PPK手帳2022

全364件 (364件中 1-10件目)

1 2 3 4 5 6 ... 37 >

日記

2021.11.11
XML
カテゴリ:日記
社友の展覧会をはじめ魅力的な集いの誘いが増えた。透析中の友を訪ねたい。帰省したい。
しかし、巣ごもりに慣れ、飛び出す気力が萎えている。これはまずい。
一年一回のチャンス。計算サイトに誕生日を入力する。経過日数31,457日、754,968時間。そして「もうすぐ30億秒!まだまだ元気だ!」というメッセージ。そうありたい。














最終更新日  2021.11.11 18:48:06
コメント(1) | コメントを書く


2021.11.03
カテゴリ:日記
地区の長老が発案したと伝えられている『たぶかまちなかウォーク』。昨年は我があばら家・旦過寮がコース中にあったので家内とともに参加させていただきました。
ことしは11月27日土曜日開催とのこと。11月22日と聞いていましたが参加締め切り日でした。帰省機会を考えているので切り替えに問題はありません。問題はあばら家は雨漏りしているはず。地蔵堂に泊るか、ホテルに泊るか。地域でこんな老人を受け入れてくださるかと思っています。
ところで「たぶか」は日本のどこにあるのでしょう。大分県/国東市/国東町/田深。「タブカクレトロ」の皆さん もっとがんばりましょう。 






最終更新日  2021.11.03 18:14:01
コメント(0) | コメントを書く
2021.11.02
カテゴリ:日記
体調なんとなく変。流感か!? 熱を測る。ふだんとかわらない。卓球お休みの連絡をしていると、 ”インフルエンザの申し込み、どうするの?”と妻。先週ホームドクターの受付で11月分はすでに満席と聞いていたが、その後はどうか。☎すると「X日Y時に来院のうえ手続きを。行列覚悟してね!」の声におどろく。Kクリニックに☎した。こちらは受け付けてくれたが接種日は12月8日。かなり先だが、ヨロシクとお願いした。
市ホームページの記載。「新型コロナウイルス関連支援事業の一環として、今年度に限り、満65歳以上の高齢者は2022年1月31日まで無料接種することができます」とある。今のところインフルエンザ流行の兆しナシのようであるが、衆院選の結果同様、先は読めない。







最終更新日  2021.11.02 17:56:41
コメント(0) | コメントを書く
2021.11.01
カテゴリ:日記


初代民博館長・梅棹忠夫さん(1920年 - 2010年)の著わした『夜はまだあけぬか』を読む。還暦近く、球後視神経炎によって視力障害に陥った先生の薄明の世界を知る闘病記である。先週、民博の「触展」で求めた。失明後も家族や民博職員らの助けを得ながら精力的に活動された。先生は日本語のローマ字論者で、わたしは一時期傾倒したことがある。はるか昔の事である。
11月1日朝。大阪地区の立憲候補者全滅。そのなかに辻元さんがいた。ショックである。彼女の『総理、総理、総理!!“小泉現象”におそれず、ひるまず、とらわれず』には2005年1月20日のサインあり。"維新におそれず、ひるまず"たくましく活動されることを期待している。









最終更新日  2021.11.01 11:41:41
コメント(0) | コメントを書く
2021.10.31
カテゴリ:日記
  • A地点を掘る。伸びたつるの下を探索するが収穫なし。憮然とした顔は写されることを拒否した。でも、天の恵みはバケツ一杯。ありがたい。
  • 写真整理のつづき。5,6冊分をPCへアップ。でも、飽きた。捨てきれないので、メモを張り付け、棚にもどした。
  • 楽天ブログスマホ版を験した。指先の動きのたよりなさ。キーボード派にはなじめない。










最終更新日  2021.10.31 15:05:44
コメント(0) | コメントを書く
カテゴリ:日記
スマートフォン版ブログにトライしています。収穫物の添付ができない?






