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既出だったかもしれないけれど、アップルのスティーブジョブスの演説『「大学中退者」から「エリート大卒業生」に贈る言葉 』から、考えをまとめちゅう。
PQ開発者でまだ読んでいない人は読んでみよう。 前後編で長い文章だけど、本1冊買うのと同じくらい豊かになる文章だよね。 スティーブジョブズ氏スピーチ(前編)SAFETY JAPAN 2005 [特別寄稿]-日経BP社 [覚え書き] 悪平等。結果の平等におちいるから個性が「制限される」。 その社会の自由とは、その社会を構成する人々の意識裏の相互了解によってじつは裏付けられている。 エートス(人々の意識のもとになる要素)は日本の教育の中にも家庭にもない。 エートスの生成は、実のところ、「信仰」による。 ユダヤ教の教義は、ジェントルマンとしてお金をもうけられる、人々の相互了解を意識の裏側につくっている。 旧約聖書を聖典とする白人達が国の実権をにぎっていることはとてもよいことだ。 有色人種にも「自由(それぞれの意識の裏に根付いた相互了解)」のおっそわけをくれる。 「八百万の、はっきりいって、どうでもよい」という神。(心の中の重要部) てきとーに育った日本人の意識。 ジェントルマンたるプライドもなく(社会の中の相互了解としてある、構成員の心の中の重要部を守る)、幼児のように自由をほしがる。 また、相互了解(社会を構成する人々の深層心理)をもたないくせに、オンリイーワンの「特別なわたし(無秩序もいいところ)」になりたがる。 みずからが、荒れ狂う自意識の「神(オンリーワン)」として、ひとりひとりがカオス(混沌)をかかえている。 だから、人々の相互了解がないじょうたいで、自由(荒れ狂う自意識。本能的。野蛮。)に恐れおののいて、自分が信じられず、お互いが信じられず不安がるばかりなのだ。 とりあえず会社教に所属していれば、なんとか、お互いの怖さ(;゚д゚)ァ....を感じられずにすむ。 酒宴の席であれば、お互いに幼児性(無秩序なオンリーワンをもとめるジェントルたらない日本人)を解放できる。 だから、彼らは他人が怖い。家庭の中でさえも「孤立」をえらぶ。相互了解という無意識の共有がわからずに、父権(金や暴力)者になる。(団塊の世代) ジェントルを生きることは、自由を奪われることではない。 ジェントルを生きることこそ、白人社会の(意識のうらの相互了解)をいきることであり、【資本主義社会で成功するコツ】なのだ。 そして、日本型の悪平等の「潜在意識、潜在教育」からも自分を解放せしめる要素なのだ。 まちがってはいけない。 母性的な社会に「なまあたたかく貢献」できる人がジェントルではない。 資本主義=民主主義の原理を守る紳士的な態度がジェントルたるのだ。 そう考えれば、いまどきの若いITベンチャー起業家の行動も理解できるというもの。 ジョブスを産んだ信条、ジョブスを育んだ社会。 それは、ジェントル。 そして、社会学、小室学派の理論。 大正から昭和初期の日本の見事な文化的発展は、すばらしき天皇教(エホバの神の代用物)によるジェントルが育ったからだという。 本能をきちんとお互いに押さえる了解(天皇教)。 密接に社会の構成員とかかわっても、お互いに「本能にしたがって、どこまでやるか、やらないか」の了解が取れているので、信頼できる。 「たとえ文字が読めずに、明治憲法を知らなくても大丈夫。農民と殿様がであっても大丈夫。」 男も女も天皇教であれば、「お互いが怖くない」。 「お互いがこわくなければ、人間活動がスパークする」。 イギリスやアメリカのピューリタンに辛うじて似ていた時代。 小室学派の説。 カトリック文化圏(日本の神社仏閣にちかい)に人生を学ぶか、もしくわ、難民フランス人になって文化立国をつくろう。「ボクの説。」 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2005.10.28 16:21:57
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