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PPK手帳2019

2019.08.17
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カテゴリ:日記



兄あての封筒を開いた。消印は昭和20年11月27日。差出人の肩書は「第30震洋特別攻撃隊菊花隊所属」。米軍がSuicide Boat(自殺ボート)と呼んでいた特攻兵器「震洋」の乗員だった。山崎順治さん。17歳あたりか。
「震洋」は、特殊潜航艇「回天」ほど知られていないが、ベニヤ板製のモーターボートの艇首に250㌔の爆雷を搭載し、目標に体当たり攻撃する特攻であった。大量生産され、日本各地や海外各地に配置された。しかし、スピードは高速艇にほど遠く、狙い撃ちできるスピード。さらに艦船のまわりに木材を浮遊しておけばそこで自爆する、狂気の武器であった。第30震洋隊の基地は台湾の海口である。

兄は病弱のため兵役を免除されていた。差出人は台北第一中の後輩である。
手紙には療養所で闘病中の兄への激励の言葉があふれ、みずからは敗戦によって命を拾ったことを淡々と記していた。特攻要員は、学徒兵、海軍飛行予科練習生出身者を中心としたようである。ウイキには犠牲者は2500人以上だった記されていた。中には、敗戦の日の翌日、待機していた震洋の誘爆事故で110人の若者たちが命を落としたという。

昭和20年5月の大空襲で自宅が吹っ飛び、ぼくたちは疎開先で敗戦を迎え、中華民国政府に徴用された父とともに台北に戻ったころである。すでに日本に引揚げている自宅近くの知人の家を修理して住んだ。器用な兄がトンカチを振るっていたことを思い出す。体調は悪化し翌年3月末に急死した。

封書の消印は11月27日。山崎さんと兄は再会したのか。
Suicide Boat(自殺ボート)を考え付いた狂気について語っている頃かな。

小さな写真は兄に違いない。ここはどこだ。









最終更新日  2019.08.17 20:22:48
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