悪性リンパ腫の記録1994年に、悪性リンパ腫というリンパのガンになりました。まだ、20代の事でした。 出来たのは、乳房だったので、お風呂に入って見るたびに 「おっ右だけ大きくなっている~」と喜んでいました。 でも、何だか、しこりを感じて、夫に言ったら「病院に行った方が良い」って。 次の日、病院へ。 乳がんかもしれないのって、何科?婦人科?内科? 受付で聞いたら、外科といわれて、へぇ~と感心。 触診では、気楽な感じで「乳腺繊維線種だろうから検査しましょう」って。 そんなのもあるんだ。きっとそうだろうと安心。 マンモグラフィーは、アクリル版の板のようなので、上下からと左右から、 乳房をギュギュっと挟んでレントゲンを撮る。 ものすごく痛いッ(;>ω<)/ さらに「もう一方の胸が入らないように手で押さえて。」ってかなり恥ずかしい。 胸のしこりに針を刺して、細胞を取る穿刺吸引細胞診。 「はい、刺しますよ」の言葉に、ちょっと見たら、細めのストロー!?って感じで… メチャメチャ痛かった(;o;) (最近、それを受けた友達は、それほど太い針ではなかったとの事。進歩だわ。) 刺した針が太いから穴も大きいわけで、だから消毒もガーゼも、ものすごく分厚い。 その後の日に超音波検査。 痛くないから安心していく。 検査技師さん、始めは気楽な感じでやっていたのですが、だんだん顔色が変わっていく。 こちらが、焦るくらい、食い入るように画面を見ている。 終わってから「良くない結果なんですか?」と聞いたら、「それは主治医に…」って。 かなり焦る。 主治医の話しで、悪性の可能性があるので切開生検をしましょうって。 切ってしこりの部分の細胞を取る。 傷が残る事が、すごくイヤで。 なんたって結婚して4年。 ちょっとの傷が胸につくなんていやだぁ~~~ でも主治医の顔色を見ていると、そんな事言ってられない様子。 切開生検の日、夫がついていこうか?と言ってくれたけれど、私は入院歴多くて、 病院は慣れているから平気~と元気に。 結婚して4年のうちに、子宮外妊娠・変形股関節症(3ヶ月入院)・卵巣腫瘍(良性) と入院・手術ばかりしている。 その経験からすると、かなり痛みには強いらしい。 前の人が「痛かったわよ。私は痛かった。」って、そんなこと言わないで。。 さすがに、私も怖いじゃない~ 今までの手術って、麻酔してるから痛くも怖くもなかった。 今回は、胸だから顔から近くて、首の所にカーテンがあって、すぐ下でカチャカチャ。 メチャメチャ怖い・・・ 局部麻酔~電気メスで切除。痛くないけど感触はある。 ちょうど、乳輪の際を切っている。開かれる感覚も分かる。 主の祈りをエンドレスで唱える“天にまします我らの父よ 願わくば御名を……” ドクター2人が「あ、こりゃダメだ」って。 それが、私のガン告知だった。 その後で「悪性の可能性が大きいです。今、病理解剖にかけますので、15分位このまま待っていて下さい」 え・・・このままって、傷口は開いているんでしょ。。。。。。。。。 その方が恐怖で。 不思議と、ガンということは平気だった。 15分後、「やはり悪性でした。入院して全身麻酔でガンを取りましょう」と。 着替えて、エレベーターで降りていく時、急に取り返しのつかない事になったと思った。 涙が止まらなくなって、夫になんて言おうと、そればかりだった。 主治医の説明は、あまり覚えてないけれど、20代のガンなので、早急にベッドを空けます。 その日が金曜日で、月曜入院・火曜手術と。 外で、夫の声がする。 出ると、夫がいて「遅いから心配で・・・」と。 私は何も言えなくて、涙だけポロポロ。 「入院の手続きして来る」と、入院受付へ。 終わって夫に 「ごめんなさい。悪性だって。手術する。ごめんなさい」 「命は?大丈夫なの?」 「手術すれば大丈夫みたい」 「良かった!良かったな!」 ・・・・??悪性って聞こえなかったのかな?? 「でも、ガンなんだよ。悪性の」 「命に別状がなければ良いんだ。良かったな。メシ食いに行こう」 「そうだね~何食べる??」と、食べ放題へ行きました。 (このことについて、10年たって聞いてみたら、現実感がなかったのかもと。) その後のことは、あまり覚えていない。 親や友達への連絡。 友達みんな、私が死んじゃうと泣いてたそうです。 