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2010.03.05 コメント(1)
全364件 (364件中 1-10件目) 日記
カテゴリ:日記
社友の展覧会をはじめ魅力的な集いの誘いが増えた。透析中の友を訪ねたい。帰省したい。
しかし、巣ごもりに慣れ、飛び出す気力が萎えている。これはまずい。 一年一回のチャンス。計算サイトに誕生日を入力する。経過日数31,457日、754,968時間。そして「もうすぐ30億秒!まだまだ元気だ!」というメッセージ。そうありたい。 ![]() ![]()
2021.11.03
カテゴリ:日記
地区の長老が発案したと伝えられている『たぶかまちなかウォーク』。昨年は我があばら家・旦過寮がコース中にあったので家内とともに参加させていただきました。 ことしは11月27日土曜日開催とのこと。11月22日と聞いていましたが参加締め切り日でした。帰省機会を考えているので切り替えに問題はありません。問題はあばら家は雨漏りしているはず。地蔵堂に泊るか、ホテルに泊るか。地域でこんな老人を受け入れてくださるかと思っています。 ところで「たぶか」は日本のどこにあるのでしょう。大分県/国東市/国東町/田深。「タブカクレトロ」の皆さん もっとがんばりましょう。 ![]()
最終更新日
2021.11.03 18:14:01
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2021.11.02
テーマ:今日の出来事(267902)
カテゴリ:日記
体調なんとなく変。流感か!? 熱を測る。ふだんとかわらない。卓球お休みの連絡をしていると、 ”インフルエンザの申し込み、どうするの?”と妻。先週ホームドクターの受付で11月分はすでに満席と聞いていたが、その後はどうか。☎すると「X日Y時に来院のうえ手続きを。行列覚悟してね!」の声におどろく。Kクリニックに☎した。こちらは受け付けてくれたが接種日は12月8日。かなり先だが、ヨロシクとお願いした。 市ホームページの記載。「新型コロナウイルス関連支援事業の一環として、今年度に限り、満65歳以上の高齢者は2022年1月31日まで無料接種することができます」とある。今のところインフルエンザ流行の兆しナシのようであるが、衆院選の結果同様、先は読めない。
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最終更新日
2021.11.02 17:56:41
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2021.11.01
カテゴリ:日記
![]() 初代民博館長・梅棹忠夫さん(1920年 - 2010年)の著わした『夜はまだあけぬか』を読む。還暦近く、球後視神経炎によって視力障害に陥った先生の薄明の世界を知る闘病記である。先週、民博の「触展」で求めた。失明後も家族や民博職員らの助けを得ながら精力的に活動された。先生は日本語のローマ字論者で、わたしは一時期傾倒したことがある。はるか昔の事である。 11月1日朝。大阪地区の立憲候補者全滅。そのなかに辻元さんがいた。ショックである。彼女の『総理、総理、総理!!“小泉現象”におそれず、ひるまず、とらわれず』には2005年1月20日のサインあり。"維新におそれず、ひるまず"たくましく活動されることを期待している。 ![]() ![]() ・
最終更新日
2021.11.01 11:41:41
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2021.10.31
テーマ:今日の出来事(267902)
カテゴリ:日記
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最終更新日
2021.10.31 15:05:44
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テーマ:今日の出来事(267902)
カテゴリ:日記
スマートフォン版ブログにトライしています。収穫物の添付ができない?
最終更新日
2021.10.31 14:28:43
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2020.05.08
カテゴリ:日記
と、こんな調子で続くのであるが、次の日記で終わっている。
倒壊した建物の下敷きになって苦悶している男 荒涼とした海辺をあてもなく歩く男 ロマンチックな夢はいっこうに現れない 昔、あこがれたマドンナがひょいと現れないかと思うが姿を見せてくれない。
・1998年4月
2019.11.01
カテゴリ:日記
10月31日未明、首里城火災の速報をラジオで知り、夜が明け、無残な光景に言葉を失った。
開けて1日のデジタル朝日。『テンペスト』の著者、池上永一さんは「私は首里城が焼失した現実を、まるで災害に遭った被災者のような気持ちで受け止めている。ショックが大きすぎて、自分がふわふわ漂っているような心境である。」と記している。 1997年1月17日、ぼくは定年記念の旅先に沖縄を選んだ。暖かいところがいいという妻の希望だったに違いない。旅程は思い出せないが、まず案内された朱色の門に目を奪われた。 再復元までには時間がかかるはず。現地を訪ねることは二度とないが、なにかできることはないかと、しみじみ思う朝である。 ![]() ![]() ![]()
最終更新日
2019.11.01 08:23:36
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2019.08.17
カテゴリ:日記
![]() ![]() 兄あての封筒を開いた。消印は昭和20年11月27日。差出人の肩書は「第30震洋特別攻撃隊菊花隊所属」。米軍がSuicide Boat(自殺ボート)と呼んでいた特攻兵器「震洋」の乗員だった。山崎順治さん。17歳あたりか。 「震洋」は、特殊潜航艇「回天」ほど知られていないが、ベニヤ板製のモーターボートの艇首に250㌔の爆雷を搭載し、目標に体当たり攻撃する特攻であった。大量生産され、日本各地や海外各地に配置された。しかし、スピードは高速艇にほど遠く、狙い撃ちできるスピード。さらに艦船のまわりに木材を浮遊しておけばそこで自爆する、狂気の武器であった。第30震洋隊の基地は台湾の海口である。 兄は病弱のため兵役を免除されていた。差出人は台北第一中の後輩である。 手紙には療養所で闘病中の兄への激励の言葉があふれ、みずからは敗戦によって命を拾ったことを淡々と記していた。特攻要員は、学徒兵、海軍飛行予科練習生出身者を中心としたようである。ウイキには犠牲者は2500人以上だった記されていた。中には、敗戦の日の翌日、待機していた震洋の誘爆事故で110人の若者たちが命を落としたという。 昭和20年5月の大空襲で自宅が吹っ飛び、ぼくたちは疎開先で敗戦を迎え、中華民国政府に徴用された父とともに台北に戻ったころである。すでに日本に引揚げている自宅近くの知人の家を修理して住んだ。器用な兄がトンカチを振るっていたことを思い出す。体調は悪化し翌年3月末に急死した。 封書の消印は11月27日。山崎さんと兄は再会したのか。 Suicide Boat(自殺ボート)を考え付いた狂気について語っている頃かな。 小さな写真は兄に違いない。ここはどこだ。 ![]()
最終更新日
2019.08.17 20:22:48
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2019.08.03
カテゴリ:日記
昨年は最高気温が35度以上の猛暑日が連続19日間つづいた豊中。近畿の連続記録に並んだ。今夏も続くのか。昨年はモリトモ問題のせいだとささやかれたが、今年はナゼ?
きょうとあす、豊中まつり。朝からカンカン照りで関係者はたいへんだ。いつもの水撒きおじさんも途中でへたばらないように祈っています。 きょうは阿波座近くで台湾学の勉強。『むかし「日本人」いま「台湾人」』の著者、松本洽盛さんの話を拝聴する。このところ台湾に対する中国の干渉が露骨。熱い勉強会になるだろう。 ![]()
最終更新日
2019.08.03 10:02:47
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