最終更新日  2021.10.31 14:28:43
コメント(0) | コメントを書く
2020.05.08
カテゴリ:日記



西暦
20XX年
▼某月某日 コホンコホン。五右衛門(風呂)を焚く妻。煙にむせている、スイッチポンでお湯が出てくる快適生活から一変した妻を不憫に思う。
▼某月某日 近くの川で獲ったアユを囲炉裏の火であぶり、「松之露」で一杯。庭先でホタルが乱舞している。パソコンのキーを叩き、小説の続きを書く。
▼某月某日 たしか平成10年5月。関東から来浦の岩戸寺近くに移住して炭焼きをはじめた石崎くんの炭が話題を呼んでいることを知る。この炭を使っている町の飲食店主は「元テレビマンが焼いた炭は火持ちよく、一村一品に推薦したい」と驚嘆していた。

 と、こんな調子で続くのであるが、次の日記で終わっている。
▼西暦2023年某日 地元高校を卒業した同級生たちが米寿を祝って町をパレードした。その中に僕がいる・・・・。
 19984月の「社友会会報」に寄稿した「廃屋の夢にうなされて」の一部である。

 医者の兄があの世に逝ったあと記した一文である。(1998年8月4日)


 当時の国東。大分空港から海岸線を北へ十分ほど走ると国東町に入る。世帯数五千、人口約一万四千人弱。その一隅に茅葺きの家。台湾から引揚げ後、小学生の中ほどから高校まで過ごした家だ。
 両親がいなくなって十数年、誰れも住んでいないのに廃屋にならないのは近所の人たちが風を入れてくれるおかげである。この家、過去帖によれば徳治元年(
1306)に建てられたとある。山あり川あり海あり緑あり石仏ありで、国東は僕の「林住期」にふさわしい居場所にちがいない。
 
屋敷まわりにはなにがしかの田畑があるが、生産者でなければ稲作はできないし、知識も技術もない。つまるところ田舎の土地や家は〝負の財産〟である。


 
この町に帰って経験や人脈を活かす道はあるか。
 不便を楽しむ度胸はあるか。自問自答するが確信が持てない。
 その上、都会暮らしにすっぽり溶け込んでいる女房殿を説得することは容易ではない。
 あれこれ思案しているうちに、いろんな夢が現れてくるようになった。

 倒壊した建物の下敷きになって苦悶している男

 荒涼とした海辺をあてもなく歩く男

 ロマンチックな夢はいっこうに現れない

 昔、あこがれたマドンナがひょいと現れないかと思うが姿を見せてくれない。
 せめて机の上だけでも、いい夢を見たいと思って
書き始めたのである。

 こんな途方もない夢を『ひとり新聞・風通信』に記し、友人や余暇学会に送り付けた。反響。
 ・「白砂青松の海、深い緑、名水の井戸あり、六郷満山あり。藁葺の家に俺も住んでみたいよ」
 ・「野菜を育て、釣り糸を垂れ、絵を描く。こんなところで老後を過ごすなんて贅沢だ」
 ・「テレビの仕事に恋々とするな。一日も早く鍬をとれ、鋤をとれ」
 ・「平松知事お得意の村おこしにならって新しい文化活動を起こすもよし、国東遊々塾を開くもよし。俺は応援団を結成してかけつける」
 
 女房に伝えたら、「そんな夢はひとりで見るもの。ドボン式トイレの家にだれが行くものですか」と。家人に背かれたら田舎暮らしは成立しない。


 現実に戻る。古家は外見はしっかりしているが、最低の文化的生活を可能にする状態にするには問題山積。ぐらつく床、屋根の葺きかえなど課題山積。

 ・社友の「近畿歴史散歩の会」一行が近畿を抜け出しやってきた。一行は安国寺集落遺跡公園で古代人の気分を味わい、そのあと岩戸寺の仁王像や熊野磨崖仏などを見学、そのあと町の文化財に指定された「茅葺きの家」で酒宴を開いた。

 と日記。そうありたいと思うこの頃である。

19984







最終更新日  2020.05.23 05:11:35
コメント(1) | コメントを書く
2019.11.01
カテゴリ:日記
​​​​​​​​​​​10月31日未明、首里城火災の速報をラジオで知り、夜が明け、無残な光景に言葉を失っ​​​​た。
開けて1日の
デジタル朝日。『テンペスト』の著者、池上永一さんは「私は首里城
が焼失した現実を、まるで災害に遭った被災者のような気持ちで受け止めている。ショックが大きすぎて、自分がふわふわ漂っているような心境である。」と記している。