おいおい(^-^; 胸が無くなっちゃうことが、恐ろしくて泣いてた。 ガンだとか命の事なんて、全然考えなかった。 胸が無くなる前に最後に夫と・・・と思っても、ガーゼで分厚くガードされてるし。 入院してから主治医に「思ったよりも大きくて、第2ステージの終わりです。乳房は残せません。全摘です。」といわれました。 一縷の望みは消え、その時の私にとっては、死の宣告のようにも聞こえた。 「なんでこんなことになっちゃんたんだろう」その言葉しか浮かんでこなかった。 「夫は、なんで私なんかと結婚しちゃったんだろう。結婚して4年でガンになるような女と。」 手術前も覚えてなくて。 夫に「ごめんね」って言ったのは覚えてる。 手術後は、めちゃめちゃハイで、ベラベラしゃべってた。 夫はもちろん、両親も兄も来てくれてた。 ほっぺを蚊に刺されて、兄が「こんな状態の人間にひどいことする蚊だな」って。 次の日は、麻酔の影響で気分悪くて、何も食べられない。 点滴で、全部流したら楽になるからって、早い点滴を何本もしたので、トイレ通い。 それ以外は、全く痛みもなくて、痛み止めは使わなかったような・… 恐るべし痛覚の無さ。 消毒の時、自分が見ないように目をつぶったり、顔にタオルをかけてた。 OT(リハビリ)が始まる。 脇の下のリンパを取ると、腕が動かなくなるので、それの作業療法。 寝ているよりも、動いている方が気分良いし楽しかった。 担当の先生がサザン好きで、話しが盛りあがる。 関西から引っ越してくるのに、便は悪いけどサザンの湘南に!って引っ越してきた人。 めちゃめちゃ話が合いました。 リハビリもバンバンやってたので、周りの人から「怖くないの?」って言われた。 乳がんの患者さんは年配の人が多くて、退院して通ってきている人は、 「私は家では、こっちの手(患側)は使わないの。」という人も。 え。。。それじゃ動かなくなっちゃうじゃん~ 私は、かなり優秀に腕が上がります♪ 退院前日。 家族も呼ばれての話。 ガン細胞を調べたら、乳がんではなくて悪性リンパ腫でした。 ガンの種類が違うので、それについての治療をしなければなりません。 一度退院して、1週間くらい家で過ごして、今度は血液内科に入院してください。 化学療法・抗がん剤の点滴をします。 悪性リンパ腫が、乳房に出るのは非常に珍らしくて、0.02%でしょう。 大ショック・・・ 退院後のことも全然覚えてない。 リハビリには通ってたし、多分友達にも連絡したと思う。 血液内科に入院。 また、色々検査する。 放射線検査で、今のところガン細胞は発見されませんでした。と。 骨髄検査、胸と胸の間の胸腺から取るって、骨がゴリゴリ…メチャメチャ痛かった。 胃カメラ。何もする事無いからって、そんな事までしなくていいじゃん!って大抵抗! 胃カメラは嫌いだから、胃カメラすると聞いただけで胃が痛くなるからやめて下さい。 色々言っても、必須事項ですだって。悪性リンパ腫は、胃や腸に出やすいらしい。 でも、放射線検査で平気だったのにッ。 腸からバリウムいれる検査もやったなぁ。 抗がん剤。 オレンジ色の点滴。 だんだん、血管が痛くなってくる。 ナースに言うと、「温めましょうね」ってホットタオルを当ててくれる。 少しは楽になる。 でも、どんどん気持ち悪くなるし、頭は痛いし、身体の置き所が無くなってくる。 後は覚えてない。 数日後、口の中が痛くなる。 シャワーの時に、髪の毛がゴソっと抜ける。 ナースに聞いても、「そうなるとは聞いてないけど」って。 白血球の数値が、いくつかを下回ったら、無菌室に入らなければならなくて、 何日かに一度、血液を取る。 ギリギリのところでセーフ。 今回の入院は、白血球の減り方をみるもので、一応セーフだったので、 これからは、4週間に1度、抗がん剤を受けに通う。 リハビリは、抗がん剤を受け始めた事で、そんな余力は無く中止に。 クリスマスには退院できたような??? その後の事は・・…あまり覚えてなくて。 周期的に色々な症状が出る。 髪の毛は、バンバン抜ける。 いつもではなくて、周期的に抜ける時期がある。 何度目かに主治医に聞いたら 「半年くらいで無くなります。カツラを用意すると良いですね。」って。 早く言ってよ! *父が、ガンにはプロポリスが良いからって持ってきてくれる。 