることなく、幼年期を戦争下で過ごした若者による日本という枠や権威への抵抗というフォルダの記憶に織り込まれ、実物が失われていってしまうのでしょうか。 帰りに林風舎という、喫茶と気の利いた小物を扱っている店に立ち寄りました。 笑っているふくろうが、そして増殖した賢治がたくさんいました。 M先生に、確かな目を持て、真っ直ぐ歩け、と言われた様な気がして、疲れてたけど行ってよかった、そんな368kmの旅行でしたよ。

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