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カテゴリ:クラシック音楽
「今日のクラシック音楽」 続・不倫愛に生きたリスト「愛の夢 第3番」
マリー・ダグー伯爵夫人と別れたフランツ・リストは8年間のピアノ演奏旅行に出かけます。 しかしこの演奏旅行中にはパリへ戻ることはありませんでした。 彼にすれば当時パリが芸術において世界の中心であったので、当然戻りたかったと思いますが、マリー・ダグーがサロンを再開しておりやはり社交界の中心的女性であったせいのか、マリーのいるパリには足を踏み入れることができなかったのでしょう。 1848年リストはドイツのワイマール宮廷楽団の常任楽長に任命されて、オペラの指揮などをするためにワイマールに定住することになります。 やがてリストはこのワイマール宮廷楽団を大編成のオーケストラに編成し直してより一層の優れた楽団に仕上げていきます。 話はリストの不倫愛に戻りますが、ヨーロッパ演奏旅行の途中1847年にロシア・キエフで演奏会を開き、ここでヴィットゲンシュタイン侯爵夫人と出会います。 この邂逅の機会で二人には恋の炎を燃え上がらせたのでしょう。 夫人はリストのピアノ演奏に感動して貧民救済資金を献金します。 これの返礼にリストが夫人を訪ねるのですが、二人は互いに心を奪われていったのでしょう。 このヴィットゲンシュタイン侯爵夫人は、リストの後半生と以後の作曲活動に大きな影響を与えた女性とされています。 1847年7月に大作「ダンテ交響曲」などを作曲しており、リストの才能を見抜いた夫人は、ピアノ演奏会をやめて、交響詩などの作曲への道を歩むことを進言します。 リストはエリザベートグラードでのピアノ演奏家を最後にして作曲家への道を歩み始めました。 そうして生まれてきた音楽が交響詩という形式の曲でした。 ヴィットゲンシュタイン侯爵夫人はリストを忘れることが出来ず、夫の公爵を置いたままロシアからワイマールへリストを追いかけていきます。 そして二人はワイマールのアルテンブルグ宮殿に住みつきます。 やがてこのアルテンブルグ宮殿には、ワーグナー、ベルリオーズ、ブラームス、クララ・シューマンなどの音楽家や作家・詩人などの集まるサロンのような場所となり、ヨーロッパの音楽の中心的存在となっていきます。 ワーグナーとの関わり合いは、1849年にドレスデンにいたワーグナーが革命のために逃げていたのをかくまったことから始まります。 1850年にはワーグナーの歌劇「ローエングリン」をワイマールで世界初演を行うなど、華々しい活動を行なっています。 そして大指揮者ハンス・フォン・ビューローとの交際も始まります。 ビューローはリストの弟子となり、リストによってウイーンにデビューしています。 彼はワーグナーの楽劇「トリスタンとイゾルデ」の世界初演を任されたり、ブラームスとの親密な交際がりました。 ブラームスが交響曲第1番を発表した時に「ベートーベンの交響曲第10番」という有名な言葉を残しています。 のちにニキシューフルトヴェングラーーカラヤンへと続くベルルンフィルの栄光の初代常任指揮者でもあります。 1857年には娘コジマがこのビューローと結婚しており、リストと家族の一員として交際が続いています。 のちにコジマがワーグナーの許へ走ってしまう事件が起こりますが、それはワーグナーの恋事件で詳しく述べましたので割愛しておきます。 リストとカロリーネ・フォン・サイン=ヴィットゲンシュタイン侯爵夫人はしっかりととした愛で結ばれ、二人の住むアルテンブルグ宮殿はヨーロッパの社交場として繁栄を極めていきます。 リストも夫人の進言を聞いて作曲に没頭します。 1852年にピアノ協奏曲第1番をベルリオーズ指揮リストのピアノで初演。 1854年に交響詩「前奏曲」の初演を指揮。 ここに交響詩という新しい形式の音楽が誕生します。 1857年に「ピアノソナタ ロ短調」を発表(ビューローのピアノ独奏)。 ピアノ協奏曲第2番、「ファウスト交響曲」などの初演・指揮 とにかく1850年代はヨーロッパの音楽はまるでリスト中心にまわっているかのような感じさえする、リストの絶頂期でした。 それは夫人の知性が果たした役割も大きいと言われています。 二人はやがて正式な結婚を望みローマへ居を移し、ローマ法王に結婚許可を願い出ます。 1861年条件付きで許可が降り結婚式の日取り(リスト50歳の誕生日)まで決めるのですが、ヴァチカンからはロシアの侯爵から離婚裁判の書類を取り寄せるように命じられ、それによって侯爵夫人は結婚を諦めて修道院へと入っていき、リストも公式に認められていませんが修道の身となり、以降演奏会には修道の身なりで聴衆の前に立ったと言われています。 不倫の愛を貫き通した二人でしたが、結婚は夢の露となって消え去りました。 リストは1886年7月31日、娘コジマが采配をふるったバイロイトでのワーグナーの楽劇「トリスタンとイゾルデ」、「パルジファル」を観たあとに75歳の生涯を閉じています。 侯爵夫人もリストの後を追うように8ヶ月後に世を去っているそうです。 「愛の夢 第3番」 リストの代表的なピアノ曲で1845年に作曲されています。 オリジナルは3曲の歌曲でしたが侯爵夫人と出会ったあとの1850年頃にピアノ曲に編曲されたと言われています。 甘い感傷的な美しい旋律に彩られた短い小品ですが、この曲に込められた「愛の夢」は侯爵夫人との見果てぬ結婚の夢だったのでしょうか? 愛聴盤 ホルへ・ボレット(ピアノ) (DECCA原盤 ユニヴァーサル・ミュージック P0CL5257 1982年録音) ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 「今日の一花」 白花彼岸花 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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