これを飲み始めてから、抜けるのが止まる。 地肌が見えていて、カツラを注文しようとしていたのを延期。 毛が生えてきて、元通りになる。 プロポリスの効用の中に、ガンによる副作用・特に脱毛には効果ありと。 本当に、効果ありました。 その後も、続けて飲んでいます。 口の中や粘膜が痛くなる。膣も粘膜なので痛くなる。 この時期に、胃がやられてしまうらしい。 パリパリしたものは食べられなくて、つるつるしたものを食べていたかも。 急に悲しくて、泣いてばかりいる時期もある。 それが過ぎると、全然平気~になる。 頭は、常にガンガンしていて、テレビを見たり、考え事も出来ない。 ひたすら、冷やして寝ているだけ。 *後に元気になってから、図書館へ行き、乳房再建についての本を借りる。 アメリカの乳がん事情も。 これが一番、再建について載っていた。 あと、副作用についても。 この本で、粘膜が敏感にる時期があるとか、鬱になる時期があることを知る。 主治医は何も言ってくれなかった。 前もってわかっていれば、不安になる事も無く、ひとつの症状として捉えられたのに。 4週のうち、最後の1週だけは元気になる。 夫の運転で、出掛けたり出来る。 でも、「来週は抗がん剤だ」と気付いて「行きたくない~」と泣く事しばしば。 手術前でも怖がったりしない私が、そんなふうになるので、夫は戸惑っていた。 5回目の抗がん剤の時「何回やるかですね~」って。 普通は6回なんだけど、20代だし10回やりましょうかって。 「6回で良いです!6回で充分です!」と言いました。 家族に話したら、みんな「10回やってもらいなさい!先生に電話する!」だって。 気持ちはわかるけど、みんな、やってみなよ! こんな可哀想な事、出来ないって言うよ。 でも、6回目の時に「10回やっておけば、再発の可能性は低くなりますし、再発した場合、もっと強い抗がん剤を使わなきゃなりません」だって。 そんな恐ろしいことになったら、やっぱり困る。 再発が怖いっていうより、もっと強い抗がん剤なんて、想像つかないくらい怖い。 結局、10回コース。 通院なので行きは良いけど、帰りにはヨロヨロでタクシーに乗る。 その3日間は、全く記憶無し。 吐いてばかりいたような。 夫は家事と仕事を両立してくれていた。 社宅に住んでいたので、お昼には帰ってこられたので、 お弁当を買ってきてくれて、一緒に食べたり、 夕食も片付けも、洗濯も、家事全般、夫がやってくれていた。 ひたすら寝ているだけで、眠り姫のように美しくも無い、お風呂も入れず、顔色悪く、 かなりキタナイ状態で寝ているだけの私は、申し訳なくて、 なんで私なんかと結婚しちゃったんだろうと。。 でも夫は、淡々と日常の事として過ごしていた。 彼は「存在してくれているだけで良いんだ」と、あまり気負いも無く言ってくれました。 こんな状態の私に、そんな事を言ってくれるなんて。 本当に嬉しかったし、生きているだけで良いという、絶対的な肯定と言うか。。。 私の存在価値って、本当に存在しているだけで良いのね。って。 こういう状態で言われなかったら、響かないけれど、こういう状態だから響く。 悪性リンパ腫と言われた後、ひとりになって、私は死んじゃうのかな?と、 目の前が暗くなった。ブラックホールのようなものが見えて。 神様に祈った。 そうしたら、光に包まれたような感覚があって 「それは神様にしか分からないこと。全ては神様に委ねよう」と。 自分が死ぬか死なないかなんて、何十時間考えたって分からない事。 だったら考えるのはやめよう。と。 このふたつは、私の人生観が大きく変わった出来事だった。 この病気が無かったら、今の私は無かった。 私にとっては、本当に大切な大切なこと。 夫の父が、ずっと家にいて寂しいだろうからと、猫を買ってくれた。 それが、アビシニアンの“さくら”(=^ェ^=) もう10歳を過ぎた。 -・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・ 2年後、乳房再建手術を受ける。 この手術では、超有名な病院。 広背筋という背中の薄い筋肉と、脇の脂肪を持ってきて、胸につける。 普通の豊胸手術のような、生理食塩水の袋は私には使えなかった。 2年の間、何回か手術後を見てしまった。かなりツライ。大泣きした。 