​​1997年1月17日、ぼくは定年記念の旅先に沖縄を選んだ。暖かいところがいいという妻の希望だったに違いない。旅程は​​​​思い出せないが、まず案内された​​​​朱色の門に目を奪われた。​​​​​​​​​​​​


ふたたび池上さんの筆。「
復元された正殿を初めて見た時、あまりの美しさに呆然とした。弁柄漆の赤い城と、青空が鮮烈なコントラストを見せていたからだ。ピカピカに輝く赤い城は、私の目に美術工芸品のように映った。同時に私がこれまで触れていた紅型や、漆工芸、琉球舞踊などの琉球文化のパズルが一枚の絵にぴったり収まった瞬間でもあった。沖縄の美は全て首里城に集約される、と確信したのだ。


再復元までには時間がかかるはず。現地を訪ねることは二度とないが、なにかできることはないかと、しみじみ思う朝である。









​​​​​​​​​​​​​​​






最終更新日  2019.11.01 08:23:36
コメント(0) | コメントを書く
2019.08.17
カテゴリ:日記



兄あての封筒を開いた。消印は昭和20年11月27日。差出人の肩書は「第30震洋特別攻撃隊菊花隊所属」。米軍がSuicide Boat(自殺ボート)と呼んでいた特攻兵器「震洋」の乗員だった。山崎順治さん。17歳あたりか。
「震洋」は、特殊潜航艇「回天」ほど知られていないが、ベニヤ板製のモーターボートの艇首に250㌔の爆雷を搭載し、目標に体当たり攻撃する特攻であった。大量生産され、日本各地や海外各地に配置された。しかし、スピードは高速艇にほど遠く、狙い撃ちできるスピード。さらに艦船のまわりに木材を浮遊しておけばそこで自爆する、狂気の武器であった。第30震洋隊の基地は台湾の海口である。

兄は病弱のため兵役を免除されていた。差出人は台北第一中の後輩である。
手紙には療養所で闘病中の兄への激励の言葉があふれ、みずからは敗戦によって命を拾ったことを淡々と記していた。特攻要員は、学徒兵、海軍飛行予科練習生出身者を中心としたようである。ウイキには犠牲者は2500人以上だった記されていた。中には、敗戦の日の翌日、待機していた震洋の誘爆事故で110人の若者たちが命を落としたという。

昭和20年5月の大空襲で自宅が吹っ飛び、ぼくたちは疎開先で敗戦を迎え、中華民国政府に徴用された父とともに台北に戻ったころである。すでに日本に引揚げている自宅近くの知人の家を修理して住んだ。器用な兄がトンカチを振るっていたことを思い出す。体調は悪化し翌年3月末に急死した。

封書の消印は11月27日。山崎さんと兄は再会したのか。
Suicide Boat(自殺ボート)を考え付いた狂気について語っている頃かな。

小さな写真は兄に違いない。ここはどこだ。









最終更新日  2019.08.17 20:22:48
コメント(0) | コメントを書く
2019.08.03
カテゴリ:日記
​​​​​​昨年は最高気温が35度以上の猛暑日が連続19日間つづいた豊中。近畿の連続記録に並んだ。今夏も続くのか。昨年はモリトモ問題のせいだとささやかれたが、今年はナゼ?​ 
きょうとあす、豊中まつり。朝からカンカン照りで関係者はたいへんだ。いつもの水撒きおじさんも途中でへたばらないように祈っています。
きょうは​​​阿波座近くで台湾学の勉強。​​​​
『むかし「日本人」いま「台湾人」』の著者、松本洽盛さんの話を拝聴する。このところ台湾に対する中国の干渉が露骨。熱い勉強会になるだろう。​​​​​​​​​​
​​
​ 






最終更新日  2019.08.03 10:02:47
コメント(0) | コメントを書く

全364件 (364件中 1-10件目)

1 2 3 4 5 6 ... 37 >

PR


© Rakuten Group, Inc.