沖縄の問題*日本の問題始めて行く沖縄は、沖縄の抱えている問題を見たかった。※沖縄の南部戦線の跡地を。 実際使っていた壕。 こんな場所で・……と言葉を失う。 アブチラガマは、手すりもついていて、場所の説明もあったし広かった。 でも、懐中電灯を消すと、 闇だった。 あんな闇は、体験した事ないかもしれない。 家で電気を消しても、外灯の光や月の明りで、結構明るいんだと知る。 あの闇の中で、負傷者の手当てをひめゆり学徒隊がしてたの?? 想像もつかない。 轟ガマは、案内表示も出ていない場所で、 そのまま時間が止まったようで本当に怖かった。 平和祈念館は綺麗に整備されていて、すごくギャップを感じた。 それでも、体験集は生の声を読んだり聞いたり出来て良かった。 全部、見たり読んだりしたかったけれど時間がなくて残念。 摩文仁の丘から見る海は、本当に綺麗だった。 ひめゆりの塔は、最初に出来た石くれのようの塔が、それを置いた人の心を感じた。 綺麗になりすぎていると、温度が変わってしまう気がする。 嘉手納の戦跡は、トーチカも残っていて入ることが出来た。 すごく生々しかった。 ここでは、米軍が上陸するのを攻防する為に、多くの命が失われた場所。 日本軍の中でも韓国の方達が、多く前線に出されたそうです。 塔の上から嘉手納基地が見渡せた。 沖縄国際大学に米軍ヘリが落ちた場所を見た。 まだ、黒焦げの校舎に、黒漕げた木が立ち枯れていた。 大学にヘリが落ちた時に大臣が「米軍は操縦が上手い」って。 この状況を見て、そんな事が言えてしまうなんて。 劣化ウランの問題で、大学の土を全て入れ変えたという話を聞いた事がある。 こんなに近くに、大学や家の真横に基地があるの!?って、本当に驚いた。 こんな所で、毎日を暮らすって、どれだけ不安な事だろう。 横須賀は、大きく海のほうへ出ているので隣接しているのは、ゲートだけだから。 道路から見ていても、大きな基地。 ディズニーランド&シーが出来るじゃん。 午後は、辺野古へ。 本当に本当に綺麗な海で、珊瑚のあるところは色が違っている。 その境界線の所に、米軍基地を作ろうとしている。 その反対運動の座りこみに参加。 私達は座っているだけだったけれど、有志の方達は、探査船の阻止の為に、 カヌーやダイビングで海に出る。 命がけだ。 リーダー格の方が「平和ボケになりたいです」と仰っていました。 日本は平和だなんて、ここを見たら言えません。 日本の軍備の問題を全部、沖縄に負わせている。 その上に立っている平和なのに、私は何も感じないでいた。 「頑張ってくださいとは言わないで下さい。あなた達の問題でもあるんです。」と。 本当に、何も言えなかった。 普天間基地は、すぐに返還されなければならないけれど、だからって、辺野古の海を潰して基地を作るのって違う。 だいたい、新たに基地を作るのに15年かかるとの事。 普天間は、すぐにでも返還されなければならないのに、どうするの?? 座りこみの場に、修学旅行の一行がきた。びっくり。 みんなは、どう感じたんだろう? こんな綺麗な海を潰しちゃいけないって事だけは感じたと思う。 那覇の市長選直前だったので、現職の対抗革新一統候補で、 女性平和リーダーの高里鈴代さんの応援のお手伝いをする。 喜名昌吉さんも応援演説に来られていました。 ウチワや旗を持って、演説の横で手を振りました。 -・-・-・-日曜の市長選では高里氏は敗れました・-・-・-・-・-・ 首里城は、少し観光らしかったかな。 でも、琉球王国をヤマト民族が支配していった過程を見るのが目的。 はぁ~~~って、悲しくなりました。 なんなんだ、日本は?? 佐喜間美術館は、基地が一部変換されたところに立てられたもので、 丸木位里・俊さんの、沖縄戦の絵がある。丸木美術館の丸木さんです。 壮絶な絵だった。 自決が一番多かったガマの絵には、誰も居ない。 喜屋武岬の自決の絵には、綺麗な蝶の葬列。 丸木さんは、これらの絵の中に、子供の目にだけは瞳を入れたそうです。 未来への希望として。 静かな美術館でした。 すごく、有意義だけれど、痛みの伴うものでした。 日本の問題を、沖縄に負わせているんだって思った。 今、イラクでは現実にこれが、おこっていると思うと、本当に恐ろしい。 そう感じると、自分の無力さを思う。 でも、帰って来ると何して良いか分からない。 国会前でも、辺野古基地建設反対の座りこみをやっていて、 それには参加した事はあるんだけど・・・ 帰って来ると、自分の周りの雑事に追われてしまう。 でも、一度は、しっかり見ておきたいものだったから、行って本当に良かった。 ※最初に、沖縄の抱えている問題を…と思っていたけれど、 これは、日本とアメリカの大きな問題だと分かった。 それを全部、沖縄に負わせているという、日本の問題だ。 私の大好きな、沖縄のミュージシャンのHPに、 私が沖縄で感じた事を、書き込みをしたら、レスを頂きました。 ‥*‥‥・‥・‥*‥・‥*‥・‥・‥・‥・‥・‥・** 自分の目で沖縄を見て『沖縄の基地問題』なのではなく『日本の基地問題』 である事を先ず理解して欲しい。 そして『基地があって潤ってる人だっている』とか『基地の存続を望んでる人がいる』という言葉で切り捨てずに、 戦後60年基地がありその中で「生きて行かざるを得なかった」という事をもっ と考えて欲しい。 できれば基地容認派、反対派の両方の立場の人達に会って、何故賛成なの か?何故反対なのか?を聞いて欲しい。 うちが今まで出会って話しをした、軍用地主や基地容認派の人達で『心から米軍基地が沖縄にあって欲しいと思ってる、願ってる』と言った人はいませんでした。 生きるために仕方がない、いつもそういった言葉で締めくくられて会話は終わりました。誰が彼らに「仕方ない」と思わせているのか考えて欲しい。 premaさん、有難う。そしてあなたのやり方で、感じた事、見て来た事を多くの人に伝えて下さい。 ‥*‥‥・‥・‥*‥・‥*‥・‥・‥・‥・‥・‥・** |