だから手術前は、本当に嬉しくて幸せな気持ちだった。 この手術は、かなり痛いと聞いていた。 目が覚めたとき、この世のものとは思えない痛みだった。 痛み止めを打ってもらっても、ほとんど変わらない。 もし、昨日に戻れたら、この手術は受けないってくらい痛かった。 本当に痛くて泣いてた。 それでも、起きてトイレに行ったり、様子としては、 他の人とは比べ物にならないくらい早かったらしい。 「え?術後2日?」と何人かのナースに言われた。 でも・・・手術は上手く行かず… 術後、何日かしたら、脂肪が流れ出てしまった。 手術痕も開いてしまい、もう一度縫合手術。 入院も長引く。 ただ、なんだか、手術したと言う事で、納得できてしまった。 再手術の話もあったけれど、もう良いですって、スッキリした気分で。 夫が良いなら良いやって。 彼は私が良いなら、全然構わないって。 -・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・ 抗がん剤の副作用は、何年も続いていました。 人の細胞が全とっかえになるという7年目くらいから、やっと元気になって、 今では、自分も周りも、そんな大きな病気をした事を忘れています。 禁止事項はいくつかあって、時々、自分はガンを患ったんだと思い出します。 悲しいのは、献血できない事。 臓器提供は賛否両論あるけれど、私は考える余地なく無理。 患側は、傷をつけ無いように・虫に刺されないように・出来れば長袖・ 締めつけないように・強い洗剤を使わないように・重い物を持たないように・ タバコは持たないように・・・・あとは忘れた。 ほとんど守ってないけれど、蚊に刺されると腕全体がかゆくなってツライ。 ものすごく、腫れていて赤ちゃんの手みたいだったのが、今は左右差が無いくらい。 それでも、疲れるとむくんでパンパンになります。 温泉へは行かれません。 でも、貸しきり風呂があれば、親しい友達となら入ります。 職場の中の良い人と、温泉に行く事になったときは、何日かイヤな夢を見て、 まだ、自分の中ではツライんだなと思いましたが、行ってみたら大丈夫でした。 神体験のような事があってからは、再発の心配をした事は、一度もありません。 再発するのかなんて、考えても分からないし、 再発しなくても、交通事故に合うかもしれない。 7年目に、病院から卒業しました。 再発の心配は無いと言う事です。 これからガンになったとしても、それは違うガンらしいです。 ただ、抗がん剤は発ガン性があるので、人よりも注意してくださいって。 「再発の可能性は高かったのですが、運が良かったですね。」と。 子供は、望めません。 悪性リンパ腫・白血病の抗がん剤は、強いので、卵子が駄目になっちゃうそうです。 最近、その抗がん剤を受ける前に、卵子や精子を、 冷凍保存しておくことが出来るようになったそうです。 そして、病気が回復したら、体外受精等で妊娠出来るとか。 先日、日本で始めて、悪性リンパ腫の患者さんに、それが適用されたそうです。 良いニュースです。 乳房の全切除も、ほとんど無くなっていくような方向です。 私は、この身体を見られるのがイヤなので、年を取っても、ひとりでお風呂に入れるように。 ケアを受けるようには、なりたくないのです。 年を取ったら変わるのかもしれないけれど。 足腰を鍛えて、あとはポックリと逝くことを願うばかりです。 -・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・ 10年を機に、キチンと書いておきたいなと思ったことです。 一気に書いてみると、いや~大変だったんだなぁと思います。 まだ、うら若い時に、こんな事があったのね。って。 でも、当時も、全く悲壮感なく過ごしていたので、具合が悪い時以外は笑って過ごしてました。 鮮明に覚えている事、全然覚えてない事、色々です。 手術すると、記憶力が悪くなると聞いたことがあります。 抗がん剤の影響もあって、記憶が無いのかもしれません。 今の私の忘れっぽさも、そのせいにしています(^-^; *…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…* その後、2005年に悪性リンパ腫再発。 レイキによって、元気になりました。 |